第05話 写真が記すはすべて真実

 マンチェスターから数時間。電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、花菱が向かったのは慣れ親しんだ職場ホーム。勝手知ったる建物に一歩入れば、夕暮れ近くであれどもまだ勤務をしている魔術司書の姿がちらほらと現れては消え、消えては現れる。


「あ、花菱ハナビシさんお疲れ様でえす。局長サマが応接室で待ってるとの言伝ですよお」

「伝言どうも。すぐに向かいます」

「はあい、いってらっしゃい」


 妙に間延びした日本語を操る受付の魔術司書をパスして、言われた通り局長専用応接室へとまっすぐに向かう。橙色に染まる日が差し込む廊下は、どこか物寂しげな雰囲気を醸し出していた。

 昼と夜の境目。誰彼わからず訊ねる時間を語源にも持つその時間は、こちら・・・あちら・・・が混ざり合うとも言われる。

 コンコン、コン、コンコン。特定のリズム、ノック五回で合図する。


「花菱エリ、参りました」


 そう告げながら開ける扉からは、流れ出た芳醇な香りが鼻をくすぐる。


「おや、来たかね」


 またティーブレイクのために紅茶を淹れているのかと内心溜息を吐きながら視線を上げれば、ソファに腰を沈めるベルリッジと。


「遅かったのう」

「——ってノイシュ卿!?」


 その対面に座すは膝程まであるだろう長い髪をソファに散り流した少女、ノイシュ・ファン・エルンディア。花菱を名指しした他ならぬ依頼主その人が居た。


「……とミスタ・ベルリッジ。ただいま帰投しました」

「なんだね。まるで私の方がおまけみたいな言い方をするじゃないか」

「ほほほ。お主の孫は本当に素直じゃな? そして聞いていた以上の仲の良さで何よりじゃ」


 からからと口元に手を当て笑みを浮かべる姿は、無邪気な少女のそのもの。しかし彼女を侮ってはならない。

 妖精を見、妖精の声を聴き、妖精に愛されし“妖精に近き人”。

 その齢百を超えても幼子に近い姿を保つその神秘性に魔術師から崇拝と敬愛を集める彼女は、かつては精霊主義と呼ばれる魔術一派を束ねた経歴をも持っているのだ。


「ほれほれ、折角こうしてあしが赴いてきているのじゃ。はよう座れ、話を聞こうぞ」

「では、お言葉に甘えて。……失礼します」


 一礼と挟み、応接セットへと歩み寄る花菱。その間にベルリッジはそそくさとティーポットを傾け、カップへとアッサムティーを注ぎお茶の準備を進めていた。

 注ぎ終わるのを見計らい、ベルリッジの隣へと腰を落ち着ける。そっと目の前、ローテーブルの上に置かれたティーカップには、濃いめの茶褐色で甘さのある香りを醸し出していた。


「ノイシュ殿はアッサムがお好きだと聞いてね。オレンジペコがあったものだから、開封したんだ」

「成程、そうだったんですか。我が祖父の紅茶はいかがですか、卿?」

「うむ。良い香りに良い水色すいしょくだの。かなりの腕前とみた」

「お褒めに預かれるとは、光栄なことです」


 温和な笑みを浮かべ言葉を交わす二人であるが、その空気にはほんの少し鋭い緊張が見て取れる。魔術界派閥の元トップと折衝機関の長という関係性が、否応なしにお互いの存在を見極めようとさせるのだろう。


「さて、ハナビシよ」


 それでもこの場を設けることができたのは、ひとえにこの依頼がノイシュにとって重要であることの証左である。


「依頼に関して、あしに聞きたいことがあるとな?」


 きらり、と瞳に底光りするようなオパールの煌めきを見せながら、麗しき少女はその容姿に似つかわしくない思慮深さを笑みに滲ませる。隣をちらり、と見遣れば後は自分でやれということだろう。ティーカップの取っ手を摘まみ、ベルリッジはアッサムティーの香りを楽しんでいた。

