麻美子の首

闇之一夜

 麻美子の首は、私の最高傑作だった。彼女の柔らかな顎、きりりと通るギリシャ彫刻のような鼻筋、形のいい小さな赤い唇、ガラス玉の輝きを持つ黒い瞳。

 いや顔だけではない。

 その周りをさらさらと流れる川のような黒髪や、キュートな丸い肩、すらりと細い腕と両足、そして――

 透き通るように白い肌。

 麻美子の持つ全てが美しく、その姿は純白の衣をまとった女神そのものだった。


 だが、やはり彼女の最も素晴らしい部分は首から上だった。

 彫塑部にいた私が、つたない技術でその首から上をやっとのことでなんとか再現できたそれは、モデルが格別なせいで、見たものが誰でも思わず目を見張るほどの完璧なできばえだった。彼女の美しさが、ただの素人の女子高生でしかない私の腕を実力以上に引き上げ、この指先を悪魔のように操って完成させた。そうとしか思えなかった。


 それほどまでに、私はこの首の製作に凄まじいやる気と高揚感で望み、寝る間も惜しんで親を心配させたほどだった。最後にはへらで粘土をえぐる私の手は、意思を持ったように勝手に作業にいそしみ、私自身はほとんど何もしなかったとさえいえる。その感覚たるや恐ろしいほどだった。全ては麻美子の魔美(まび)の仕業だった。



 二週間かけて完成したその首の彫刻は、私の今までのどんな作品もまるで問題にもならないほどの最高傑作になった。

 だが、まさかそれが、あんな恐ろしい結果を招いてしまうとは。

 そのときは、夢にも思わなかった……。





 同じ回葉(めぐりば)高校に通う二年生だった私たちは、クラス替えのとき机が隣になったことで少しずつ話すようになり、数日後には仲良く登下校するまでになった。その容姿のせいで、あまりに高嶺の花すぎて周りが拝して近づかない麻美子には、いっけん不思議なようだが友達がおらず、同じく孤立していた私と気が合った。


 彼女は物凄い美人ではあったが、お嬢様ぶってはいなかったので取り巻きの類いもおらず、一方の私は生来の引っ込み思案と口数の少なさ、そして雰囲気の暗さのせいで誰も寄り付かなかった。中学のときはいじめにあっていた。ここでも一年の頃は、いじめまで行かない程度にいじられていて、周りからあまり面白くない三流道化の地位を得ていた。

 だが二年生に上がると、隣の麻美子がバリヤーにでもなったように、誰からも見下されず、バカにもされなくなった。明らかに彼女のおかげで、隣にいる私の価値が引きあがったのだった。


 私たちは朝昼晩と暇さえあれば一緒にいて、いわゆる無二の親友になった。話すうち、麻美子の家は元は金持ちだったが、父親の事業の失敗で今は家族三人でアパート暮らしをしているとか、いろいろと他人に言えない秘密を共有した。


 麻美子は帰宅部で、彫塑部の私が終わるまで廊下で待っていてくれたり、たまに誰もいないときは美術室に入って、棚に飾られた部員たちのいろいろな作品――白い紙粘土の人型や、青黒く光沢するブロンズの首や手――などを見て、目を輝かせていた。

 そのうち、ほかに誰かいるときでもおおっぴらに入れるようになった。私が彼女にモデルになってほしいと頼み、顧問の先生に、彼女が美術室へ自由に入れるよう許可をもらったのである。


 放課後、黒いカーテンを引いた窓から漏れる夕日のオレンジを背にした彼女の麗しすぎる顔をスケッチする甘美な時間が続いた。それは、いま思い出しても思わずうっとりするほどに、あとで思えば残酷なほどに素晴らしく、幸福な日々だった。麻美子の天使の微笑みは、私の白い塑像へそのまま移された。



 麻美子の首は、また普通に作るのでは飽き足らず、特別な思いをこめて極度にリアルに作った。頭蓋骨から作った。自分はおかしいんじゃないかと思うほどに、彼女の頭の全てを正確に再現しようとした。レントゲン写真を撮って欲しいという私の気味の悪い頼みにも、麻美子は喜んで応じてくれた。


