スティグマの断頭台

夜猫シ庵

第1幕 木こりと狼

 

 いつからだろう。目の前が暗くよどみ始めたのは。

 いつからだろう。みんなが私を見て逃げるようになったのは。

 いつからだろう。壊れたものしか見えなくなったのは。

 いつからだろう。


 突然襲ってきた強い痛みに、たまらずその場に倒れ込む。

迫ってくるのは、黒い狼男。

私が襲われているのに、周りの人達は助けてもくれない。

ただ祈るように男を見つめているだけだ。

なんで、なんで、どうして。

怯える私を見て、男の目がどこか優しく細められる。

泣き叫ぶ私を愛おしむかのように笑うと、


 ガチャッ


 安全装置を外す音とともに、彼はこちらへと拳銃を向けた。


 「君の魂が、忌むべき黒き骸から解き放たれんことを……祈る」


 最後、私の耳に届いたのは、あまりにも無機質な発砲音だった。




 灰色の壁に挟まれた、仄暗い道の上。

ろくに明かりなどささぬ中で、一人地図を手にしている青年がいた。


 「えっと……こっちだったっけ」


 青年は辺りと地図を見比べ、ゆっくりと歩き出す。

そして途中、ふと自身の長袖をまくり、その表情を陰らせた。


 「死名痣シメイシ、まだ消えてないな……おっかない」


 腕にある獣の横顔のような痣を見て、昔に母が言っていたことを思い返す。




 「いい?ルークス。この痣は絶対、人に見せてはいけないよ。私達が ”モンストルム” だとバレてしまうからね」

 「どうしてバレたらだめなの?モンストルムとも仲良くしようって、せんせい言ってたよ?」


 するといつも、母は悲しげに笑ったのだ。


 「あの人達の仲良くでは、私達は平等に扱われないからね……私達は魔法が使えない、未知の化け物だから。でも大丈夫、大きくなってこの痣が消えたら、見た目だけでも普通の人間になれる。とても生きやすくなるよ……」


 そして、いつも母が繰り返し言っていたこと。


 「痣が消えるまでは、よく用心しているんだよ。これがあるうちはまだ、自分に”死の呪い”がかかっている証拠だから」




 死の呪い。

 それは、死名痣があるうちは突然死が襲ってくる可能性が高いという、モンストルムの奇妙な特徴の名称だ。

モンストルムにとって死は身近であり、不安の種でもある。


 (そういえば昔、学び舎の子が言ってたな……)



 ―――― モンストルムってさ、死ぬと本物の化け物になるんだぜ!怖くね〜?



 (あれはでまかせだったのか。少なくとも、母さんはどうもならなかった)


 そんなことを考え、歩く。

ただひとつの場所を目指して、ルークスはずっと歩き続けていた。


 非・魔法都市ウォルテクス。

たくさんのモンストルムが暮らしている大きな街だというそこは、身寄りをなくしたルークスが今目指す場所だった。

何故か母は避けていたところだが、ルークスはそんなことは気にしていない。


 「あれ、そろそろつくはずなんだけど……また道間違えたかな?」


 こんなに複雑な道さえ選ばなければ、もっと早くたどり着けていただろう。

パラパラと何か細かい粒が落ちるような音に、彼がちら、と上を見ると、沢山の素材のようなものが屋根の上に積まれていた。

地味に重そうなそれに、落ちてきたらかなりの確率で命中してしまうであろう、暗くて細い路地。

早く、ここを通り過ぎてしまいたくなる。


 (なんだか嫌だな。この間、なんかに潰される夢見たばっかなのに)


 こんなこと考えているのはきっと時間の無駄だ。

そろそろ寝床をさがすべきかもしれない。

四方八方に跳ねる赤毛を揺らし、そう再び足を……


 「―――― !!!!」


 そのとき、ルークスの目の前に突然重量のあるものが落ちてきた。

強い衝撃と、埃の混じった風。


 「あの荷物!?危なっ……え」


 けれど土煙がやんだ後、そこにあったのは、いたのは。


 『お゛まえ、は、じょう、じ、き、が?』


 頭に3つの斧がつき刺さった、人のようななにかだった。

鮮血に彩られた金、銀、石の斧は先の衝撃でもぐらつかず、男の頭に刺さっている。


 「ぁ……」


 逃げなければ。

ルークスの頭にその一言が浮かんだ。


 『あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁァぁぁ゛!!』


 男の咆哮と同時に、反対方向へと逃げ出す。


 (何だあれ、狂ってる、おかしい、あんなもの聞いたことも)



―――― モンストルムってさ、死ぬと本物の化け物になるんだぜ!怖くね〜?