 すうと茶葉の香りが溶け込んだ空気を吸い込んで、花菱はノイシュを見据える。


「まず、ご依頼について私を信頼してくださったこと感謝申し上げます。調査の結果、何らかの存在が展示物を狙っていることが判明しました」

「ほう? それは聞き捨てならんのう」

「聞くところによれば『怪盗の仮面』なるものの仕業だと」


 その言葉ワードにピクリ、と少女の身体が反応を見せる。


「しかし現状何一つそれ以外の情報が得られず、手詰まりになってしまいまして。何かご存じなことはないか、こうしてお聞きした次第です」

「……ふうむ」


 花菱の端的かつ歯に衣着せぬ説明に、顎に手をやるノイシュ。次いでその手でゆっくりとソーサーを持ち上げると、ティーカップの取っ手を摘まむ。そしてカップの縁に口付けて、こくり。まだ温いそれを嚥下して。


「予想以上に、厄介なことになっておったようじゃな」


 そうぽつり、零すように返答した。想定していたよりも重苦しげなその顔色に、花菱は自然と居住まいを正す。


「これは長くなりそうだの。……冷める前にお主もアッサムティーを飲むがよい」

「では、有難く。ミスタ・ベルリッジ、いただきます」

「どうぞ、ゆるりと」


 状況を鑑み手を付けていなかったティーカップからは、まだくゆりと湯気が立っていた。ソーサーごと持ち上げ、口元に近づければふわりと舞い上がる甘みの増した香が花菱の肺を満たしていく。


「……ん、美味しい」

「じゃろ? やはり温かいものは温かいままの、冷たいものは冷たいままの。適切な温度の味を知っておくことが肝要よな」


 ノイシュの言葉へ控え目な同意を示すように、ベルリッジは目を瞑り紅茶を啜る。過去、茶葉ごとに適切な温度の湯を用いるのがコツだと祖父にアドバイスされたこともある。それに加え、今までの人生を感じさせる、味わうではなく、味を知るという言い方こそ、花菱の心に響いた。


「良き知見をお教えいただき、感謝します」

「うむ。では、本題を話し始めるとしようかの」


 そこでソーサーをすっとローテーブルに置くノイシュと、アイコンタクトを交わすベルリッジ。すると自然な流れでティーポットを手に取り傾けると。


「——ああ、アッサムティーがなくなってしまったようだ。ノイシュ殿、新しく淹れてまいりますので、一度離席してもよいですかな?」

「構わぬとも。次の紅茶も楽しみにしておるからの、ゆっくりと丁寧に淹れてくるがよい」

「では、失礼致します。ミス・花菱、頼んだよ」

「……承知しておりますとも」


 ローテーブル脇に寄せてあったトレーに自身のカップとティーポット一式を載せると、ベルリッジは確かな足取りで応接室を出ていく。ぱたり、と小さな音を立てて閉じられた扉を見送れば、ノイシュが口を開いた。


「まずは、今回の依頼を出すに至った経緯から話さねばなるまいよ」

「……妖精の囁きで危険を報せられたという話でしたが、それ以外にも理由が?」

「うむ。依頼をすることとなった大きな要因は、本家に送られてきた手紙に端を発する」


 膝の上で右手を包むように左手で握り、少女は重苦しそうな口をそう動かしていく。


「送り主は“秘宝展”の実施を一任されているブロンシュ・エルダールからじゃった。内容は、過去に雇用していた警備員にまつわる、今回の警備員の懸念事項について」

「……なんだかまどろっこしい言い方ですね」

「ふふ、これから詳しく話してやるからの。警備員が一般公募にて募られていることは知っておるな?」

「ええ。依頼書に書いてありましたので」


 ベルリッジから依頼を受けた際に、関係者や“秘宝展”にまつわる基本的な情報は一通り花菱の頭にいれていた。その内容を思い出しながら、脳内の情報を補足していく。


「感光式のカメラが出回るようになった頃から、記録のために毎回“秘宝展”の開催時には参加者で写真を撮影するようになっておった。誰が参画したのか、盗難防止もかねての」