 ドクロが出来ると、その中にスポンジを詰めて脳みそにした。その白い骨の上に石膏を被せ、目の前で微笑む彼女の頭を前後左右から眺めながら、ヘラで丁寧に伸ばしていった。形が出来ると、髪はかつらを被せた。


 こうして彼女の首の彫刻は二週間で完成し、そのリアルさにはぞっとしたほどだった。やや細めた目の中で輝くガラス玉の瞳、微笑む口元、すっきりと通る鼻筋、そして、触れると柔いのでは思うほどにしっとりと艶めく白い肌。彼女は前に来てそれを見るや感嘆の声をあげた。

「これがわたし? 鏡を見てるようだわ。ありがとう、さーや!」


 大喜びではしゃぎ、抱きつかれたときは、まるで愛しているかのように心臓がばくばくしたほどだ。

 いや実際、私は彼女を愛していた。最高の友達としてだけど。


 恋愛対象として愛している人は、ほかにいた。

 今ではこの冷たい部屋の中で、そんな人いなければよかったのに、と思っている。




   xxxxxx




 彼は顔の造作がいいわけではなく、といって雰囲気イケメンというわけでもなく、女子から特に人気はなかった。しかしどんな容姿の男だろうが、好きになった相手から見ればイケメンである。


 いつからかは覚えていないが、その石橋くんは美術部で絵のほうだったから、たまにデッサンの話なんかをちょっとしていた。たぶんその積み重ねが、いつの間にか恋になった。ゆっくりと言葉を選んで話す彼の優しい声が好きだった。私が麻美子をモデルにすると疎遠になったが、来なくなると、またよく話すようになった。



 ある日の放課後、内緒の話があると校舎裏に呼び出された。突然のことに期待で震える足をなんとか運んでいくと、石橋くんは木陰にいて、「ここなら誰もいないから」と向き直った。私は前もって口に消臭スプレーをガンガンかけて準備万端だった。

 だが待っていた私に投げられた彼の言葉は、そのやわな心をズタズタに切り裂いた。

「前に来てた北条さんって、伊藤さんの友達だよね。なんとか話すきっかけ、作ってもらえないかな……」



 完全に忘れていたことがある。

 麻美子の周りにいる男は、誰だろうが彼女のことを好きになる。だが好きになっても、声をかける勇者はまずいない。だから、あれほどまでにいい女なのに、麻美子には男がいなかった。

 そして、本人がそのことをおそらく気にしていなかった。私もそれで安心していた。私が好きな男が、彼女に寄っていく可能性など、露ほども考えていなかった。

 しかし今、それが起きたのだ。

 私はがく然としながらも、「考えとく」と言って逃げた。


 うちに帰って机の端を見ると、部屋に持ち帰っていた麻美子の首が笑っている。

 初めて殺意がどっとわいた。もちろん彼女になんの罪もない。でも私にもない。

 いや、ある。


 しょせんは学校の高嶺の花と図々しく一緒にいた私が悪いのだ。あいつがある意味で自分と対等だと、どこかで勘違いしていた。

 親友なんかじゃない、あいつはある意味で敵だったのだ。付き合ったからって、私の各が上がったわけじゃない。

 結局、私もクラスの低俗な女たちと、なんら変わらなかったのだ。そのことはかなりショックだった。


 だが、そうかといって彼を先に奪おうとかいう大それたことは、とても考えられなかった。麻美子の首を、同じ石にでもなったように、しばらく固まって見つめた。


 彼は、こいつが好きなのだ。とても勝ち目はない。ここまでパーフェクトな美少女で、性格もよくて可愛い女と、俗物で下種なところも多くて、かろうじて見れるかもしらんくらいの容姿の私が、どう対抗できるというのか。


 そのままベッドに突っ伏して泣いた。

 諦めるしかないが、それは辛すぎた。

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