第03話 かくして足を踏み入れた
照明の付いていない暗めな廊下は、差し込む陽の光だけが頼りだ。その上、奥まった階段の上を示す矢印が目に入る。トン、トン、と一段一段踏み上がる中、常人なら雰囲気があるという一言で済まされるその場所に、ささやかな魔術の存在を感じ取った。探索魔術を基礎にした、悪意や敵意を汲み取る簡易的な身体検査用のものだろう。
(……確かに魔術師らしい美術展だな、これは)
階段を登りきれば、開けっ放しになった扉が正面と右手に一つずつ。最後の一段を上り切ったその瞬間。ぴょこ、と右手の部屋から青年が顔を出した。
「あ、やっぱり! 足音がすると思ったんだよねー」
地の色は黒でありながらも、毛先だけが茶色に染まった癖ッ毛。焦げ茶の眼をらんらんとさせたその男は、子犬を思わせる人懐っこい笑みで花菱を出迎える。
「“
「あ、はい、どうも?」
その歓待ぶりに思わず押され気味になる花菱を他所に、出てきた男はにこにこと近寄ってくる。その推定年齢にそぐわぬ愛嬌のある顔立ちに、ふと脳裏をよぎる記憶。
(この人……“秘宝展”警備員の一人、ノクス・バウンシーか!)
依頼書の写真と異なる無彩色で統一されたラフなシャツ姿に惑わされたものの、その顔つきに確信を持つ。その可動性重視の服装は、個人による美術展の警備だからからこそのものだろう。
「あ、ごめんね。ビックリさせちゃったかな? 今日は全然人が来ないから暇でさ」
「確かに、奥まったところに入口がありますもんね。気付かれにくいのかも」
「そうだよねー、でもお姉さんに見つけてもらえて良かった! チケットとかは必要ないよ。代わりにこちらへ記名をお願いします!」
「はい、わかりました」
そう告げたノクスは、正面の部屋の前にあるサイドデスクへと花菱を誘導する。ライティングホルダーに挟んである記名用シートにはもう既に書かれた十数名の名前。そこそこの来場者を獲得しているといえるだろうが、“秘宝展”は毎回一般公募にて警備員を募っていると聞いていた。ノクスにとっては異様なほど出入りの少ない展示会に感じられるのも頷ける。
備え付けられているペンをノックしてペン先を出し、さらさらと書く自身の名前。手から離れる筆記具の音で、手元を覗き込まれてから笑んで視線を合わされる。
「どうもありがとうございます! 個人情報は来場者記録として保存するのみだから安心してね」
さあ、どうぞ。
片手で部屋の中を指し示され、花菱は微笑を浮かべて会釈で返す。
案内された部屋は、小さめの会議室程度の広さ。幸いにも、他に来場者はいないらしい。入った瞬間に空気の肌触りが変わったことから、魔術で温度・湿度の管理が施されているのだろうと推察された。
展示されているのは、全部で七点。
絵画に宝飾品、そして書物。どれも大仰なガラスケースやパーテーションで守られ、一目で丁寧に扱われているように花菱の目にも映った。そのそれぞれを観察するように部屋の中をぐるりと見渡すように視線を巡らせれば、途中でぱちり。もう一人の警備員と目が合う。
(彼が、クロヴィス・ハウル)
すっきりと短く切り揃えられた黒髪に、黒い目。迫力のあるその目つきは、依頼書の写真よりも鋭利にさえ思える代物である。ノクスと同様、ラフなシャツ姿でありながらも背筋を正したその佇まいは、警備員らしく来場者に緊張感を与えるものだった。
後ろ暗いところからない訳ではない花菱も、思わずぴしり、と少しだけ動きがガタつく。
「ちょっとクロヴィス! お客さまを威圧しないでよ」