 (……まさか)


 走りがわずかに遅くなったルークスに地面が近づき、そのまま衝突する。

追いつかれた。

片手で頭を、もう片方で首をおさえられ、ルークスがいくら抵抗してもびくとも動かない。

そしてそれは、ルークスの耳元に口を寄せると、狂ったようにつぶやきだした。


 『俺ガゎるぃ?アいツがわルぃ?おれ?ワタシ??ジぶン???どうでもいいどうでもいいどうでもいい!きききききききききキをキっていたたたたたたタんダ鉄ツツツツッッツッツツツテツの味チチチチチチチチチチチチチチチチ血血なんだミンナいっしょのチオレにはナガレテル???よく見てよく見てよく見てよく見て』

 「な……っ流れてる!流れてるって!離して!」


  ずっと聞いていたら頭がおかしくなりそうなそれを、ルークスは必死に遮ろうとするが、到底通用しなかった。

ますます強く頭を地面に打ち付けられる。


 『ジャジャジャジャ邪魔ヲするナぁ!!』

 「うっ……!?」

 『おまえのチうバエバ俺モみンなとオナジしょうジきシアワセモノ?それハいいそれハいい!!』


 何度も頭を打ち付けられ、段々と意識が朦朧としてきた彼が最後に思ったこと。

それは、こんなふうに終わりたくない、だった。


 死名痣が消えていることにも気が付かずに。




 鈍い痛みとともに、暗闇から意識が浮上していく。

硬い地面と冷たい空気に体温が奪われていくのを感じ、ルークスはまだ自分の体に感覚が残っていることに一先ず安堵した。

            

 (なん、だ……?生きてる……?)


 薄く目をあけたルークスのぼやけた視界に、少女と細身の男性がうつる。


 「お嬢様っ......!危険ですので近づかないでください!」


 焦ったように注意をする男性と、ゆっくりとこちらへと近づいてくる少女。

そのどちらも、黒とホコリで汚れたこの場所に似合わぬ、上等そうな衣服を身につけていた。


 「大丈夫よロンド。こっちはもう ” 消えて ” いるようだし、もうひとりは倒れてる。保護が必要よ」

 「……でしたら、せめてこちらにお戻り下さい。身体を冷やしてしまいます」


 その言葉で雨が降っていることにきがついたルークスが、視界を少し上へと

移したとき。


 (なんだ……あれっ……!)


 赤い靴を履いた大きな足。

その一つが横になってロンドと言う男を雨から守り、もう一つがその上でくるくると回り続けていた。


 (この人達も化け物……!?まずい、身体が動かない!)


 無意味に身体を震わせているルークスに、マーシャという少女が気づき、顔を近づけてくる。

ロンドの止める声を無視して、少女はルークスに微笑みかけた。


 「大丈夫、私達は貴方の味方よ?さっきのやつとは違うわ」


 幼いながらも美しく、優しい微笑みに、ルークスから力が抜けていく。


 (たしかに、正気を失っているようには、見えな……)




 「あ。落ちた」


 再び気を失ったルークスを見て、少女は言った。


 「あの感じだと、” ピーズアニマ “ を知らないみたいね。誰も教えなかったのかしら?」

 「分かりません。私達の中には、親からなにも教わらずに……という者も多いですし」


 男はルクスを抱き上げると、少女ともにあるき出す。

その途中、少女の瞳が一枚の地図を捉えた。

少女はそれを拾い上げると、愉快そうに口角を吊り上げる。


 「ようこそ、この “渦 “ の中へ……可愛いおおかみさん」


 暗い路地裏に背を向けて、二人、三人のモンストルムはその場を去っていった。




 次にルークスが目覚めたのは、大きなベッドの上だった。

頭と手足には包帯が巻かれ、細い身体には清潔な服を着せられている。


 (身体が痛くない……助けてもらえたのか)