「その仕組みを始めた当時はさぞ画期的なものだったかと。……その写真は保存され続けているので?」

「無論じゃ。そしてその写真たちと今回の警備員を参照したところ、看過できぬことが推察されたと手紙には記されておった」 


 今回の警備員というのは、ノクス・バウンシーとクロヴィス・ハウルの二人。その二人の顔を花菱が思い浮かべていれば、すっとノイシュの人差し指が空を切る。

 すうとどこからかローテーブルに着地したのは、一枚の写真。モノクロかつ陰影が荒いが、数人の男性の上半身がまとまって映っているのが分かる。判別できる限りで、五人はいるだろう。そう花菱がじっと観察していると、その隣へともう一枚、写真が滑るように着地する。幾分か解像度が上がった白黒写真では、正装に身を包んだ七人の男女が建物を背景に並んで立っていた。


「これら二枚は過去の“秘宝展”の写真だの。今回の警備員二人の顔写真じゃ」


 さらにふわり。カラー印刷された、にかりと笑むノクスと硬い表情のクロヴィスのバストアップ写真が並んだ。


「よく見つめてみよ。何かわからぬか?」


 含みのあるノイシュの言葉に、じいとその二藍の瞳を凝らして花菱は写真を見る。快活そうな愛嬌のあるノクスと、見るからに神経質そうな鋭い眼のクロヴィス。

 先に提示されていた二枚と、二人の顔写真を見比べる。

 年代を感じさせる服装と髪型は似ても似つかないものの、それぞれ映るひとりひとりの顔つきを入念に見ていく。そこではた、と気が付いた。


「もしかして、この人……いや、この二人は」

「気が付いたようじゃの」


 ノクスとクロヴィス、二人とは他人の空似とは思えぬ、同じ目つき、同じ顔つきの男。それが過去の二枚ともの写真に写りこんでいる。それも、片方のみが写っているのではなく、両人が同時に両方の写真に、である。


「やはり、彼らは純然たる人間ではない。……そうですね」

「お主との話は展開が早くて助かるのう」


 ふわりとほんの少し口の端を上げて返すノイシュは、そのままぐっと押し黙る。その視線の先には、色鮮やかなノクスとクロヴィスの写真。


「彼らは、はるか数百年前にエルンディア家と契約したとされる妖精——名としては黒い犬ブラッグ・ドッグが用いられておる」


 イギリス全土に伝わる、黒い犬の姿をした不吉をもたらすとされる妖精。花菱が予想していた墓守犬チャーチ・グリム黒妖犬ヘルハウンドの別名ともいえる妖精名である。


「あまり驚いておらぬのを見ると、大方予想していたといったところか」

「……彼らの瞳が、赤く変容するのを目にしましたので。しかし、何故彼らが人間の姿で、警備員を?」

「それは契約に基づくものじゃろうな。あしが書庫を調査した結果では、彼らは遥か昔にどうやら最初に墓に埋められてしまった二人らしい」

「それは……なんとも、言ったらいいのか」


 黒い犬ブラッグ・ドッグの別側面ともいえる、墓守犬チャーチ・グリム。イギリスでは過去、“最初に墓に埋められた死人は、天国に逝けず墓地の番人となる”という迷信が存在していた。そのため、新しい墓地には最初に黒い犬を埋める場合があり、現存する伝承ではその犬が番人となったものが墓守犬チャーチ・グリムであるとされている。


「時を経て概念が混ざり合うことを見据え、契約時に引っ張られぬように人間の姿で定着させたのだろうよ」

「では黒い犬ブラッグ・ドッグの名を使ったのは、教会に固着させないため、でしょうか」


 花菱の問いかけに、こっくりと頷きが返ってくる。


「契約までの間、彼らは点々としながら墓荒らしの手から墓地を守っていたらしい。そしてその過程において許されざる敵との邂逅を果たしたようじゃ。契約を結んだのも、それが大きな要因だろうよ」

「……まさか、『怪盗の仮面』?」

「うむ。墓荒らしは泥棒あるいは盗賊となり、それは昇華され怪盗の概念に至る」


 神秘は、定義されることでその力を発揮する。妖精も、魔術も、神秘なる魔力がその性質を、作用を定義されることで存在し、発現するのが魔術界における神秘的現象のことわりだ。

 であれば怪盗の概念は、“宝を盗む”ことに特化したものとなりうるのが然り。


「彼らはその憎むべき仮面を壊すために、時の流れに紛れようとも——人知れず長らく“秘宝展”を警護しておったようじゃの」

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