花菱エリと意志持つ秘宝の美術展

蟬時雨あさぎ

第01話 マンチェスターと魔術師の秘宝

 広く世の中で宝と名の付くものは、いつの時代も人間の心を惑わしてきた。

 宝石、至宝、金銀財宝。その輝きと稀有さに心惹かれ、多くの者がその手に掴むために様々な代償を支払う。例えば、金。例えば、心。時にはその生命いのちを天秤に掛けてでも入手したいと思うのは、——人間ならではのさがか。

 あるいは。


「必ず、取り戻します」


 人間の想いの強さが為せる業か。


「……我がサイリュスティアの名に懸けて」




 * * * * * 




「ふんふふんふふーん……」


 英国Britain、マンチェスター。

 昼下がりの通りを涼やかに抜ける風が、藍色のウルフカットを靡かせる。街を賑やかすショーウィンドウは春の芽吹きを待つ中、こつこつと鳴らす足取りは軽やかに。花菱ハナビシエリは、鼻歌まじりに石畳の大通りを闊歩していた。


 まずは観光、とばかりに訪れたマンチェスター市庁舎に始まり、ピカデリーガーデンを起点にサッカー観戦を行ったり、植物園に行ったり、博物館に足を運んで芸術に心震わせて。


(——ん、アイツ)

「ちょっと、お兄さん」

「あ? な、なんだオマ……」


 傍を通り過ぎようとした男に声を掛け、そのまま背後にさっと回り。


「いで、痛でで!!」

「あの子からスッたもの、返せ」


 通りすがりのスリの腕を捻り上げるなど。


「わ、わかった! わかった、返しゃいいんだろ返せば!!」

「ああ、二度とするなよ。少なくとも私の目の前では、な」


 もう既に数日間を過ごしたものの、路地にひっそりと佇むカフェを見つけ、川沿いから見る夕日に見とれ、と飽きが来ることのない毎日である。


(……それにまだ、ジョン・ライランズ・ライブラリーが残っているという嬉しさと言ったら!!)


 最後に残したメインイベントに二藍ふたあいの瞳を細めて、ニヤリと笑みを零す。しかしながらその前に、彼女には探し出しておくべきものがあった。観光を装ってでも、街を歩き回り、見つけなければならないもの。


「……こっち、か?」


 ありふれた街並みの角。ふと何かに惹かれるようにして、花菱は影差す路地へと一本曲がる。ただ観光に来ているだけの人が寄り付かない、こうした近隣住民、あるいは旅慣れた者が踏み出す小さな冒険こそが標的ターゲットだろう。そんな推測を元に巡らせた視線が捉えたのは——立て看板に描かれた流麗な筆記体。


「……“魔術師の秘宝展Wizardly Hallows Exhibition”?」


 展示場所はこちら、と看板の矢印が指し示すのは、どこにでもありそうなただの石造りのマンション。美術館とは思えない普遍的なその様相に、唯一開けっぱなしになっている扉だけが立て看板が間違っていないと主張しているようだった。


 看板の前、立ち止まって逡巡すること十数秒。


(ああ、これはアタリ・・・だ)


 また歩き出した花菱が、立て看板の横を抜けて行こうとしたその時。


すみませんExcuse me.


 背後から手が掴まれたのと、そう聞こえたのはどちらが先だったか。振り返った二藍の目に映る、白金髪プラチナブロンドの見知らぬ年若い男。


何か?Yes?

「貴女は、魔術師・・・だ。そうでしょう?」


 ぼそり、告げられたその言葉に、花菱が怪訝そうに首を傾げて見せること三十秒。それでも男の空色の瞳は何かしらの確信を持っているかのように、全くと言っていいほど視線を動かさない。

 埒が明かない、と花菱は無言で腕を振り払おうとしたものの。男は男で手を離すつもりはないらしい。


「この立て看板には魔術が掛かっている。存在を認知したうえで、やすやすと素通りできる人は余程芸術に興味がないか、あるいは——」


 淡々と告げる男の言葉を遮るように、そこで花菱はガッと掴まれていた腕を引っ張る。予想外の出来事によろけるように引き寄せられた男の耳元へ。


「この辺りの美味しい珈琲カフェが飲める場所は?」


 凛としたメゾソプラノでただそう尋ねる。まあるく見開かれた空色の瞳がその意図を捉えると、一つわざとらしく咳払いをして。


「……とびきりの所を知っています。こちらだ、案内します」

「あっ、ちょっ?!」


 掴んでいた腕を離し、流れるような手つきでがっちりといわゆる恋人繋ぎをする男。そのまま先導するように歩き出す間、せめてもの抵抗と花菱はぶんぶんと腕を振ってみるがびくともしない。


