第十二話 安心してね

 偶に幻想物質ではなく、タンパク質等を主にして創られてしまった地獄の蓋であるところの町田百合。

 本来無機質であるべきなのに、熱情によって活動的に動いてしまっている彼女は、存外見目を気にしていた。

 まあ、その目を開けばどんな格好をしていようが台無しになってしまうのだが、それでもオシャレを気にするくらいにはコレも女の子をやっていたから。


 それは祝日直後の日曜日。街の奥のちょっとディープな趣味を凝らせたような通りに、百合の小さな姿があった。


 ツインの尾っぽを真っ赤なリボンで括って、頭頂には真っ黒ふわふわのヘッドドレス。いつもより強く瞳を封じているのは、革製の眼帯。

 そんなどうにも刺激的な衣装を纏めるのは、フリルとレースで彩られた華美なふわふわ衣装。ヒールの高さを少し気にしながら、真っ黒つま先をアスファルトにトントン。

 そう、百合は今日も今日とてお気に入りのゴシックロリィタファッションを纏っていたのだった。

 化粧っ気の薄い、けれども極まって白い頬を膨らませながら赤い唇を尖らせ、百合はつぶやく。


「ったく、どうして百合が好きな感じのヨーフクは高えのですぅ? お小遣いじゃ足りないのばっかですぅ」

「だねー。そもそもゴスロリっぽいの扱ってる店殆どないってのに、ひどいよねー」

「ですよぉ! 最初桁数間違えて高えの持ってったら笑われたですぅ! 店員もなってないですよぉ」

「まー、百合ちゃんちっちゃくて可愛いからねー。子供が間違えたと勘違いしたんじゃないかなー」

「っ! ゆず、百合は可愛くねぇですよぉ!」

「はいはいー。百合ちゃんは地獄的美人さんだよねー。格好いいなー」

「ですぅ」


 店から数歩先にてぎゃーぎゃー喚き、挙げ句何故か格好いいと言われて満足げな百合を、にこにこしながら杉山ゆずという少女が見つめる。

 少女のうなじからぴょこんと出た一房をすら愛らしいものと見定める、そんなゆずは百合のファン。

 この、アイドルという存在が根付ききっているこの世界の当然として、仰ぐべき一人を推している少女の一人だった。

 所謂にわかファンであるがゆずはそこそこに熱量が高いフォロワーでもあり、百合に合わせた真白なロリータファッションに身を包んで休日を百合とともに過ごすのが彼女の最近の楽しみ。

