ペンギン天狗

葉霜雁景

前/何故か寺の境内に入っていた

 ピッと電子音を伴う、改札の流れの中にいると、俺が入れた切符の滑る音が異色に聞こえる。我ながらアナログな手法を使っていると思うが、どうしてもICカードを使いたくないから仕方ない。

 ホームへ降りていくと、人の海を鳩が横切っていくのが見えた。最悪だ、都会の悪魔め。人間の群れに紛れ込んでくるな。


 俺は鳥嫌いだ。鳥嫌いだが、おそらく世界基準で見ても少数派の鳥嫌いだと思う。何せ、ペンギンが一番嫌いだから。ICカードも奴を模したキャラクターが描かれているから使いたくない。

 あいつらは実際に見ると目もクチバシも鋭くて怖いし、デカい奴は羽で人の骨を折れるらしい。折れなくてもめっちゃ痛いらしい。陸上はともかく水中でミサイルみたく泳ぎ回る姿はバケモンに見えてくるし、足は他の鳥類同様、爬虫類っぽくて気持ち悪い。うるさい鳴き声も嫌いだし、生臭いのも無理。

 あと人からやたらめったらチヤホヤされるのも嫌いだ。前の彼女と別れた原因もペンギンだった。


「ごめん……私、ペンギンを愛してくれない人とは付き合えない……」


 と、クソデカペンギンぬいぐるみを抱きしめながら言われた。あの時ほどペンギンが憎たらしかったことはない。

 無表情の下で忌々しい記憶を掘り返していたら、電車がやってきた。列が動くままに乗車すると、ちょうどドアの真横、大きめな広告と向き合う形になる。有名なホラーゲームの最新作で、学生のキャラクターが振り返る構図のイラストが描かれていた。


 ホラーも嫌いなものの一つだ。軽度なオカルトも駄目だけど、そんなことを言うとからかわれるのは明白だったから、ずっと隠し通している。が、ここ最近、ペンギン絡みの都市伝説をよく耳にするようになったので気が気でない。冗談じゃねぇ誰だ言い出した馬鹿は。しばき倒すぞ。

 聞きかじった、というか聞こえてきたペンギン絡み都市伝説の内容は「ペンギンの天狗が出る」というもの。なんだそれは。ペンギン天狗なんぞいてたまるか、カラスでいいだろカラスで。個人的にはどっちも全く良くないが。


 嫌いなものはそうと意識してしまうから、逆に集中してしまう迷惑な脳の機能のせいで、ペンギン天狗のことは調べなくても大雑把に知っている。そもそも天狗というか、僧侶……何か違う名称だった気もするけど、ともかく袈裟けさを着たお坊さんの格好をしているらしい。

 何でペンギンが袈裟を着てるなんて発想に到達したのは謎だが、噂の発信源は相当ペンギン好きをこじらせて、近所のお寺を見ただけでペンギンを連想するトチ狂った奴なんだろう。気持ち悪い通り越して憐れになってくる。


 憎たらしい鳥類絡みのことを考えていたら、もう最寄り駅の名前がアナウンスされた。ああ、さっさと帰宅して美味いもん食って忘れよう。夕飯には鶏の唐揚げみたく物言わずかてになってくれる、和睦可能な鳥がいるんだし。

 思い立ったまま、スーパーに寄り道して、鶏の唐揚げ含む諸々を買った。おつりがちょうど777円だったから、もう今日は鳥絡みでなくとも嫌なことなんて起こらないだろう。


 そう上機嫌で歩いていた俺は、何故か寺の境内に入っていた。


「……、は?」


 アニメのシーンが切り替わるみたいに、あまりに自然かつ無音かつ一瞬で風景が変わりすぎて、ちょっと何が起こったのか分からない。さっきまで一本道を歩いていたはずだし、俺の住んでいる場所付近に寺はないし、何より明るさが白昼のそれだ。歩く世界は夜だったはずなのに。

 固まっていた頭が、それでも情報を拾い集めてくる。異常事態が起こっていることは徐々に分かってきたが、一周回って落ち着いている。


「おい」

「うぉぁあい!?」


 と思ったけど背後から声がして飛び上がってしまった。恥ずかしい。でも後ろから声かけられたら誰だってビビる。

 声色はちょっと高かったけど、男のものだった。提げていたレジ袋を抱きしめて振り返れば、背の高い人影が視界に入る。


「どっから入ってきやがった。ここはオレの縄張りだ」


 180を有に超えているだろう長身の持ち主が、上からぎろりと睨みつけてくる。怖い。でも格好が妙で、そちらに気を取られてしまった。

 何せ男が身につけていたのは、黒にオレンジのグラデーションが掛かった頭巾に、ペストマスクらしきもの。それだけでも目立つのに、何故かめちゃくちゃ襟が立った、灰色の裾が長い着物を着ている。加えて、その上には白と黄色の袈裟が……。