 ベッドの上でしばらく思案していると、ドアがノックされ、青年の声が聞こえてきた。


 「失礼しま〜す?」

 「あっ、はい」


 開いたドアから、活発そうな青年が顔を出す。

しっかりとした体つきに、ふんわりとした薄茶色の髪。

随分と人好きがしそうな青年に微笑まれ、小柄で痩せっぽっちなルークスは少し引け目を感じてしまった。

すると、青年はルークスがベッドから出る間もなくこちらへ寄ると、何故かじっとルークスを見つめてくる。


 「…………」

 「あの……?」

 「これはまた……ぼく好みのばりかんわいい子やけん……」


 固まったままのルークスを気にもせず、青年は喋り続けた。


 「よかよか!君もここに入ると?歓迎しちゃるよ〜」

 「え、あのっ……?俺可愛いとか言われてもそんな嬉しくな」

 「あ〜、楽しくなりそうばい!可愛い子はみんなすいとーよ?そうそう、ぼくの名は……」


 「こらぁっ!!!」


 そのとき、一度閉じたドアが思い切り蹴りで開かれ、見覚えのある少女が入ってきた。


 「マウイ!!その人お客様だから!!あと誰彼老若男女問わず口説くのはやめなさいといつもっ……」

 「あ……」

 「あ」


 沈黙。

 たんこぶをつくって倒れている青年の隣、ルークスを助けた少女は姿勢を正すと、スカートの裾を持ち、取り直すようにお辞儀をした。


 「お、お目覚めになられたようですね?身支度が済み次第、応接間へとお越しください……ね?」


 そう言ってすぐ少女が部屋から出ていき、先程の青年がイテテと軽く呻きながら起き上がり、ルークスに再び話しかけてくる。


 「ん、と。聞いとったかもしれんばってん、ぼくん名前はマウイっていうったい!着替えはそこん使うてよかけんね」

 「有難う御座います……あの……ここど」

 「それじゃ、外でまっとーけん、終わったら呼びんしゃい!かわいいお客さん」


 ルークスの問いを思いきり無視し、マウイは扉の向こうへ消えてしまった。


 「めちゃくちゃ遮るじゃんあの人」


 ともかく着替えるしかなくなったため、ルークスはそばに置いてあった服をこわごわと持ち上げる。

重量のある、厚い生地。

今ルークスが着ているものとは比べ物にならない程に、上等な衣服だった。


 「重い……こんないい服、着たことないや。あとで大金を要求されないと良いんだけど」


 ボタンやらなんやらでいっぱいで慣れない服を、四苦八苦しながらなんとか着てから、ルークスは豪奢な扉を開ける。

そしてその先で言葉の通り物理的に舞っていたマウイに連れられ、移動していった。

何かツッコミを入れて欲しそうに隣を伺うマウイと、気が付かないふりのルークス。

程なくして、ルークスを助けた二人がいる応接間へとたどり着いた。

男性の方がルークスへ話しかける。


 「体調のほうは、いかがですか?」

 「はい、おかげさまでさほど悪くありません。手当て、有難う御座いました」


 そう笑顔で返したルークスに、男性は少し驚いたようだった。


 「……大丈夫なら、それで良いのですが。申し遅れました、私はロンド・ヤップ。 この方は、マンサナ・ベネヌム様です」

 「あぁ、マーシャで良いですよ?」


 マーシャは立派な椅子に座って茶を飲んでいるが、ロンドはその横で控えている。

従者と姫のような構図だった。


 「”様”…………?」

 「ベネヌム家は、ウォルテクスではばり力が強か家なんや。こん館ば管理しとーんもそこばい。マーシャはそこんお嬢さんってわけ。」


 けど、ここん皆はマーシャって呼んどーばい、とだけ付け足してから、マウイは颯爽と離れていってしまう。


 「早速ですみませんが……貴方の親類がいるのならば教えてください。連絡をとりますので」


 マーシャの問いに、一瞬ルークスの表情が冷める。


 「……俺に連絡を取れる家族はいません」

 「それじゃ困るわ。一人くらいいないの?」

 「すみません、いません」

 「じゃあ友人」

 「いません」

 「ふざけてるの……?」

 「真剣です」


 マーシャがルクスを疑うたびに重くなっていく空気に、突然、ロンドが大きく手を叩いた。

 よく響くその音に、両者共に口を閉じる。


 「……ロンド」

 「失礼を承知で言わせていただきます。お嬢様、相手の事情を慮らずに無理やり話を押し通そうとすることはあまりにも無礼かと」

 「……むぅ……確かに悪かったわ」

 「そして、ルークスさん。私達は貴方を悪くしようなどとは考えていません。ただ、知り合いがいたならそちらへこの旨をお伝えするべきだと考えたのです。ご無礼をお許しください」

