番外話⑥ 恋模様はこうやって

 抜けるような蒼穹。自然こそがこの世の美しさのベーシック。だがある日、それはナンバーツーに堕した。


「よくないよねー」


 世界に天井があることがつまらないというのは、一般人杉山ゆずだからこそ考えることだろうか。

 いや、それとも彼女が天を射抜かんとしている流星こと町田百合の友だからこそ覚える感触なのかもしれない。

 どちらにせよ、美しいの天辺に向けてゆずが思うことは一つ。


「早くどいてくれればいいのにねー」


 街を彩っているのは、今も昔もカシマレイコ。数十年にて何もかもにも地金のごとくに染みついたベースカラーとして彼女の肖像は広がっていた。

 カミサマですら控えるというのに、どうしたって誰もかもがこの希代の究極をあらゆるものに張りたがる。

 コマーシャルに彼女の影が欠片もないことすら不自然であれば、或いはこの世界は彼女一人に偏りすぎて終わりかけていたのかもしれなかった。

 しかし、そんなアンチの正当な論が響きになりえない程に、カシマレイコはアイドルという枠を越して愛されている。

 それこそ、カシマレイコが当て嵌まったアイドルという枠組みすら音に携わる女子どころか唄わなくても美しければそれに当たっても良いだろうとされてしまうようになったくらいに、彼女の影響はあまりに大きかった。


 歌も容姿も言葉も彼女の真似か対立が並んで、あぶくの様にそれらは一斉に美しさを響かせながら消えていく。

 四天王とした者達ですら仰ぐばかりで、最後に残るはカシマレイコ一人ばかり。それがあまりに恐ろしくって、知らず多くが口をつぐんだ。


 絶対。これ以外は消えてしまうのだ。そこに作為があろうがなかろうが、事実として。

 カシマレイコに真似/縋ってはいけない。


「どーせ、勝てっこないのにねー」


 しかし、たった今歩き去るゆずの耳朶を揺すった高音の主らのようにアイドルを目指す者はカシマレイコ発生時から未だ数多。

 自称まで含めるとアイドルだけでとある県の人口よりも数が多くなるだろうということから、むしろ昨今がアイドル全盛期とも採れるだろうか。

 それは、そんな熱に溢れた中で、不細工な声を顔を隠しながら響かせていた地獄女子なんて特大の冷やかし、嫌われても当然だったかもしれない。

 実際、今は友誼をこの上なく深めているつもりのゆずだって、端は罵声のために近寄ったものである。気持ち悪い音を立てるなと、磨かれたものに慣れ切った耳を塞ぎながらゆずは過日に発していたのだ。


「でも、流石百合ちゃんだよー」


 しかし、そんな愚かな過去を忘れさせるぐらい鮮烈な音が、ヘビィ層中心のファンらの心と一緒にゆずの心を動かす。

 少女の遅々とした歩みが今辿り着かせたのは、とあるCDショップ。今や古いCDというよりもファングッズがメインのそこに大々的に張られていたのは目隠し少女のポスター。


「……あらー」


 しばらくゆずがそれを感慨深く見つめていると、その内町田百合を象徴とする言葉【マイナス】を中心とした一枚のその下のカゴに何もないことに遅まきながら気づく。

 四天王を梳った際に伝説となった、叫びバージョン。いちファンとしてゆずもその購入を行おうとしたのだが学校帰りには百合曰く、びっくりするほど作って貰ったですぅ、なそのCDも売り切れの様子。

 むしろびっくりを上回る嘘みたいな数になった百合の新参ファンたちの圧倒の後には、それ以外のうちわやペンライトのようなグッズどころか展示用の店長手書きポップすら剥がされ持っていかれてぺんぺん草一つない。

 これには、ゆずもこう述べるしかなかった。


「うふふー。まるで蝗害の後みたいだー」


 そう。これはもう、理性の壊れた人らの跡。焦がれに焦がれて、同一化欲求に壊れ切った者どもは、総じてこのような動きを取るもの。

 それくらい、カシマレイコが引き起こしてきた奇跡の裏返しの悲劇からゆずだって学んでいた。


「つまり、この世はばったばっかりってことだねー! ばったんばったん!」


 そこから、彼女は人の本質が混乱であることと彼女なりに理解し、相変わらずだなあと苦笑い。

 ゆずはむしろそんな終わりの空の下を楽しみながら、ぴょんぴょん跳ねる真似して遊びだすのだった。


「ん。杉山。とうとうおかしくなったか?」

「ちっち、レオくん。おかしいのはばったんばったんしていないレオくんの方だぜー! ほらレオくんもばったんばったん!」

「こうか?」

「おうっ、流石は百合ちゃんに捧げるためにとオタ芸も嗜んでいるレオくんだけあって、ばったんもどこかダンシブルで……あれ、それー」


 ばったんばったんとCDショップの前で跳ね回る元同級生男女。

 縄跳びの縄でも通り過ぎること叶わないだろう低空飛行ぶりの杉山ゆずに反して、キレキレの笹崎玲央は最近ファンとして百合に合わせるようにゴシックファッションに身を包み無駄に蛍光に映えていた。

