第07話 知識がなければ宝もない

「まだ元気そうでなにより。ブロンシュさんのお加減は?」

「少し消沈はしているものの、ノクスさんとクロヴィスさんのお蔭もあってなんとか持ちこたえているよ」

「……そっ、か。あの二人がいるなら、当面は安心できるかな」


 花菱の言葉に、頷きで返すテオドール。しかし、微笑を浮かべたままに眉尻を下げ、その表情にくもりを見せる。


「けれど、状況は芳しいとは言えない。いつ来るのか分からない怪盗の襲撃に怯え続けることの、精神的な負担の大きさは計り知れません」

「だからこそ、早急に解決の糸口をつかまなきゃね」


 言い終えるや否や、励起した魔力が二人の周りで揺らいだ。口に乗せる言葉で、薄いヴェールをかけるように、霧の中に隠すように。二人の存在感を限りなく空間に溶け込ませていく。本題に入ろう、そう告げる彼女の行動に、一つ頷きを返してからテオドールは口を開く。


「君が帰された後のことから話そうか」


 特に訳もなくコーヒーカップを両手で包むように持ちながら、その空色の視線を斜め下へと落とす。


「一時的に“秘宝展”を閉じてセキュリティチェックを行いながら、ノクスとクロヴィスから『怪盗の仮面』について一通りの情報を聞いたんだ」

「お互い、ある程度の情報は掴んでるってことね。人に憑くって話も?」

「聞いている。盗み出す直前まで、憑かれていることに気が付かないことも」

「……何度聞いても面倒極まりない代物だね、ほんとに」

「全くもって。だが“秘宝展”を中止することはできない。少なくともあと……二日ふつかは開催する必要がありますから」

 

 “秘宝”たちを満足させるために行われる展示会。長らく管理してきたその記録とそれぞれの“秘宝”の特性を加味し設定された、彼らの欲望を満たすに足る開催期間は繰り上げることができない。


「じゃあ、それまでに『怪盗の仮面』が動き出さないことを祈る?」


 横目でちらりと寄越された視線に、ニヤリ。笑みを作って見せる花菱。


「なんてご冗談を」


 それに片眉を上げてわざとらしく肩をすくめるテオドールの反応に、花菱はふうと息を吐いてカプチーノに口をつける花菱。唇に付いた泡をぺろりと舐めてから投げかける藍色の視線は、どうするのかとテオドールに言葉の先を促した。


「急遽本日は休展日とし、展示室は特殊錠で施錠している。ブロンシュさんに休養をということにしていますが……これは猶予・・です」

「うん、英断だと思うよ。正直有難いね」

「いいえ、これには自身の都合もあります」


 はあ、と息を吐いたテオドール。次いで喉を潤すように、おもむろにホットカフェオレに口を付ける。


「“秘宝”の来歴を持ち出すのに時間を要しそうでして」

「! そっちも動いてくれていたのか」

「はい、貴女に頼りきりになるつもりはありませんし。自身も出来る限りのことをするつもりです」


 柔らかく微笑む協力者。花菱は助かります、と頭を下げる。

 どんな思惑があれど、今圧倒的に足りていないのは情報だ。その中でも“秘宝”に関する情報は、誰が『怪盗の仮面』に憑かれているのかを絞り込むためにも必要不可欠なものである。

 そしてそれは、花菱がアクセスできてはいけない情報でもあった。


「それで、時間を要する、ってのは?」


 軽く首を傾げながら見遣る花菱に、テオドールはそっとテーブルの上で指を組む。


「我々が管理する“秘宝”にまつわる情報は、今尚、原則紙媒体での管理をしています。その理由は、情報の形の変化と“秘宝”たちの特性にあります」

「……“秘宝展”についての謂れは調べたから、特性にはなんとなく心当たりがあるけれど」

「そうでしたか。なら、ある程度掻い摘んでいきましょう」

「お願い。話を戻すけど、情報の形ということは、情報技術の発達と関連性が何か?」


 問いかけに、こくり、と頷きが返ってきた。どうやら当たりらしい、


「情報技術による変化の中で特筆すべきなのは、そのアクセスのしやすさと複製の容易さです。これらの特徴は日常生活に利便性をもたらしましたが、一方、“秘宝”の管理とは恐ろしく相性が

「そう、なの?」


 パーソナルコンピューター、スマートフォン。文明の利器ともいえるこれらのデバイスの普及は、人類の生活様式に大きな革命を起こしたのは間違いない。魔導書管理局においても業務の一部において活用が進み、年々膨大な量となっていく書籍の置き場を書類が食うことがなくなってきている。


