第十話 勘違いヤローども

 町田百合は悪辣な視覚情報である。一度奥まで見れば、終わりを知る。最果ての地獄を孕んだ生き物など、蠢くべきですらないかもしれない。

 そんなものが眼帯をつけて偶像になりきろうとしているのだ。当然、無理が出るというものである。


「あぐっ!」


 地熱に由来する熱量は高い。規格も人間用のものではないから頑丈だ。

 だが、それ以外の尽くが地を這うような低能。魅力は端から皆無と言えた。

 それが、綺麗を身に着け、美しさに挑もうというのだ。どうしたって、歪まざるにはいられないものがある。


「……このぐらい、ですぅ」


 それは、心。挑むように見上げ続ける、その精神。気高さにすらほど近い、己を見ない意地っ張り。

 そんなものを維持し続け、それで友愛なしで満足するのは、この上なく難しいこと。

 親の愛はある。でも、それに安堵するのは違う。むしろそれに報いるために一人で無理に立とうとするから、痛くて仕方ないのだ。

 愛を振り切り、歩むのは辛い。


「一人でも、負けねぇですぅ」


 そして、喪われた先達の精神を継いで、輝くために生きる。それがどれだけ少女にとって孤独なものか。

 これは地獄の蓋だ。けれども、それでも残酷なことにその中心にあるのは少女の魂である。


「熱いぃ……!」


 幾らそれが日々地獄に鍛え上げられようとも、それでも足りることは決してない。

 心が熱にくすんで真っ黒けになってもそのくらいで、百合の心は満足することはなく。


「ら、ら~♪」


 今の彼女は音符一つにすら足りない、たったひとつの黒点だった。




「町田。俺、お前が好きだ」


 しかし、此度点描画な世界にて、鮮やかな青が黒に寄る。

 それは笹崎玲央という男子。目鼻立ちが普通に整っており、しかし低めの身長とニキビの多さが憧れるには足りない、そんな少年である。

 同じ中学校、ただの同級であるだけの彼の突然の告白に、校舎裏という人目のない場所に呼ばれ臨戦態勢であった百合は眼帯奥の目を細めて言う。


「……あんた、誰に言わされたですぅ?」


 百合は、恋愛はしらなくても自分が嫌われているということは知っている。そして、別の観点からすると眼の前のこいつには熱量がないとも理解できる。

 だから、これが言っているのは本心でないだろう。初告白にちょっと高鳴った胸元に苛立ちながら、玲央の答えを待った。


「ああ。まあ……バレたか。これ、罰ゲーム。ゴメンな」

「はぁ……ったく、仲間内のお遊びに私を巻き込むな、ですぅ……普通は好きだとか嫌いとか、ぽんぽん投げつけるもんじゃないですよぉ。はしたないですぅ」

「それは、もっともだな。改めて、すまん」

「謝るくらいなら最初からやんないで欲しいですけどねぇ……まあ、許してやるですよぉ」

「それは、助かる」


 そうすると、彼は肩をすくめてから頭を素直に下げる。罰ゲーム、という響きになんとなく友情的なものと憧憬を覚えながら、百合は文句をつける。

 それに頷き、素直に言葉飲み込んで謝る玲央。なんとも与し易いが、あんまり手応えがなくてつまらない奴だと、少女はこっそり思うのだった。

 百合は、そういえばと不思議に思ったことをついでに訊いてみる。傷から転じて艶まで出るに昇華させた得意の唇をくちばしに変えがら、彼女は問った。


「にしても、どうして百合なんですかぁ? 私以外にも、女子で嫌われてる奴いそうなもんですがねぇ」

「うん? 嫌われ……いや、それは違うぞ」

「どーゆーことですぅ?」

「いや、町田は別にそんな嫌われちゃいない」

「はぁ?」


 首を傾げる百合。だが、玲央は、自らを嫌われ者と自称する少女を否定する。

 よく部活動のために日に焼けた額を歪めて、彼は言った。


「お前、それどこか結構モテてるぞ」

「はぁ? 私が、ですかぁ?」

「ああ」


 素っ頓狂な返しに、律儀な頷きで応じる少年。その言葉の意味が、百合にはよく分からない。

 もてる。持てるという訳ではなく、モテる。殺意や悪意には好かれてきた身の上ではあるが、そうでなく好意を寄せられているなどと、少女は思わなかった。

 いや、だってこれまで男子と言えば煩い自分に文句をつけるか、それとも意地悪してくるかのどちらか。イジメを率先してやらされていたのも、男どもだったというのに。

 それがどうして今更手のひら返して、好意を向けるのか。それが本当に百合という心歪みきった乙女には不明だった。


「意味不明ですねぇ……ナメてた奴に文句つけて女子どもに総スカンされてから、男子にだって交流特にしてなかったですがぁ?」

「いや、トシ……俺の友達が言うには、町田って何だかスカしてるところが良いってさ」

「はぁ? 変わったヤツもいるもんですねぇ……」

「それだけじゃないぞ。なんか、目悪いみたいだけど、町田って普通に美人っぽいじゃん」

「いや、眼帯は目が悪いからつけてるって訳じゃ……それに美人って……正気ですぅ?」

「ああ。なんか最初は背も曲がってて動きトロかったけど、今はなんか格好いいよな。なんかダンススクールに通ってるとか聞くけど、普通にこんなに変わるのすげぇよな」

「はぁ…………知らぬ間に私も変わってたのですねぇ」


