73.幸せとは
「カイル様は、私に幸せになって欲しいのですか?」
短い沈黙の後、クラウディアが口を開いた。
「でも、それですと、おっしゃっていることが矛盾してますわよ? そのことはお分かり?」
彼女の妙に冷静な声に、僕は思わず顔を上げた。
クラウディアはやや呆れ気味に僕を見つめていた。そして、僕と目が合うとヤレヤレとでも言いたげに肩を竦め、頭を振った。
「いいでしょう。説明してあげますわ・・・。では、もし私たちが婚約解消したとします。そうしたらきっと、私はまったく望まない結婚を強いられることになるでしょう。そこまではお分かり?」
???
あれ? なんか急にとても上から目線になったのは気のせい?
「私は婚約解消になった傷物の令嬢としてどこか中年男の後妻にでもさせられるのです。そして絶望の毎日を送ることになるの・・・」
そう言うと、今度は上から目線から遠い目線に変わった。
「毎日、心の中でカイル様を想いながら、愛してもいない人と嫌々日々を過ごすのです。そうしていくうちにきっと心が枯れていくの。心も身体もどんどんやつれていって・・・。心労から若くして白髪になって、身なりを整える気力も無くなり、髪はボサボサのまま、廃人のようになるのだわ・・・」
え・・・? 何を言ってるの・・・?
「さらに、そのことが益々家の人たちとの溝を深め、忌み嫌われて、どんどん孤独に陥っていく・・・。悪循環のループに嵌るのですわ」
クラウディアは止まらない。
「そうして、ついに完全に心が壊れてしまい、夜な夜な奇声や笑い声を上げながら街を徘徊する妖怪婆のようになってしまうのです」
妖怪って・・・。
「ご近所様に散々迷惑をかけて、終いには屋敷の地下牢に幽閉されてしまう・・・。暗闇の中、生きているか死んでいるかも分からず、只呼吸しているだけの日々を送り・・・」
日々を送り・・・?
「一人、孤独に息絶えるのです」
止めてー! ちょっと待って、クラウディア! 何のお話? これ。
「カイル様。こんな未来が幸せって思いますか?」
「ディア・・・。ちょっと妄想し過ぎ・・・」
「いいえ! そんなことないわ!」
クラウディアはキッと僕を睨んだ。
「カイル様! こんな風に生きた屍のように暮らすことが本当に幸せだと思いますか!?」
「いや、あの、ディア、ちょっと待っ・・・」
「『はい』か『いいえ』でお答えくださいっ!!」
「いいえっ! 思いませんっ!」
急かされて、つい答えてしまった。
「そうでしょう?! そう思うでしょう? 私だってそう思います!」
クラウディアは大きく頷いた。
そして手を伸ばし、僕の両手を取った。
「私はね、カイル様。安全な場所で廃人となって希望もなく生きるより、多少危険な場所でも大好きな人と生き生きと生きていきたい!」
君って子はどうして・・・。
君みたいな素敵な子は、僕よりずっといい相手を見つけられるはずなのに。
何年も経てば僕のことなど過去の思い出となる。別れた時の心の傷も時間が癒してくれる。
生きていれば・・・、生きてさえいれば、君ならきっと幸せになれるはずなんだ。
そんなこと、きっと君も分かっているはずなのに・・・。
それでも、君はこんな妄想話をしてまで僕を必要としてくれるの?
こんな僕を、まだ大好きだと言ってくれるなんて・・・。
「ディア・・・、僕は人殺しだ・・・。非情な男なんだよ・・・? それなのにまだ好きでいてくれるの?」
「もちろんですわ。不安でしたら何度だって言います。大好きですわ、カイル様」
「僕のせいであんなに危険な目にあったのに・・・。これからも遭うかもしれないんだよ?」
「これからはもっと体を鍛えますわ。護身術だってもっとちゃんと学びます!」
グッと彼女の手に力がこもる。
「実は少し前から護身術を習っていたのですが、お遊び感覚で・・・。この間は深く反省しました。なんとかリード様の腕からは逃れられたけど・・・」
あの時、咄嗟にリードの腕を捻ったクラウディアを思い出す。
あんなこと、普通の伯爵令嬢ではできない技だ。
「確かにあの時、改めて現実を突き付けられました。ランドルフ家の嫡男であるカイル様のお立場も、そして、いかに自分が守られているだけの弱い存在なのかということも。だから、もっとしっかりしないといけない、強くならなければって心に誓ったんです」
あの時・・・。あの帰りの馬車での沈黙はそんなことを考えていたから?
僕に絶望したからではなかったの?
「僕に・・・絶望してないの・・・? 僕を嫌いにならないの?」
「まだおっしゃるのね? じゃあ、私もまだ言いますわ。大好きですわ、カイル様」
「僕は人殺しだ。それは過去のことじゃない。これからも、ジェイド王家を守るためなら人を殺めるよ?」
「大好きですわ。カイル様」
「それも正当な方法なんかじゃない・・・、汚い方法でも何をしてでも・・・」
「世界で一番好きなの」
「僕は・・・」
僕の手を握っていたクラウディアの手が、僕の頬に触れた。
そっと僕の目の下を指でなぞる。
いつの間にか流していた僕の涙を優しく払ってくれていた。
「僕は・・・、君を手放さなくっていいのだろうか? 君は天使なのに・・・。誰よりも天使で・・・、僕なんかには勿体ないのに・・・」
そう呟く僕の頬に、今度は柔らかいものが触れた。それは彼女の唇だった。
初めてだった。彼女の唇が僕に触れるのは。
懸命に背伸びをして、何度も頬に触れてくる。
僕と目が合うと、とても優しい笑顔向けてくれた。
「愛してますわ。カイル様」
「僕も・・・、君を愛してる。誰よりも・・・!」
僕らは再び手を取り合った。そしてゆっくり顔を近づけた。
唇が合わさった瞬間、僕はもう何の雑音も聞こえなくなった。
迷いもすべて、跡形もなく消え去ってしまった。
ただひたすらに愛しいクラウディアの存在だけを感じていた。
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