174:彼女は真実を知っている
船での生活を送る中で、目的の島へと近づいている。
彼女の話ではその島へと行く為には、決められたルートで航行しなければいけないらしい。
濃い霧に満ちた海上を進む船。
生ぬるい風が吹いていき、耳を澄ませばうめき声のようなものが聞こえて来た。
それは果たして生き物の鳴き声なのか。それとも、この海域をさ迷う亡霊の声か。
船の甲板に上がって柵に手を置きながら目を凝らして船の側面を見る。
すると、隆起した岩礁や何かの残骸が海面に突き出ていた。
潮によって元は綺麗であった鉄製の何かは錆びだらけになって。
沢山のフジツボをつけたそれを見つめていれば、ボロボロになった衣服の切れ端を纏った骸骨がいる。
ぽっかりと空いた両目の穴から虫が這いだして、俺は背筋を凍らせた。
もしも、正規の航行ルートを通らずに、近道などをして行こうとすればどうなるか。
視界不良の中で、突然目の前に迫った岩礁や残骸を避けられる筈も無く。
座礁するだけならまだいい。最悪の場合は、船自体が破壊されてそのまま海の藻屑となるだろう。
そうならない為に、予め設定されたルートを通る必要がある。
スタッフたちはバネッサ先生が渡した航行ルート通りに船を進めている。
この濃い霧の所為で周りは全くといっていいほど見えないが。
着実に目的の島へと近づいている。
ようやく、ゴウリキマルさんの元へと行けるのだ。
俺は柵をギュッと握りしめながら、霧の先を見つめた。
暫く水平線の彼方を見つめてから、チラリと隣に立つバネッサ先生を見る。
彼女は手に端末を持っていて、指を動かしながら何かを操作していた。
表示されているのは色々な写真であり、中には文字のようなものが刻まれた資料らしきものもある。
俺は迷った末に、それは何かと彼女に聞いた。
すると彼女は「あぁ」と言ってから、表示された写真の内の一つを俺に渡してきた。
飛ばされた写真の映像を手で掴みながら、俺はそれをジッと見つめる。
すると、それは骨組みだけの二足歩行の機械で……これは、メリウスか?
「……それは現実世界での古い記録写真だよ。メリウスの元となった強化外装のプロトタイプだ」
「これがですか?」
「あぁ……見てくれ。これは実際にそれを装着して動かしている映像だ」
彼女は指で操作して一つの動画を再生した。
その映像の中では、骨組みだけの強化外装に体を預けて人間が操作している映像が映っている。
コックピッドらしきシートに体を預けて、レバーを操作して機体を操っていた。
簡単な歩行テストから、小さく脆い殻付きの卵を器用に持ち上げたりなど。
凡そ、兵器としてのテストは行われていないような気がした。
俺が疑問を抱いていれば、彼女は何となく俺の疑問を理解したのか。
ニコリと笑いながら、簡単に説明してくれた。
「強化外装と呼ばれるものの前身は、何も戦争をする為の道具として開発された訳じゃない。最初は、工事現場や医療の分野で活躍できるようにと研究開発されていたんだ……それがどう転んだのか。軍事転用されて、最初の理念は綺麗さっぱり忘れて強化外装は兵器として現実世界で誰もが認識するものとなった……皮肉な事だが、この世界の強化外装の歴史も似たようなものだ。これは恐らく、マザーが我々に対して送ったメッセージだと思っている」
「マザーからのメッセージ……俺たちに何を伝えたかったんですか?」
バネッサ先生は悲しそうに笑う。
「……歴史は繰り返す。何をしようとも未来は変えられない……悲しい事だが、その通りだと思う」
「……でも、バネッサ先生は……オーバードがあれば世界を変えられると思っているんですよね」
俺が質問すれば、彼女は重く頷いた。
「変えられる、と思っている……実際に見なければ分からない。仮想現実世界は現実世界と何ら変わりない。だが、この世界はどんなに精巧に作られていたとしても、一つの機械が生み出しただけの虚構だ……その事実は変わらない」
「だったら……そうまでして、何でオーバードを」
「――約束したから。彼の最期の願いだった。理由なんてそれだけで十分だろ?」
バネッサ先生は笑った。
悲しそうな笑みではなく純粋な笑みで。
俺は彼女が無理をしている訳ではないと理解した。
「……それに、オーバードが世界を創造できるのなら。この世界を理想郷にする事も出来る」
「理想郷に?」
「そうさ。現実世界は荒れ果てて腐敗の一途を辿っている。あの世界に未来なんて無い。だったら、この虚構を本物にして全ての人間が移住すればいい。そうすれば、もう誰も悲しまなくて済む。争いも、犯罪も、飢えも貧富の格差も無い。全てが平等で、全てが思いのままの世界を作れたとしたら……もう誰も過ち何て犯さないだろう?」
彼女は言った。
理想郷がこの世界で作られれば、もう誰も悲しまなくて済むと。
完璧な世界では、誰も失敗を犯さないと。
でも、それは――人間が住む世界じゃない。
完璧な世界であれば、確かに犯罪も間違いも起きないだろう。
でも、それはつまり人が競争する事も無いのだ。
確実な成功だけなら、努力をする必要が無くなってしまう。
人間は失敗を何度も何度も繰り返して、それでも諦める事無く進んでたった一つの成功を求める生き物だ。
人間から探求心や向上心を奪った世界には、未来も喜びも存在しない。
平等だからこそ誰も上を目指さない。
失敗を犯さないから、誰も成功を喜ばない。
同じ考えしか出来ないのなら、それは人間ではなく機械だ。
彼女の理想郷は間違っていない。
本当にあったのなら、誰だって憧れてしまうかもしれないだろう。
でも、それでも、俺はその考えには……賛同できない。
俺が黙ったまま視線を逸らしていれば、彼女は大きくため息を吐く。