そこへ目線を切るように間へ割り込んできたのはノクス。男性としては小柄に見えるものの、背に庇われればがっしりとしたそのシルエットに警備員らしさが見てとれる。それにさらに眉を
「威圧してなどはいない。目付きの悪さは元からで、俺はただ仕事を全うしているだけだ」
「はーもう、そんなんだからお客さまが来てもすぐ帰っちゃうんだよー。……僕らが美術品を楽しむ妨げになっちゃダメでしょうが」
「――あら、何の騒ぎかしら?」
どうしたものか、逡巡していた花菱の背後から少し低めにかすれながらも、凛とした声が響く。振り返れば、ラウンドフレームの赤眼鏡を掛けた老年の女性が目尻に笑い皺を寄せて立っていた。
(この人が、非魔術師にして“秘宝展”の取り仕切り役)
「あっ、ブロンシュさん!」
「ミス・エルダール。お疲れ様です」
(……ブロンシュ・エルダール)
ピンと伸びた背筋に、まとまったセミフォーマルの服装。短めのシルバーヘアは自然体でありながらもきっちりとスタイリングされ、依頼書に添付された写真とはまた違ったセンスが光っている。
花菱の海馬にインプットしていた依頼書の写真は全部で四枚。つまり、エキストラを呼ぶことなく、今舞台に上げられるべき役者が全員揃ったという訳だ。
「二人とも、お仕事お疲れさま。だけれど、お客さまの前で騒ぐのはよろしくないわね?」
「すみませんー、クロヴィスがいつも通り威嚇始めちゃったから」
「申し訳ありません。ノクスの通る声で騒ぎ始めたのは俺に責任があります」
「あ~、えと、すみません?」
重くなりかけた空気にすかさずメゾソプラノを響かせれば、この場にいる唯一の来場者へと三対の瞳が集まる。
「ビックリはしましたけど私は大丈夫なので。どうぞ、お気になさらず」
「そうかしら? ではその言葉を信じましょうね」
ふふふ、とブロンシュが明らかな笑みを浮かべたことで、ふわりと空気が軽くなる。それから静かな視線遣いで目配せをすると、ノクスとクロヴィスは静かにそれぞれの配置に戻っていく。
「初めまして。“
「ご紹介を有難うございます、マダム。花菱エリです」
「あら、もしかして
そう差し出された仕事人らしい手に、花菱も応じる。
「人もいないことだし、よければご一緒しましょうか? といってもほんの数点しかないのだけれど」
「いいのですか?」
「勿論よ。こじんまりした展示だからこそ、できることもあるのだから」
「では、お言葉に甘えて」
「ええ。……パーテーションを越えたり、ガラスケースには触れないように。この二つのルールを守ってもらえればいいわ」
なるほど、とブロンシュに頷きで花菱は返す。
個人による美術展だからこその裁量の幅広さが、展示自体と警備、そして主催の行動の自由度を上げている。関係者であるテオドールが展示中の時間帯にも関わらず、ためらいもなく花菱とカフェに赴くことができたのもこの為だろう。
それでもノクスの最初の反応から警備員のどちらか、または両方は必ず展示場に居り、裏口を除けばただ一つの出入り口たる階段に通行人がいれば足音が聞こえる。
(思っていた以上に、厄介な状況下みたいだな……)
「それは、『潮騒のパリュール』よ」
ブロンシュの声で思考が引き戻される。花菱が立ち止まっていた場所、その視線の先には豪奢な宝飾品が一揃え。ネックレス、イヤリング、指輪にバングル、そしてティアラ。そのどれもが年季を感じさせながらも、今なお艶めきを保っている。
「すべてが貝殻できているとは思えないでしょう?