「待て待て、手を握る必要全くないでしょ」

「逃げられたら困るので」

「んなわけ! ってちょっと待て連行するな手を離せぇ!」

「断ります。あと煩いですよ、目立ちすぎだ」

「チッ……」


 あからさまな舌打ちと共に、不服そうに暴れるのを止める花菱。しかしながらその瞳は冷たく、静かに、手を引き歩く隣の男を観察する。背丈は百七十と少しぐらい、英語の発音イントネーション、そしてその髪型、顔つき。


(コイツ、依頼書にあった顔写真の——)

『——美術展への潜入?』


 遡ること一週間前。魔導書管理局、局長専用応接室に呼び出された花菱は、手にした依頼書の概要欄をそう読み上げていた。

 相対するはグレイヘアをオールバックに撫でつけた壮年の男。


『ああ。俗に“秘宝展”と呼ばれる美術展が無事に終わるか、秘密裡に見届けてほしい、と。先方の要望でね』


 ティーカップを静かに手元のソーサーへと戻しながら、そう彼女の上司たるウィリアム・ベルリッジは応えた。


『暇を疎んじる第零級魔術司書殿にふさわしい依頼だろう?』

『そうかもしれませんけど、なんでまたそんなことを。……魔導書管理局ウチはいつから魔術界の何でも屋になったんですか?』

『さるお方からの依頼だよ。流石の私でも無下にはできないくらいの、ね』

『まさか、それが我らが局長サマのお言葉とは思いたくありませんね?』


 二十一世紀。科学が跋扈し、電波が行きかう現代においても魔術師と呼ばれる者は存在していた。そんな彼らも行動に、人間にとっての警察に加え、魔術師としての規律ルールを引く機関がふたつ。

 それこそが魔術師の知識欲と技術を律する魔術法省と、魔術と切っても切り離せない書物を通して魔術師たちの折衝を行う——魔導書管理局であった。


『仕方ないだろう? “秘宝Hallowsに危機が迫っているようだ”と、妖精が囁いてくるというのだから』

『秘宝? それに妖精、って……まさか、精霊主義Spiritualismの?』


 魔術が密かに現存するように、世界の片隅には妖精も幽霊も、吸血鬼だって人狼だって存在する。目に見えないということは失われることと同義ではなく、それらは確かにそこに息づいて、時折お気に入りの人間と戯れることさえあるのだった。


『ご明察だ。実を言えば、かの御仁が君を御指名でね』

『“妖精に近き人”が聞く、妖精のお告げとあらば……無視はできない、か』

『そういうことだ。という訳で一つ頼むよ』


 そう告げるベルリッジに、手元の依頼書へと視線を戻す花菱。ぺらりと一枚めくれば、関係者の顔写真と名前が事前情報として書かれており——。


「――テオドール・エルンディアスだ」

「いや何故隣に座った??」


 その内の一人であるテオドール、それが花菱を魔術師だと言い当てた隣に座る男であった。

 案内されたのは、歩いて三分ほどで着いたお洒落な雰囲気のカフェ。窓から差し込む光が開放的な空間を演出する店内は、軽食を提供していることもあってかそれなりの賑わいを見せている。その一角、広々としたスクエアテーブルに向かうソファにて。それぞれカプチーノとホットカフェラテを載せて、二人は腰を落ち着けていた。

 なぜか、四人掛けのテーブルの片側のみを利用して。


「逃げられると困るので。今のところ君が頼みの綱なんだ、ええと……」

「花菱エリ。花菱が苗字ラストネームね」

「そうか。よろしく、ミス・ハナビシ」

「……よろしくどうぞ」

(正直、こういう関わり方は予定してなかったけど結果オーライか)


