ギルド・ティルナノーグサーガ『還ってきた男』

@vesvos

第1話

還ってきた男

ギルド・ティルナノーグサーガ 『還ってきた男』






――旅の吟遊詩人は酒場の椅子に腰掛けリュートをつまびくと朗々と歌い出した。

それは、ティルナノーグというギルドのサーガ。

そのギルドには百を超える戦士達、魔導師達がいた。

彼等は様々な場所を冒険した。

呪われた山々、蜃気楼の塔、氷雪の城……。

これは彼等の冒険と闘いの物語。

運命に導かれたかのように集ったティルナノーグのメンバーの物語――。




登場人物:


ヴェスカード:かつてギルドに所属していた男

フィオレ: 黒いドレスの女



1


 

 遠く小高い丘の上に豪社、巨大な赤煉瓦の城が見える。

この世界――ルミナリアで最も正統な王族の血統を持つベルクダイン卿の居城だ。即位して三十余年が経つその堅王の善政の元、城下町ベルクフリートはこの時代規模、賑わい共にルミナリア一を誇っていた。


 朱(あけ)の街とも呼ばれるこの街は建物の壁や屋根の瓦などを王の居城と同じく朱に統一することを推奨とされていて、地方からやってきた旅人が遠くベルクフリートを一望した時、その整った景観の美しさに感嘆したり詩に詩ったりするのである。


 街にはいくつもの人々が集まる憩いの場――広場があり、その中で最も広い扇型をしたダンティノ広場から蜘蛛の巣のように広がる何本もの路地のうち狭い一本を通ると、そこにはいかにも下町といった風情の雰囲気になる。酒場や安価な宿屋、怪しげな魔道具を売る小さな商店が立ち並ぶ中、やや大きめの木造二階建ての建物。この物語はそこから始まる。



「あ――っクソッ!このままじゃいかンぞ。賽の目とコインの表裏を司るヤーノック神にかけて、我に加護を授けたまえよ」


 そう呟きながら椅子に腰掛けた体格のいい赤髪の男は、眼前の鉄製の機械――賭け事の筐体だ――の側面についたレバーを祈るような顔をして「いけッ!」と言いながら握り下ろした。

 一度レバーを下ろすごとに銅貨を投じなければならない筐体は、その上部についた三列のリールを一斉に回して止める。が、出目は絵柄が揃わずてんでバラバラ…。ハズレである。


「ああッ、俺は夢魔に襲われて悪い夢でも見てるんじゃないか!」男は頭を抱えてしまう。

 

「ヴェスカード、お前もうその辺にしておかないと今月大丈夫か?」

 顔見知りなのだろうホールの初老主任が心配するくらい、ヴェスカードという男は負けが込んでいたようだ。男は背中の辺りまで伸ばした暗めの赤髪を一本に結んでいて、鼻下と顎も髭に覆われている。体が大きめなこともあって山男といった風情であった。彼は銅貨の入った財布の中身を見ると、悲しそうな顔をして席を立った。


「……今日はこの辺でやめとくわ…折角木こりで稼いだ生活費が無くなっちまう。ガランもっと設定入れてくれよ」

「ぬかせお前が下手なだけじゃ。またな」「おう」山男は荷物の入った大きな皮袋を担ぐと席を立った。


 男が賭博場を出るともう昼過ぎだった。商店で安いワインを一本とパンを買い、下町の中でもより雑多な場所にある住処へと帰る。三階建ての集合住宅と小さな朽ちかけた教会に挟まれた、くたびれた石造の小さな平家が今の男の家だった。


 ふと、扉の前に人が立っているのに気がつく。歳の頃は二十半ばか、黒い冒険者用のドレスを着た黒髪ショートボブの女だ。品が良さそうな、整った顔立ちをしている。


「ここは俺の家だ。どこかと間違えているんじゃないか?」ヴェスカードは問うと、黒髪の女は正面に向き直り手を前で組んで会釈をする。


「いえ、ヴェスカード・ハートランドさん……ですよね?」女は穏やかで上品そうな笑顔を向けた。

「いかにも、だがあんたは」

「初めまして。フィオレ・ウェストマールと申します。『ティルナノーグ』の者ですわ」


「……なんだ、今更」ヴェスカードは不機嫌そうに言った。

「率直に言いますわ。あなたにギルドに戻ってきて欲しい。とのギルドからの提案です」

「……チェッ、まあ中で話を聞こう。入れ」苦虫を噛み潰したような顔をして山男がドアの鍵を開けると女を招き入れた。



 男の部屋は雑多に物が転がっていたり積み重ねられている。入って向かい側の窓がある壁側には小剣や甲冑、斧などが置かれていて、壁には滑した獣の毛皮や古い地図が掛けられ、部屋の真ん中に置かれた木製のテーブルには何やら袋に入った菓子やら瓶に詰めた果実の糖入りのジュースなどが散らかっていた。

 唯一入り口から左側の窯やまな板があるキッチンだけは不釣り合いに整頓されていて磨かれた銅製の鍋や何本もの手入れされた包丁が包丁たてに並んでいた。


 赤髪の山男がテーブルの椅子を促すとフィオレは腰掛けた。ヴェスカードはキッチンに向かい皮袋を探るとさっき買ったパンとワインを取り出す。パンをスライスしてキッチンに保管されていた干し肉を薄切りに、玉ねぎを薄くスライスしたものをパンに乗せ、小さな壺から乳白色のどろりとしたものを塗って黒胡椒をミルで挽いたものをかけた。


 フィオレはテーブルから小首を傾げてその男の背中を見る。その大柄な背中を丸めてキッチンで何やら食材を取り扱っている様は、どこか熊みたいだと思って、フィオレは聞こえないようにクスリ、と笑みをこぼすのだった。


「今日は朝から賭博場に行っててな、朝から何も食ってない。昼がまだなら付き合ってくれ」と、肉を挟んだパンとグラスに注がれたワインを勧められる。


「実はお昼まだなんです。いただきますわ」

 ワインを一口飲みパンを口に入れる。焼きたてパンの香ばしい香りと干し肉の味わい、そしてそれを引き立てる白いソースがパンと肉とを調和させていた。


「あら美味しい、料理お上手なんですね」

「趣味で少しな。酢と卵黄と植物油のソースだ」

「私は料理は不得手でしてね。今度よかったら作り方教えてくださいな」

 赤髪の男は黙ってガツガツとパンを頬張りすぐに平らげてしまった。フィオレも慌てて口に押し込む。


「俺はギルドを抜けた男だ。それを今更。パジャあたりの差金か」

「……ギルド幹部の要請もありましたが…クリラさんからの一番の要望なんです。ヴェスカードさん、あなたに戻ってきて欲しいって」


 ヴェスカードのワインを飲む手が止まる。


「クリラか……久しいな。どうだ?奴は元気にしているのか?」少し嬉しそうな顔を浮かべて山男はフィオレを促した。

 黒いドレスの女は少し俯き加減に、声のトーンが下がった。


「……いえ、クリラさんは実は……今、重傷を負っているんです……」

 ヴェスカードの深い深碧の瞳が見開かれ、口髭に囲まれた唇は厳しく引き結ばれた。 

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