 「あっ、いえ、こちらこそ、助けていただいたのにこんな返答ばかりで……」


 お互いペコペコと謝りあったあと、一息の後ルークスが胸に片手を添え微笑んだ。


「俺は、ルークス……ルークス・ロペスといいます。助けていただきありがとうございました。ところで、あの、ここは?」


 先程からマウイに遮られ続けてきたことを尋ねると、ロンドが口を開くよりも早くマンサナが立ち上がり、腰に両手を当てて話しだす。


 「ここは……ベネヌム家の管理下にある、モルス処刑組織、ギロティナです!」


 続いてマウイたちが補足した。


 「ルクスくんば襲うた化け物、モルスば消すのが僕らん役目なんや。あーやって

被害に合う人がでると、色々と面倒で」

 「主に、それを私達はピーズアニマ……死命痣が無事消えると使えるようになる

 私達用の魔法のようなもので対抗しています」

 「!」


 その言葉にルクスは髪を跳ねさせるように反応すると、身を乗り出した。


 「モンストルムも魔法を使えるんですか!?」

 「使えませんよ」


 マンサナの冷たい声に場が再び静まり返る。


 「私達に与えられるのは、普通の人々のような美しい魔法ではありません。貴方も見たでしょう?あの怪物を」


 ルクスの脳裏に、あの斧男が浮かび上がる。

その悍ましさ、狂気に思わずと言った様子で息を呑んだ。


 「私達は所詮、不気味な存在なのですよ」




 もうしばらくの間この館に滞在してほしいと言われたルークスは、再び客間に戻ると、そっとドアを閉める。

それは今までルークスが聴いていたような、不快な軋む音は一切立てなかった。

しかしそのまま一歩も踏み出せぬまま、ドアに力なくもたれかかる。

その顔に、笑みなど無かった。



 「えっ!あん子がここに入る!?ばってんさっき……」

 「今のところはお客様よ、彼にはまだ何も言ってない。ただ、これから勧誘してみるの」


 マウイはそれを聞くと笑顔になり、不安そうにし、それを何度も繰り返す。


 「やったらばり嬉しかばってん、あげん経験したあとでやってけるとか?」


 この場で不安げなのがロンドとマウイ。

なぜかひとり得意げなのがマーシャだった。

ロンドはしきりにルクスがいる客間の方を見ている。


 「本当に大丈夫でしょうか?」

 「大丈夫よ、あの子にこにこしてメンタル強そうだし……」

 「私にはそう見えません」


 二人がロンドの方に顔を向ける。

眉をひそめているロンドの姿に、マーシャは開きかけた口を閉じた。


 「彼はなんというか……まだ何も飲み込めていないように見えました。勿論、

それが正常です……の、はずです」

 「正常ねぇ……」

 「マーシャは洞察力いっちょんなかもんねぇ」

 「うるさい」



 微妙に冷えている床。

そのせいか、違う理由か震える手で口を押さえ、脚を引き寄せるようにして自身の身体を抱く。




 「けど、ロンドも見たでしょう。アレ」


ニヤリとした笑みを浮かべたマーシャが、ロンドの瞳を覗き込む。

たった一人、なんのことだかさっぱりなマウイが尋ねた。


 「アレ?」

 「今回私達が追っていたモルス……”血塗れの木こり”は、私達が倒したんじゃないの。本人は覚えてないみたいだけどね」


 あのとき、現場に向かったマーシャたちが見たのは。

漆黒の獣のような四肢と耳を持ち、裂かれたモルスの腹にあったであろう臓器を爪に引っ掛けているルクスだった。


 「憑依型、それも戦闘力が高そうなピーズアニマだったわ。あれを戦力にできれば……!」

 「お嬢様……」


 少女の美しい黄金色の瞳が、ギラリ、欲望に瞬いた。




 「……怖い、なぁ」


 絞り出すようにそう呟くルクスを、窓から差し込んだ月明かりが照らす。

そうしてドアへと落ちた影は、牙と爪を持つ巨大な狼の姿をしていた。

まるでルクスを呑み込もうとでもするように、覆いかぶさって……


 おやすみなさい。




◯血塗れの木こり 原作:金の斧 イソップ寓話

川に斧を落としてしまった木こりが、一人は正直なため金、銀、鉄の斧を貰えたが欲張ったもうひとりは嘘を付いたため、鉄の斧さえも失ってしまう。

ここではなぜか3本ぶっ刺さっている。たぶんなんか神様怒らせたのでしょう。


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