そうして、柵に背中を預けながら手をひらひらと振る。
「最初から君は私の考えに賛同しないとは思っていた……私自身、そんな世界はつまらないと思っている……どんなに詭弁を言おうとも、争いが無ければ人は成長しない。間違いを犯さなければ、誰も成功の素晴らしさを享受出来なくなる。そんな世界は間違いがないだけだ。ただ呼吸して与えられたものを摂取して、限りある時間を生きる為だけに使うだけ……人間とは欠点があるから人間なんだろう。無駄な事をするからこそ、人間だ」
「……分かっているなら。オーバードは……」
俺は声を絞り出すように言う。
これ以上言う事は、彼女の約束を踏みにじる事になる。
しかし、それでも間違っている方向に彼女が進もうとしているのなら止めなければいけない。
俺は彼女に何と言うべきか必死に考えた。
この先の言葉を間違えれば取り返しのつかない事になるかもしれない。
折角、再会できた彼女がまた離れていってしまうかもしれないのだ。
彼女には恩があり、例え現実世界でテロリストであったとしても俺は彼女を素晴らしい女性の一人だと思っている。
だから、だから、彼女には――彼女が吹き出す。
俺が目を丸くして彼女を見れば、彼女は大きな声で笑っていた。
目じりに涙を蓄えながら、腹を抑えて笑っている。
何故、彼女はいきなり笑い出したのか。
俺が不思議そうに彼女を見つめていれば、彼女はゆっくりと呼吸を整えていった。
そうして、目じりに溜まった涙を指で拭って俺に謝る。
「すまない。君があまりにも深刻そうな顔をするのでね、遂……深く考えないでいいんだ。どうせ、オーバードを手に入れても私では扱えないから」
「それは、まだ分からないんじゃ」
「――いや、分かるんだ。私は絶対にオーバードを使えない」
彼女は断言する様に言った。
まるで、その事実を知っているかのような口ぶりで。
俺は何で、そんなにハッキリと言えるのかと思わず聞いてしまった。
すると、彼女はジッと俺を見つめながら教えてくれた。
「黒と白。二つの神は、求めているものが正反対だ。一方は穢れなき白、もう一方は穢れに満ちた黒……私はそのどちらでも無い。この手は確かに穢れているかもしれない。だが、神が求めるような人間にはなれない……白も黒も、私には見向きもしない……だが、君なら手に入れらるかもしれないと私は思っている」
「……俺が?」
「そう、君だ……君は一人で墓場に入れたんだよね? そして、妙な懐かしさを感じていた……君と最初に会った時に、私は君という人間を計りかねていた。どんな人間で、どんな生い立ちがあって、どんな経験をして……だが、ようやく理解できた気がする。その考察には意味が無かったと。君という人間は、他の人間とはまるで違う。根本的に君は特殊なんだ。未来視の発現に、失った過去、短時間での成長に加えて高い戦闘スキル……私は君を、理解できた……オーバードを持つに相応しい人間は君で。その後の選択は所有者である君が決めるんだ。マサムネ君」
彼女はまたハッキリと言った。
俺が何者であるか、彼女は知っているのだ。
そして、オーバードを手に出来る俺自身がどうするべきかを決めるようにと。
俺は尋ねようとした。自分自身という者の正体を求めてきたのだ。
俺は自分が何者であるかを知りたい。
どんな過去があって、現実世界で生きていたのかこの世界で生まれたのか。
俺は喉を鳴らしてから、彼女に尋ねようとした。
声が震える。ただ質問して答えを聞けばいいだけだ。
それでも、俺の心が強い拒否反応を起こしている蚊のように声が出ない。
俺は魚のように口をパクパクさせながら、体を小刻みに震わせた。
言ってはいけないのか。知ってはいけない事なのか。
真実を求めて、答えを欲していた。
知りたかったことが目の前にあるのに、俺は蓋を開けられない。
言うんだ。言って真実を知るんだ。
口を大きく開けて声を絞り出そうとする。
質問するべき言葉を言おうとすれば、体の震えが増す。
暑くも無いのにだらだらと汗を掻いて、心臓がドクドクと激しく鼓動した。
自分が、俺が、何者なのか。俺は知り――ッ!?
しかし、それを遮るように船が大きく揺れる。
咄嗟にバネッサ先生の体を支えて、俺は海に投げ出されないようにしっかりと柵に捕まる。
船体が大きく揺れて波しぶきが起こる。
ざばざばと大きな波が船に打ち付けられて、甲板に海水が飛び散った。
姿勢を低くしながら、周りを警戒する。
そうして、素早く端末を取り出してからブリッジにいる人間に連絡を繋いだ。
連絡はすぐに繋がって焦っている男の声が聞こえた。
「何があった?」
《そ、それが。何かが船の進行を妨げています。身動きが取れません》
「原因の究明にはどれほど掛る?」
《わ、分かりません……ッ!》
「どうした?」
息を飲むような声が聞こえた。
男は外部よりコンタクトを取ろうとしている人間がいると報告してきた。
俺はすぐにブリッジに行くことを彼に伝える。
連絡を切ってから端末を仕舞って、俺はバネッサ先生についてくるようにお願いした。
彼女は静かに頷いて、俺たちはブリッジへと向かう。
……本当は彼女に真実を話して欲しかった。
俺が何者であるか教えてほしかった。
どんなに心が拒否反応を起こしていても、真実を求めてここまで来たのだから。
そんな事を考えていれば、背後から小さな声が聞こえた。
「……直に、分かるよ」
「……」
ぼそりと呟かれた言葉。
俺はそれを無視して、船の中を走っていった。
拳は硬く握りしめて、心臓は静かに鼓動していた。
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