 テオドールの言葉に、小さくそう返してホットカフェラテを持ち上げる花菱。カップの中に溜まった珈琲の良質な香り、舌に乗るふわふわの泡と、ミルクでまろやかながらも熱々のカフェラテに辿り着く。


「あ、美味うまっ……」

「美味しいでしょう。ここの珈琲カフェ、お気に入りで」


 そう言いながら、いそいそとスティックシュガーの封を切るテオドールを横目にもう一口ひとくち。ごくりと嚥下した後味も、口の中の残り香さえも、幸福なひと時を感じさせる一杯。


「……ええ、これは予想外でした」


 ぽつりと零した言葉は、二つの意味を含んで響く。美味しい珈琲との出会い、そして——こうして結ばれたテオドールとの予想外の縁である。

 花菱としては開催場所をマークしたうえであの場を通り過ぎ、向かいの店を使ったり来場者として訪れたりしてひっそりと見届ける予定であった。

 しかしながら、このテオドールの余裕ありげに見せながらもさらさら逃がす気はない様子。どうやら妖精の囁きとは戯れなどではなく本物らしいと、花菱にもそこはかとなく認識しはじめるには十分なものだった。


「……それじゃあ」


 コーヒーカップをそっとソーサーに戻し、息を吐く。ついで肩の力を抜いて、身体の中を対流する魔力に意識を巡らせる。そしてほんの少しだけ励起させたそのエネルギーの中から必要な分を取り出し、すっと息を吸いこんだ。


Missing in Misty薄明りに隠して


 言葉を引き金に、花菱とテオドールを取り囲むように魔術が展開する。スティックシュガーから零れる砂糖がカプチーノに溶け出すように、社会の異物ともいえる魔術師がただの風景のいちピースへと溶け込んでいく。

 人避け、会話が気に止まりにくくなる防音などが作用する誤魔化しの魔術である。


「助かるよ。エルンディア家の者エルンディアスではあるが、残念ながら魔術の才はほとんど無くて」


 そう告げるテオドールは、スプーンで静かにカプチーノをかき混ぜていた。

 エルンディア。それは魔術師の由緒ある血筋であることを示す身分証明書代わりともなる苗字。その傍系たるエルンディア家の者エルンディアスを名乗れば、それ相応の才を持つと勘繰られることも日常茶飯事なのだろう。


「そんな表情カオをしてくれる他人ひとに出会ったのは初めてだ」


 スプーンをソーサーに置くと同時に、黙りこくる花菱に気が付いたテオドールが苦笑する。その対応に二藍ふたあいの瞳は、そっぽを向くようにホットカフェラテへと落とされた。


「……お礼を言われるようなことは何も」

「そうか。確かに、君にとってはそうかもしれないけれどね」


 その先の言葉を紡ぐことなく。一区切りというように、葉っぱ模様が見る影もなくなったカプチーノに口を付けるテオドール。コーヒーカップの縁から離れた唇からはその余韻を楽しむように、ほうと息が吐き出された。


「それで。……どうして私に話しかけたのか、詳しい話を聞いても?」

「勿論、そのつもりです。その上で、協力を仰ぎたいのだが」

「それは話の内容によりますね。人の道は外れたくないもんで」

「はは、まさか。……そのようなことを頼むほど落ちぶれちゃいない」


 ほんの少しだけ鋭くした空色の視線へ向けた後、コートの内ポケットからさっと取り出したカード。ベースカラーのワインレッドにブラック、ポイントカラーのゴールドが華やかな名刺サイズのそれを静かにテーブルへ伏せ置いて、テオドールは花菱の方へと滑らせる。


「これは?」

「昨日、送られてきたものです。自身が管理と監督の一端を任されている美術展示会である、——“魔術師の秘宝展Wizardly Hallows Exhibition”に」


 携帯していた白手袋を着けると、そっとカードに手をかけて裏返し見る花菱。じっと文字列を判読するにつれ、はっとまあるく見開かれる瞳。


「これ、は」

「予告状だ。……宣戦布告ともいえるものでしょう」


 カードには挨拶の代わりに、丁寧な金色の文字でただこう書かれていた。



『奪われた宝を取り戻しに、秘された宝たちを手に入れに、参上いたします』



 と。

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