 人は変わる。それがまさか自分にも当てはまっていると百合は思っていなかった。

 なにせ、心根は変わらず底辺で腐っているまま。全てを見上げて挑んで、そして凄いなと感嘆を覚え続けている。全ては自分なんかより幸せであっていいと思い込んでそのまま。

 それなのに、知らぬ間に誰彼に凄いとされるほど見目の変貌を自分が遂げられているとは、想像もしていなかったのだ。


 だが、実のところ百合は姿勢や表情の魅せ方をトップアイドルたる先生から学び取って、自然と身に付けていた。

 そしてそれだけでなく、普通に彼女は母ゆずりの綺麗を持っていて、それがこの頃花咲いた頃合いでもある。

 それを思えば、少女が今のところ異性ばかりにとはいえ、見惚れられるようになってもおかしくも何ともない。


 ちなみに、両眼帯にて目が見えないところも、思春期男子は肯定的にとりがちである。むしろ一部過激派は、隠してるからいいだの、なんか秘めてそうで格好いいだの抜かしてすらいる。


 そう、その実の地獄を知らず、周囲は存外天国をすら想起して、湧いてすらいたのだった。

 これには、自分の大きなマイナスを知っていて、隠している負い目すらある百合は苦笑いである。


「まあ、それにしてもあんたもよくも私をおだてあげるものですぅ。嬉しくはありますが、だからといって付き合ってやるのは違うですよぉ」

「ああ……そうか。まあ、本当のこと言っただけだけど、断られるのは、仕方ないよな」

「……なんかあんた、大丈夫ですぅ? 素直すぎるというか……騙されやすそうでちょっと心配ですねぇ」

「そうか? まあ、心配するあたり、町田も大概いいヤツだよな」

「はぁ? 百合がいいヤツとか、狂ってるですぅ?」

「いや、普通に実はいいヤツと思われてたりするぞ、お前。俺も、町田なら罰ゲームでの告白だってバレても大事にしないだろうからってやったんだ」

「ふわぁ……とんでもねぇ勘違いヤローどもの巣窟だったんですねぇこの中学ぅ……」


 いいヤツ呼ばわりされて、心の底からドン引きする百合。見目はまだ許せても、内面に関しては自己評価が底辺な彼女である。

 そもそも他者が怖いからって棘ばかり向ける自分が好かれる筈もないという考えが、百合にはあった。ハリセンボンを好む奴など好事家くらいだろうと。

 だがしかし、一度水族館にハリセンボンを浮かべてみれば子どもたちの人気者にすらなり得るだろうのと同じように、周囲に等しく優しくつんつんするだけの少女は意外と可愛がられていた。

 ツンデレ、という言葉が死語に近かろうともそれに近いものとされて、隠れた女子人気もそこそこあるのである。


 勿論、そんなこんなは理解の外で、ただ意味不明な自分が好まれている異常事態に気持ち悪くすらなってきた百合。

 彼女は、思わず言うのだった。


「全く、この程度な私が好かれて良いわけないですのにぃ……」


 そう。根本的に不足にあえぎ続けていた彼女は未だに希望する高みを望んで苦しみ続けている。

 百合なんてダメでダメでだから、辛い。本心から湧き出たその呟きは、故にあまりに悲しげに聞こえてしまう。

 それを聞いた素直系男子は、ぽつりとこう返すのだった。


「いや、俺結構今のお前好きだわ。今日話せて良かった」

「……こんな、ダメな百合でもですぅ?」

「ああ。イカしてるよ。付き合うには、正直なんだか面倒そうだが……」


 正直男子は、面倒と言いながらも、しかし目線を先より強いものにしている。

 百合はふと、思った。あれさっきよりずっとこいつ熱量を強くしていて、それこそあっちっちなレベルであって。もしかしてこれは。


 期待を持った少女に応じるかのように、見事素直に玲央はこう言うのである。


「まあファンには、なれるな」


 それは、アイドルですらない、ただの町田百合のファン。

 何もかもを貶したアイドルとして、この世で一二を争うほどに有名になる百合の、その記念すべき第一の応援者であり、最後までそれを止めなかった数少ない一人。


「頑張れ、町田」


 ああ、これは友達ではなく、ちょっと遠いけれども。それでも嬉しいことには違いなく、ましてやこれじゃもう自分は孤独なんて言えなくなってしまって。



「……はっ。ファンいち号さん、せいぜいこれからも宜しくですよぉ」


 だから、百合の強がりも、どこか弱々しいものになってしまうのだった。





「おお、町田ー! オレもお前のファンになったぜー!」

「私も私も! 百合ちゃん実はこっそり応援してたのよー」

「格好いい……」

「ふぇ?」


 ただ、応援だって度が過ぎれば慣れぬ少女には毒であり。


「……なんか私の取り巻きが出来たんですが……どういうことですぅ?」

「いや、俺が町田のファンやってるって言ったら、増えた」

「てめー! なんだってゲロゲロ素直に吐くもんじゃねーですよぉ!」

「すまん」

「っく! 仕方ないですねぇ……」

「わ、また百合ちゃん玲央くんにやり込められてるー! ホント、ツンツンしてるけど百合ちゃん弱いよねぇ。かっわいー」

「うっせえですぅ!」


 でも、それすらを楽しんで笑顔になるような日常も、あったのかもしれない。

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