「個人的には、利活用する分には悪い代物ではないと思うんだけど」

「ではミス・ハナビシ、ご想像を。……ありふれた物がいかにして、人にとっての宝たりうるのだと思いますか」


 青い瞳が、色を濃くして花菱を映し覗きこんでいる。


「贋作と真作を隔てるものは。骨董品がすべからく価値あるものとは限りません。あるいは、そこらに転がる石すらも宝たりうる可能性はある。その差はなんだと思いますか?」


 無意識に顎に手を遣る。睫毛で陰る藍色の瞳が、思案する。

 ノイシュとのやり取り。“秘宝展”の観覧から、きっかけとなるベルリッジからの依頼まで。店内の騒めきが遠くに追いやられる中、記憶を遡り、宝物の何たるかを導き出したその答えは。


「――情報、あるいは、知識?」

「うん。その通りです」


 ぽつり、零すような呟きへの返答に隣を見れば、ぱちりと視線がかち合う。


「“秘宝展”を思い返していて。私達のような知っている者魔術師にとって、あれらは至上の価値を持つだろうけれど、そうでない者非魔術師にはそういったコンセプトだとしか思わないのでは、と思い至ったんだ」


 贋作か真作かなんて、鑑定に出すか、あるいはそれらについて造詣の深いものにしか判断できない。我楽多があたかも骨董品のように売り出されるのは、その価値を測る物差しがないから。

 道端の石すらその来歴を知れば、その構成要素を知れば。磨けば光る原石として、扱われることもあるだろう。


「やはり貴女は頭が柔軟ですね。こうして知り合えたのを光栄に思うよ」

「賛辞はいいから、話を進めま――っ!」


 はたと目を見開いて、花菱はぱちりとピースが嵌った思考回路に独り言ちる。


「そうか、か……!」


 情報が、それにまつわる知識の存在自体が宝たらしめるとすれば、“秘宝”に関する情報をデジタルデータとして保管するなんて恐ろしくてできない。


「“秘宝”に関する情報を知れば、その時点でその人にとっては我楽多ではなく由緒ある宝になってしまうワケか」


 容易に複製され、拡散され、“秘宝”の情報が多くの人の目に触れれば触れるほど耐え難く魅了される者は少なからず出てきてしまう。窃盗団ならまだしも、魔術師が魅了されてしまったら。


不正アクセスハッキングされて流出した日には、一族総出で籠城戦が始まりそうだ」

「ご理解いただけたようで何より」


 お互いに惨状を想像してしまい、苦々しい顔つきとなる二人。示し合わせた訳ではないが、揃ってコーヒーカップを持ち上げるとずずずと苦みと甘みを嚥下した。


「実際どの範囲まで“秘宝”の効力があるのかはわかっていません。しかし念には念をということで、必要ならば取りに来いと言われてしまいました」

「それはまさか今から?」


 ぎょっとした顔で見つめる花菱に、指先でカリカリと頬を掻くテオドール。


「……そう遠くはないんですが。こちらに戻ってこれるのは今夜になりそうだ」


 本当ならば、現状を鑑みて人員補充と共に手の空いている者に資料を持ってきてもらう予定であった。しかし、運悪く大口の“秘宝”の引き取りやら、担当者の妻が産気づいたやらで関係者が根こそぎ出払っているらしい。

 どうしても急ぎで欲しいなら、規定に沿って取りに来てもらう他ない。そう謝罪の言葉と共に伝えられたのが今朝のこと。


「ですので、自身はこれから資料を取りに一度街を離れます。その間、もしなにか有れば」

「勿論、理解ってる。留守は任せて?」


 にっと笑みを見せた花菱につられてか、どこか肩の力が抜けたように口の端が上がる。


「っはは。君が言うと、心強い」


 そう告げてから、一息にホットカフェオレを飲み干すテオドール。それからコートの内ポケットから一枚の紙を取り出すと。


「こちら自身の連絡先です。念のため」

「ありがと。後でテスト連絡する」

「はい。それとですが、一つお願いが」


 立ち上がり、軽く皺を伸ばすように衣服の乱れを正してからそっと花菱へと視線を向ける。見上げた藍色の目に、窺うように空色の瞳を彷徨わせてから意を決したように口を開く。


「もし、もしですが。余裕があればブロンシュさんの様子を見ていただけませんか? ……美術館巡りをすると言っていましたので」


 心配だ、と文字を書いたような顔をするテオドールに、一も二もなく首肯を返す。花菱としても、彼女のことは気がかりであったので丁度良い機会であった。


「了解。こちらもこちらで調査しつつ、ブロンシュさんと会えるように動くよ」

「ではまた後程、落ち合いましょう」


 軽く会釈をしてから、トレーを持ちあげて去っていく背中。

 途中でちらと振り返ったテオドールへと軽く手を振り、魔術を解除をしてから。花菱もそっとコーヒーカップを持ち上げてカプチーノを飲み干した。

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