 なんともいじらしくて可愛い子だなあと、ゆずは百合でもって日々愉しんでいるのだった。


「それにしても、出来るからって、百合なんかに委員長とか任せないでほしーですぅ。おつむの足りない連中を纏めるのが面倒ですよぉ」

「百合ちゃん頭いいからいいなー。わたしなんか、早くも志望校は無理って言われたよー」

「いや、あと一年よりもっと時間があるってのに、そいつもダメですねぇ。ゆずだって、やる気ねぇだけですから、無理ってことは何もなさそうですがねぇ」

「そーだよねー。百合ちゃん優しいー!」

「こら、優しいもねぇですよっ! ……聞いてねえですぅ!」

「うふふー。そうだよね。わたし、やれば出来る子だもんー」

「やれやれ。そういうのは人に言ってもらうものですがねぇ……ま、百合もアンタがやってもダメな子じゃないと思うですよぉ」

「ふふー。ありがとー。ゆず感激ー!」

「わ、引っ張るなですぅ!」


 白黒際立った二人は人混みの中をゆるりひらひらと歩みながら、談笑する。きゃあきゃあうふふと、甲高さは擦れ合って人通りに響いた。

 その大体の題目が学校の授業等にまつまるものとなるのは、学生の自然だろうか。しかし、それ以外にも変わり者二人は話題を広げる。

 特に、ゆずが気にしたのは、トレーニングセンターでの百合の一幕についてだった。

 ワンピースをさざなみのようにひらり。そばかすを白化粧の裏に隠したまま、ゆずは問う。


「へぇー。百合ちゃんって意外にもセンターだと下手っぴな方なのー?」

「まあ……そうですねぇ。キレとか艶とか、そこら辺以前に基本がまだまだなんですぅ」

「えぇー。前玲央くんに押し切られて歌ってくれた時、すっごいと思ったんだけどなー」

「はんっ、私なんてまだまだですよぉ」

「そーかなー?」

「そーなんですぅ……認めたかねぇですが、認めないと進めねぇですからぁ」

「へー……」


 現況を嫌い心よりの苦渋を表に出している百合に、ゆずはただへーとだけ口にしてぽかん。

 何しろ、そこそこ音痴のゆずには、百合のそこそこ歌唱とテレビから流れる彼女らの上手の違いがあまり分からない。

 だから、その内にそっちに行くのだろう少女の懊悩になんて価値を見いだせなかった。何しろ、いい経験程度で思い起こされる下手の記憶なんて、他人にはどうでもいいものでしかないから。


