第18話 アロシアの本音
アロシアは自分が、優れた存在であると自負していた。騎士の家系という高貴な生まれを見出され、幼い頃から教会で英才教育を受けて来た。
アリアネス帝国に生まれれば、風の加護を受けて育つ。頑健な体と、戦いを恐れぬ強い心。アロシアは誰よりも精霊に感謝し、信仰を捧げて生きていた。
かの精霊の身柄を保護するという、風の教会に与えられた使命。それを果たすために、アロシアが指名されたのは当然だとしか思わなかった。
フィスクが人嫌いであることは伝えられていた。硬く凍り付いた彼の心を解くことは難しいと。けれど、自分ならば問題ないと思っていた。
彼の保護とは別に、教会の上層部から命じられた崇高な任務についても。
信仰心では誰にも負けない。大司祭の望む結果を出して見せると、意気込んでいた。
(なのに、フィスク様は何故答えてくださらない)
帝都に現れた風の精霊フィスクは、最初からアロシアを拒絶していた。アロシアというよりも、教会そのものを嫌っている雰囲気すらあった。
それでも教会による保護を受け入れたのだから、アロシアのこともすぐに認めて、傍に置いてくれるようになるだろうと。そう考えていたのに。
帝都からシーレシアに移動したのは、彼の希望だった。しかしそれ以降、すべてが狂いだす。側仕えに選ばれたのは、なんでもない花屋の娘だった。しかも父親はどこの誰とも分からず、母に至っては風の国の生まれですらない。
血筋が良くないばかりか、信仰心にも欠けている。本人に乞われたからなどとほざいて、精霊の名を呼び捨てにするような不届き者。
しかしあの娘は、風の悪戯でフィスクの元まで運ばれたのだ。人の目に見えぬ精霊たちに選ばれ、フィスクにも認められた。
それは、アロシアのものであるはずなのに。アロシアこそが、フィスクと並び立つに相応しい存在であるはずなのに。
あのシャイラという娘。目障りで、けれど排除することもできない。フィスクの傍にあの娘がいる限りアロシアの目的は果たせず、しかし彼女を望んでいるのは敬愛してやまないフィスク本人だ。
腹立たしい。妬ましい。不快極まりない。
アロシアは、シャイラのことが嫌いだ。
教会内を歩いていると、至る所で声をかけられる。礼拝堂では目を輝かせた礼拝者たちと握手を交わし、書物を抱えた年若い祭官に見解を求められて議論する。街の住人に渡された貢ぎ物を抱えて奥へ戻れば、稽古に混ぜて欲しいと別の祭官が声を掛けてくる。
「魔法は精霊が、我々に授けてくださった力です。神聖なる言葉を唱え、精霊に祈りましょう。精霊を信じる純粋な心があれば、彼らはいつでも人間の祈りに応えてくださいます。魔法の呪文の一部を、手元に配った資料に記載しています。しかし教会の試練を潜り抜けることで、さらに上位の魔法が――」
今日は街の子供たちへ、魔法を教える仕事があった。目を輝かせ、アロシアの話に聞き入る子供たちは素直で可愛らしい。
この街に来てからの、これがアロシアの日常だった。風の教会唯一の巫女として、誰からも敬われる存在。
アロシアは優雅な笑みで彼らに対応した後、従者を見張りに置いて裏庭の塔に上った。日に一度は必ず会いに行くようにしているのだが、フィスクの冷淡さは変わらないままだ。
「フィスク様、おはようございます。アロシアですわ」
扉をノックすれば、億劫そうな返事が返って来る。梯子をよじ登り、扉を押し上げると、ベッドに横たわっていたフィスクが体を起こした所だった。こちらへ投げられる視線は、「面倒だ」という本音を隠しもしない。
「……何の用だ」
「お加減はいかがですか?」
「問題ない」
いつも通りのやり取りだった。フィスクはもう、アロシアを見てもいない。目線を追いかけると、窓際に置かれた赤い花があった。
神聖な部屋にぽつんと置かれた異彩。
アロシアは花からむりやり目を引き剥がして、フィスクのいるベッドに近寄った。
「近頃は顔色が良くなられましたね」
「……」
今でも惚れ惚れしてしまう、完成された美しさ。最高の腕を持つ職人が魂を込めて作り上げた、最高傑作のような造形だ。この美貌だけでも類稀なる価値があるのに、彼は精霊だ。
本物の、風の精霊なのだ。
アロシアは完璧な笑顔を作り上げて、身を屈め、ことりと首を傾けてフィスクの顔を見つめた。
「少し遅い時間ですが、朝食は召し上がられますか?」
その問いかけに、初めてフィスクが眉を動かした。いつも平行線を描いているのに、なだらかな丘陵が生まれて、まるで、花が開いたような。
ほんの僅か、感情が込められたとは言い難いほどの、けれど確かな変化。これまでにはなかったことだ。アロシアは目を輝かせ、
「もうあいつは来てるのか」
そのまま息を止めた。
雲の色をした瞳は赤い花を、その向こうの窓を見つめている。回廊を抜けて裏庭にやって来る者がいれば、その窓から見えるのだと気づいた。
「……いつもここから、見ていらっしゃるのですか?」
「……」
極度の人嫌いだと、聞いてはいた。フィスクは誰に対しても冷淡な態度を貫き、崩さない。だから、純粋に共に過ごす時間を重ねれば、いつかは心を開いてくれると思っていた。
中央教会に君臨する大司祭たちは、アロシアに大切な使命を託した。精霊の時代から時が経ち、人間の中に残る精霊の血は途切れかけている。精霊の血が薄れ、〈精霊の子〉が減少していることは、教会にとっては悩ましい問題だった。
他の国と比べ、風の国には〈精霊の子〉が少ない。武勇を誉とする彼らは、家庭を持つことより前線で戦うことを好み、戦場に散っていった。歴史に彼らの名前は残っているが、子孫はほとんどいない。
〈精霊の子〉は人々の目に見える信仰の証だ。絶えることは許されない。帝国の中でも最も精霊の力を強く受けるシーレシアでさえ、今いる〈精霊の子〉はコーニだけだ。
そこに現れた、本物の精霊。まさしく救いだった。
神話の時代をここに。人と精霊が共に暮らしていた、かつての楽園を。
アロシアは、フィスクの子供を産んで〈精霊の子〉を増やさなければならない。この国を導くため、精霊の血を絶やさないために。
(大司祭様方は、精霊の血を望んでおられる。永遠の幸せを宿す精霊の血を)
そして、その目的を果たすためには、シャイラが邪魔だ。
窓の外を眺め続けるフィスクの目に、アロシアは映らない。そのことが、どうしようもなく彼女を苛立たせた。
「……この時間なら、彼女ももう来ているでしょう。呼んで参りますわ」
ささくれた心を笑顔の裏に隠し、アロシアはフィスクの願いを叶えるために踵を返した。
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