「
「さてどうでしょうね。真実はもう誰の知るところにもないでしょう」
含みのある笑みで余韻を持たせたブロンシュに、魔術師としての知見があるからこそ花菱は理解をした。きっとこれからこの主催者の口から語られる話は——すべて真実が
その隣に展示されているものへと視線を移す。ガラスケースの中には、開いておかれた本が一つ。
「これ、は」
「『白紙の本』ね。本はお好き?」
「ええ。暇があれば読むくらいには」
(うお、かの有名な『白紙の本』を見ることができるとは)
花菱ですら知っている、魔術界では有名な幻の本。魔導書管理局で一時期管理していたものの、扱いの難しさにより移譲された特殊な本である。
「そんな貴女に興味深い、不思議な話が残っているわ。この本を手に取り開いた者は、一通り読み終えると口々に物語の感想を言ったそうよ」
「……こんなに白紙なのに?」
「そう、白紙のはずなのに、ね。それに加えて、あらすじから何から何まで全て、一人一人内容が違ったらしいわ」
噂には聞いていたものの、開かれておいてあるページも、それ以外のページも積み重なる色から文字が書き込まれているようには思えない。本当に文字通り『白紙の本』でありながらも、いつか誰かの手に取られ読まれたときには何かしらの物語が描かれている。
「まるで……想像力を形にしたみたいな本だ」
自分が開いたとき、真っ白な紙には何が写るのか。もし機会があるのであれば、手に取ってみたいと思わされる本の一つである。
「ふふふ、面白い感性をしているわね」
「えっ? あ~……えと、秘密にしといてください」
飾らない心からの感想を聞かれていたことに、花菱がほんの少しだけ頬を染める。その様子に思わずといった様子で破顔一笑したブロンシュは、にっこりと唇を結んでから。
「ええ、貴女がそれを望むなら。クロヴィスもいいわね?」
「承知しました」
(そういえば君もいたねここに!!)
気配を限りなく薄くしたクロヴィスの存在を、花菱に再認識させるのであった。
和気藹々と、そのまま部屋を一周するように展示を回っていく二人。
「『
「ええ。その地図に触れた者は迷い込んで還ってこないと言うわ。地図が書かれた面に触れなければ問題ないけれど、同じようなものには気を付けてね」
「この角、『一角獣の落し物』ってどの生物のことを言っているんでしょう」
「さあ? ユニコーンかもしれないし、麒麟かもしれない。はたまた、ただのイッカクの角だったりしてね」
「うわ、この玉……水晶か。かなり大きくないですか?」
「ええ。『澄んだ水晶球』って安直な名前だけれど、とても珍しいものなのよ。このサイズで濁りがほとんどないものは、滅多にお目にかかることができないの」
一つ一つの展示品に、解説混じりに会話を交わしていく。数自体は少ないものの、一点一点が持つ歴史は人としても、魔術師としても興味深く惹かれる部分が多い。
魅力的な美術展だと思う反面、これこそが“秘宝”が持つ魅了にも近い
「この絵画は『夢のほとり』という題名が付いているの。描き手の名は伝わってないわ」
「『夢のほとり』、ですか。夢で見た光景を描いたものですかね?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。一説によればこれは、“妖精郷”を描いたものだと言われているわ」
「——ブロンシュさん」
そこで響く、聞き覚えのあるテノール。
ブロンシュと共に振り返れば、素知らぬ顔したテオドールがブロンシュ、次いで花菱へと視線を移す。
「あ、……申し訳ありません。お客さまといらっしゃったんですね」
「いえ、長いことお話に付き合わせてしまって申し訳なく! 有難うございました、ブロンシュさんと話せて楽しかったです」
「あら、そう? ……私もとても楽しかったわ、ミス・ハナビシ」
そうブロンシュが別れを告げて、テオドールへと歩み寄る。そのまま軽くアイコンタクトをしてコートを翻す彼。ブロンシュと共に展示室から出た辺りで立ち止まった二人と、入れ替わりに入ってくるノクス。
(やるなら今、だろうな)
展示品を眺めるように部屋の中へさっと視線を彷徨わせる。クロヴィスの視野角、ノクスの視野角を鑑みて、二人の両方から死角となる位置へと移動。
丁度よく置かれた植木鉢にふと目が留まったかのように目を向け、そしてそっとしゃがみこむ。
「あれ?」
「なに、お姉さんどしたのー?」
近寄るノクスの足音を聞きながら、そのまま体の影でさっと袖口からカードを取り出す。そしてそれをあたかも拾ったかのように摘まむと立ち上がり。
「これ、なんでしょう」
花菱はそう告げながら、よく見えるようにカードを掲げたのだった。
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