 しかし、等の百合には今のダメが恥ずかしい。黒を捩って思わず体を抱き、花の如き襞の数々を揺らがせながら、不安そうに彼女は一つ口にする。

 無垢はだからこそ穢れた内を隠すが、そのことすら嫌ってしまえば己に価値を見いだせない。

 一輪の黒い薔薇は、消し炭のような暗黒は紅き発声の先端を歪ませる。


「……幻滅した、ですかぁ?」

「んー。そんなことないけど、どうして?」

「いや、アンタは百合が思ってたよりダメダメだって知ったんですよぉ。そこ、ゆず的にはどうなんですぅ?」

「んー……ゆず的にはねー」


 そして、休みだけお洒落さんな在り来りの乙女は、隣の子のダメを知って、どう感じているか己の内を撫でてみる。

 しかし、それこそ襞の足りない、普通一般であってはダメの意味すらふわふわと指先をすり抜けるばかり。

 だから、その文句に大事を見いだせないゆずは、ただそれを口にした少女をまっすぐ認めてみる。

 すると、顔の多くを隠しながらもとても不安気な愛らしいばかりの百合が、等身大でただ一人。目の前にぼっちにあるものだから、思わず笑顔で彼女は言ってしまうのだった。


「すっごい百合ちゃんになっちゃう前に、今の百合ちゃんとお友達になれて良かったと思うなー」


 そう、この華は今大げさではない。だから近寄って推してみたいと思えたものである。

 もっとでっかくすっごくなっていたら、推すなんて以ての外だったかもしれないから、今くらいでいい。それでわたしは友達に思える。


 友情とは、愛足らず。健やかに隣り合えれば、気持ち悪くさえなければそれで良い。

 そんなに大切に、真剣に思わずとも、それでも友情はあるものだから。


 そう、たとえこの世に愛がなくとも、友はあるのだとは胸を張って言える、そんな少し普通一般を拗らせているゆず。

 それでも笑顔は作れる少女の隣で、人を避けながら歩む百合は上手く笑顔を返せないで寂しく呟いた。


「友達、ですかぁ……」


 ハリネズミのように対する者には棘を向ける百合だが、しかし柔らかに自分に向かってくる者にまでは喧嘩しない。

 それどころか、これまで嫌われてばかりだった彼女は、好かれた相手にはむしろ甘々になってしまうところすらあった。

 そんな百合だからこそ、悩む。だって、友情にはそれ以上のものを返報してあげたいから。

 何しろ、自分なんて最低値の存在を友としてくれるような変わり者、どれだけ珍しいことか。

 そんな稀有には、いくらでも欲するものをあげたくなる。でも、それをしたくても、自分は空っぽでありむしろマイナスで。


「ああ」


 百合の思考は何時だって、瞳の裏に燃え盛り続ける地獄に行き当たる。

 これを見せたら友情なんて淡い代物一発で壊れてしまう。それだけではない。恋も愛も大概のものが私を否定するに違いない。

 そんな抜群の負を持った自分なんて、本来他人を愛すことなんてしてはいけないし、友すら作ってはいけないのだろうが。


「眩しい、ですねぇ」


 でも、思ってしまったのだ、この世の全てを光と採って、それを何より尊いものと。

 天は輝き、それにあてられた全ては熱を持ち、キラキラ反射し蠢いて意味となり。そんなこんなを愛す。


 だから、地獄を隠している今が、愛に燃える心が、辛くて痛い。

 ま白い乙女に、百合は言う。


「……私は、友達にはあまり隠し事をしたくないと思うですぅ」

「んー。わたしはそう思わないなー」

「……どうして、ですぅ?」

「だって、突然百合ちゃんの今日のパンツの色とか言われてもゲロゲロだしー。そもそも、よく知らなくったって友達くらいやれるもんだよー」

「そういうものですかぁ……」

「そーそー。ちなみに私の今日のパンツは白色ー!」

「はっ、ゲロゲロですぅ……」


 白が白を隠す。そんな当たり前を聞いて、黒に黒を秘める少女は閉口する。

 でも、真をばかり語っているゆずは、間違いなく真剣だった。


 ある友には憧れの百合の対になるように纏った似合わぬ白を笑われた。けれども、怒り過ぎた後にはまたお友達をやれている。

 それは、相手の言葉を本気にしていないから。言葉の表だけが全てではないと理解しているからだ。


 わたしは可愛いと思い込みたい乙女は、そのために不明な己を飲み込む。みんなが、わたしがなにかなんて分かんなくてもいいじゃん、と嘯いて。


 しかし、それはまっくろくろすけにはとても白すぎる言葉。

 嘘のような漂白に、己の汚れを付けたくなくても、それでも苦しみながら百合はこわごわ問うのだった。


「ねぇ、ゆずぅ……アンタは、ずっと私の友達を、やれますぅ?」


 もしかしたら、でもきっと。この子は強くはないけれども、それなら地獄を知っても忘れてくれるのではないか。

 それは錯覚。どうしたって強さがなければ死後を受け容れられるはずもない。そもそも、永遠の約定なんてこの世に一つもなく。

 だから、当然ゆずのこたえは一つだった。


「それは、無理ー!」


 あはは、と笑みながら少女は言い切る。

 そして、その後に目の前のふわふわ黒色の百合が萎れてしまう前に、彼女は畳み掛けるように続けた。


「わたしに先なんて分かんないよー。だから、ずっとは無理だと思う。でもねー」


 そう、今を走る少女に明日なんて価値はない。この一歩にこそ大事があり、刹那こそ生きるべき。

 そんなものを哲学にしていなくても、当たり前にのんべんだらりとゆずは生きていて、故に将来の夢も約束も皆無で。


「もし明日のわたしが百合ちゃんを嫌いになっちゃったとしても、今のわたしは百合ちゃんのこと大好きだからー……」


 だからこそ、今を串刺しにして、百合の前に差し上げられた。

 はいどうぞ、と渡された友愛にぼうっとする少女を前に、ゆずは微笑んで。


「今だけは、安心してねー」


 それだけは、約束出来たのだった。



 瞬き。きっと涙は出ていない。そもそも革の眼帯に目隠して縛した自分が汁を滴らせることなんて無理。

 でも、それが或いは良かったのかもしれないと、百合は思う。

 努めなくては泣きそうになるなんて、それが出来ない身体とはいえ、嬉しいもの。


 友情に、一人ぼっちではない今の大切さを当たり前のような友人から知った百合は。


「はっ、言われるでもねぇですけど……ありがと、ですぅ」

「わー、百合ちゃんデレたー! レアだー!」

「止めるですよぉ、百合はデレたりなんてしねぇですよぉ!」

「今度はツンだー! いつも通りー!」

「くっ、めげねぇ相手ってのも面倒ですねぇっ!」


 とても綺麗に笑んでいた。

 それこそ、そこらの偶像なんて、裸足で逃げ出してしまうくらいに、天使的に。



 勿論、それは地獄の尖峰である悪魔に近い生き物であるからには、嘘であるのだけれども。



「なあ君」

「はぁ、なんですぅ? 道を聞きたいなら、おのぼりさんな百合たちより他に良さそうな奴が……」

「いや、そういうこととは違う。君は……」


 錯覚したくなるくらいには、その時の百合の心よりの笑顔は千金の価値を感じさせるものである。

 だから、彼は迷わず少女に名刺を差し出して。


「アイドルに、興味はないかな?」


 ぽかんと口を開ける百合に向かって、そう問ったのだった。

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