第56話 17時37分 嘘つき

 決してそんな気持ちで提案したわけじゃなかったんだ。

 あくまでもお礼のつもりで僕は提案をしたんだ。


「ここが私のマンション……」 


「すごい豪華だね……」


 モーションの調整の話をした時は、後日改めて行くつもりだったけど、話の流れが思わぬ方向に向かい今僕はこの場に居る。

 オートロックが解除されエレベーターに乗り最上階へ。


 僕の記憶が正しければ1階にあった郵便ポストの最上階の部屋は『栗美』という表札1個だけだった。

 ようするに最上階全てを1人で利用しているということだ。


「遠慮せずに……どうぞ……どうせ誰もいないし……」


「あ……ありがとう……」


 僕をリビングのソファーに案内すると菜留なるはキッチンへ。

 入院の必要がなかったため、昨日すでに一度帰宅済とのことだ。


 僕も思わず自分の部屋の心配が脳裏に過ぎったが……

 ここまで部屋を空けていた以上、1日や2日変わっても大した問題ではないだろう。

 問題なのは落ち着かない僕の気持ちだけだ。


 北欧インテリア中心で、木のぬくもりを感じる曲線家具など統一感の取れた部屋でありながら、所々で目に入る小物などは女の子の匂いを自然と醸し出している。

 正直どうすればいいのか分からない。

 あまりにも手持無沙汰な僕は、キッチンで紅茶の準備をする菜留なるの背中へ、


「あ……あのさ良かったら先にどんなモデルか見せてもらってもいいかな? 初めて見るモデルだと動きも確認したいし」


「おお……たしかに……そうだね……でも天雄あまおくんは見るの2回目だから……初めてじゃないよ」


 その言葉に疑問符を浮かべている僕だが、菜留なるはハンドバッグの中から薄型情報端末カードを取り出すとテーブルに置いた。


「これ……」


 菜留なる薄型情報端末カードを指で擦るとお湯が沸いたのかキッチンへと戻っていく。

 そして薄型情報端末カードから徐々にホログラムの輪郭が浮かび上がってくる。


 その輪郭が形作ったものは……


 『根瑠寝ねるね ルネル』のアバターだった。


 僕は思わず唾を飲み込む。

 好きって言ってたから模倣したのか? それはいくらなんでも……


「こ……これって根瑠寝ねるね ルネル……だよね?」


「うん……覚えててくれたんだ……?」


「で、でもさ……ここまで似せるというか、本物そっくりなのは問題になると思うよ……?」


「え? これが本物だよ……?」


 僕がおかしいのか……?

 菜留なるの言ってる意味が一切理解できない。


「あ……だからこれは菜留なるが好きなVTuberのルネ姉だよね。このアバターは菜留なるの物じゃなくて、詩布 香夜かよちゃんの物だよね……?」


「――え……? 天雄あまおくん……なんでその人のこと知ってるの……?」


 菜留なるの声は変わっていないはずだ。

 でも……なぜ僕は怖いと感じてしまっているんだ。

 違う。まずは誤解を解いて……


「あ……だから……このアバターは僕が作ったものだから……」


「どういうこと……? あの時……知らないって言ったのは……嘘……ついたの……?」


 先ほどまで止まっていた菜留なるの手が再度動き出す。

 紅茶を入れ終えたのか、一歩一歩ゆっくりと僕の元へ歩み寄ってくる姿が横目に見える。


 奇妙な威圧感に気圧されるも、菜留なるは僕の前にティーカップを置くとテーブルの傍らに膝を付いた。

 あまりにも渇き、そしてヒリついた空気は喉の水分までも容易に奪っていく。

 僕は置かれた紅茶を熱さを気にせず一気に飲み干すと、


「嘘じゃない……あの時見ていた配信はルネ姉……詩布 香夜かよちゃんのものじゃない。ただの真似――」


天雄あまおくんも……香夜かよちゃんと一緒だ……嘘つきだ……」


 僕の声を塗り潰すような重々しい言葉が、この華奢な体から出ているとは信じられなかった。

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