 そんなツッコミ不在の二人の無限ぴょんぴょんに、しかし静止の契機となるひと声がゆずから漏れる。


「なんてこったいー。レオくんったら抜け駆けだよー!」


 そう、彼女は見つけたのだ。玲央が当たり前のように裸で携えていた百合の限定版CDを。

 あれは私が手に入れる筈のものだったのに。そう考え途端人目を気にせずずるいずるいとし始めるゆず。

 人にそうレッテル張り付けるよりもよっぽど彼女の本質こそ混乱のようであるが、実のところ。


「ああ。確かに俺はちょっとズルをしてこのCDを手に入れた」

「どーして買えたのー?」

「予約だ」

「えー! そんなのわたし、考えもしなかったよー。ずるっこだ!」

「そうかもな」


 なんて奴だというなんて奴だなゆずの視線に頷く、ズルも何も正規に予約をしていただけの玲央。

 だがまあ、その予約も親戚であるこのCDショップ店主が融通して可能になったものであるからには、彼の気が引けるのも仕方のないことだろうか。

 と、駄々っ子の前で頷いた彼は手に持っていたそれを彼女に渡し出す。

 恐る恐るそれを受け取ったゆずは、その中身をおもむろに引っ張り出して確かであることを認めてから、こう問った。


「……いーの?」

「ああ。これは百合の友である杉山が持つべきものだし、それに……」

「それにー?」


 勿体ぶった言い回しに素直に首を傾げるゆず。化粧が以前より上手になったホワイトロリータに埋もれた彼女は存外可愛らしい。

 また、彼女は本質よりも今を知らない変わり種だ。それを美点と捉えるこれまた最古の百合ファンは、似合わぬニヒルな笑みを浮かべながら、こう続けるのだった。


「これは布教用で、まだ二枚別に保管しているから大丈夫だ」

「やだー、お昼ご飯のための五百円玉を一昨日からCD一枚分集めたせいで腹ペコふわふわなわたしと違って、レオくんったらお金持ち!」

「ん……杉山。何か飯、奢ろうか?」

「えー。レオくん、ナンパー?」


 限定版、とあればそこそこ値も張り購入のために身を削るのも学生ならば仕方ないところがある。

 だが、バイトで懐に余裕のある玲央と違い、どうにも先から獣の鳴き声のようなものを腹部から響かせていた、現在喜色の塊であるゆずの懐はちゃりんちゃりんとしているばかり。

 それを哀れに思った彼の言葉に、しかし彼女はにへらと嬉しそうに初ナンパと受け取り冗談じみた笑顔で返す。


 すると、ただの一般人である切り込み隊長笹崎玲央は、ただの一般人である蕩けた平温杉山ゆずに向けて。


「ああ……それでもいい」


 はじめて優しく、微笑んだのだった。


「へ……へぇー」


 纏う白色の上に、顔は赤く。

 本心は同じく一つどころに向いていたとしても、それでも沸き起こるこの熱量は本物で。


「……本気に、しちゃうよー?」


 ま白い少女はま黒い少年の袖をぎゅっと握る。

 これがもしあの子だったらと思わずにいられなくても、それでも胸元のときめきは本当で。


「ああ」


 そっと、彼は彼女の手のひらを握る。


「ん」

「えへへー」


 好きの隣の好きも好き。

 きっと恋模様はこうやって、はじまってもいいのだろう。





『あ、百合ちゃんー。わたしレオくんと付き合うことにしたからー』

「なんですとぉっ!」


 私が先に告られたのですがぁ、とそれを聞いた崇拝相手の驚きを他所に、信者たちの交わりは健全で。

 初デートのファミレスのセットにあった玩具のリングを嵌めて光に硝子を透かしながら彼女は。


『あははー、百合ちゃんありがとー』


 幸せそうに、心から貴女を愛せて良かったと思うのである。



「百合だって、ありがと、ですよぉ……」


 地獄耳にも聞こえないくらいにその声は小さく笑い声に飲み込まれて。


 ただ間違いなくこうして、地獄の蓋の隣に生まれる、恋もあった。

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