「……、ペン、ギン……」


 ぽつり、意識が追いつくより先に口がこぼす。ペンギン、ペンギンだ、色合いが完全にそう。しかも袈裟を着ているということは、俺の知ってるお坊さんではないけどお坊さんということで。


「ゔああーッ!! 近寄るなーッッ!!」


 気付いた瞬間、反射で後退っていた。

 最悪、最ッ悪だ、世にも忌まわしきペンギンカラーで全身を固めるイカれたお坊さん(仮)に、何がどうして遭遇しなきゃならんのだ。こちとら唯一心を許せる若鶏の唐揚げくんと、ウッキウキ帰り道ランデブーを決めてたってのに。


「それはこっちのセリフだ。何でオレの縄張りに入ってきたんだよお前。とっとと帰れ帰……ん?」


 オレンジのしゃくっぽいものを、しっしっと追い払うように、ペンギン野郎は背後の門に向けて振っていたが。首を傾げて門の方へ歩いていく。さすがに歩き方は普通の人間で安心した。よちよち歩きなんてされたら吐いてたかもしれない。


「あー、ちっと駄目だなこれ。おいお前、前言撤回だ。ちょっと茶ァしばいてけ」

「えっ嫌です」

「残念ながら嫌でも今は帰らしてやれねぇんだわ。ここでちょっと待て」


 言いながらずんずん歩み寄って来るペンギン野郎。後退る俺。当然ながら後ろは寺なので、間もなく俺は本堂へ続く階段にぶつかり、そのまま座り込んでしまった。


「……、さっきも思ったんだが、お前もしかしてペンギン嫌いなんか?」

「鳥類の中でぶっちぎりに大嫌いですけど」


 このお坊さん(仮)はペンギン好きなのかもしれないし、好きなものを嫌いと言うのは失礼だが、既に俺は近寄るなと叫び逃げようとした失礼をやらかしている。この人自身、あまり礼儀正しいわけではなさそうだし、正直もうどうにでもなれって感じだった。


「なるほどねぇ。だからここに迷い込めたのかもな。それにしても、しっかりペンギン嫌いな人間は初めて見たな。人間の世界の中でも、日本の人間はペンギン大好きなんだろ?」


 口元はペストマスク的なもので窺えないが、目元がニヤリと笑っている。怖いし気味が悪い。


「ま、ともかく。仕方ねぇんだからゆっくりしてけよ。それ夕飯なんだろ、ここで食ってけ」


 またオレンジの笏を指代わりに動かしながら、ペンギン野郎は上から目線気味に言う。実際、背筋をすっと伸ばし、胸を張ってこちらを見下ろしている。

 つーか何なんだよお前は。帰れない云々とかよく分からんこと言うし、偉そうだし。


「そうそう、一応説明が要るよな。ここは日本国内で死んだペンギンの通過点。オレはその案内人みたいなことをやってる。お前たちの文化で例えるなら、妖怪みたいなもんだ」


 見透かしたように、さらっと説明がなされた。ツッコミどころ満載の説明が。ってか死んだペンギンの通過点って何。ここ死後の世界ってこと? おいおいおい洒落でも嫌だよその単語聞くの。こちとらホラー耐性マイナス値記録してる人間なんだが?

 ……色々訊きたいことはあるが、とりあえず一番気になっていたことを訊こう。


「あんた、ペンギン天狗って奴なんですか」

「あー何かそう呼んできた人間もいたな。そうなんじゃねーの、よく分かんねぇけど」


 こちらもあっさり肯定される。真面目に訊いて答えを飲み込むのが馬鹿らしくなってくるが、こいつはくだんの都市伝説、ペンギン天狗で間違いない。


「で、いつまでそんなとこ座ってんだ? 上がれよ。質問があるならそこで聞いてやる。あ、門が本当に使えねぇかどうか、確かめてからでもいいぞ。とりあえずオレはこの中にいるんでな」


 さっさと隣を通り過ぎ、ペンギン天狗はお堂の中に消えていく。上がるかどうか少し迷って、俺は門の方へ行ってみた。

 開け放たれた門の先には、石畳の道と両脇を固める木々の列が伸びている。何の変哲もない参道だ。しかし門を通って出てみようとしても、先には進めない。踏み出そうとした足が、意思に反してピタリと止まってしまう。

 どうやら奴の言う通り、ここで茶をしばいて待つしかないらしい。でもここ死んだペンギンの通過点とか言ってたよな。やっぱそれって死後の世界ってことでは? 死後の世界って何か食べるの駄目じゃなかったっけ?

 まあ、一人で考えても仕方がない。怖いししゃくなことこの上ないが、お堂でペンギン天狗に色々訊いてみることにしよう。

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