【第ニ章・邂逅篇】



2


 政治家を相手にし、時にスキャンダルの尻拭いをする官僚の帰宅は遅い。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 財務省官僚の桜俊一さくらしゅんいちが帰宅すると畳の藺草の香りが鼻を満たした。妻の花子が背広を脱がす。住まいも家族も純和風だ。

遅めの夕飯をとりながらお茶の間でテレビを点ける俊一。

画面の向こうでは、野党議員と官邸官僚がテーブルを挟んで対峙し、壁の野党合同追及チームなる張り紙が存在感を示す。

その絵面の中に俊一の姿もあった。マイクを持ち俯き加減でレジュメに目を通す。

「東邦新聞政治部の磯月望子いそつきもちこです。きょう国会第一議員会館では桜を見る会の疑惑に関して野党合同ヒアリングが開かれました。労働党から蘇我和成中央執行委員長。護憲民衆党から船橋喜彦幹事長、国政民衆党から矢本シオリ政調会長、令和奇兵隊から山彦太郎共同代表が参加しました」

「開催費用は特に2016年から2019年にかけての三年間に加速度的に膨れ上がり、参加費で足りない経費は官邸側が補填した疑いがあります」

 結局合同ヒアリングは二時間にも及んだ。

俊一はため息をつき、自身が悪役として報道されているニュースを消す。現在内閣官房に審議官として出向している彼は物部政権のスキャンダルで針のむしろだ。

香子きょうこ凪子なぎこはどうしている?」

 俊一にはふたり娘がいて、姉を香子、妹を凪子と言う。

「凪子は部屋で受験勉強です。香子さんは寝ているのではないですか?」

花子にとって香子は連れ子だ。可愛くないのだろう。一方凪子は東大を志し、国家公務員を目指している。姉妹は比較される比較されることが多かった。

「ちょっとふたりに声をかけてくるよ」

「あらお父様。おかえりなさい」

「ああ。ただいま」

 凪子はシャーペンを置き、顔に手をやりうっとりとした顔になる。

「聞いてよ、お姉様彼氏ができたみたいよ。年下みたい」

「ほう、身持ちが固いと思っていたが」

 続いて襖の向こうの香子へ呼びかけてみたが、返事はない。

 少しだけ襖をずらすと、香子はパソコンの前で突っ伏して寝ていた。

画面には秋津悠斗のSNSが表示されていた。


3


将来の夢は?

そう悠斗が電子画面越しに訊ねると、香子は遠慮がちに図書館司書と答えた。

『でも図書館司書ってほとんど非正規なんだよね』

 これには人材派遣会社パーソナルリクルートサービスを務める竹内蔵之介たけうちくらのすけ元参議院議員が少なからず関わっている。まず経済学者としての竹内が国の借金を喧伝し緊縮財政を唱える。次に国の民間委員としての竹内が官公庁などの民間委託、雇用の規制緩和を実行する。そこで人材派遣会社会長としての竹内がすかさず名乗りを上げる図式が完全に出来上がっているのだ。

 職業に貴賎なしというが、司書は責任ある仕事だ。図書という人間の英知の結晶を扱うのだから。それが非正規なのだという。

一方自分はどうか。竹内が政府高官に抜擢されたのは、紛れもなく大泉政権、そして秋津が尊敬してやまない物部政権の時だ。責任の一端は保守党を支持している自分にもあるのではないか? 

恋人のささやかな夢を奪う政治こそ賤業に間違いない。

『俺の将来の夢は、政治家です。竹内を首にして貴女をファーストレディとして迎えに行く』

 メッセージを送り終えて、ふと冷静になる。

 なんて恥ずかしいメッセージを送っているんだ、俺は! 

 この過ちは電子画面越しにコミュニケーションを済ませるSNS世代ゆえか。

 赤面して七転八倒したが、意外にも香子は冷静だった。

『そう言えばジョーカー大統領も側近を首にしているらしいね』

 米国不動産王のワンマン大統領と比較され、言葉に窮した。

でもはっきり言ってくれる香子が好きだ。

『お父さんが国会議員だからホラじゃないことはわかるよ。だからこそ今の悠斗君、ちょっと怖いなあ。無敵なんだもん』

『……ごめんなさい』

 悠斗は素直に謝った。この素直さが年上の香子を射止めたのだろう。

「悠斗君、あなたはどんな政治がしたいの?」

 政治家になって何がしたいか。悠斗は答えられなかった。

『私からの宿題ね。総理大臣として何がやりたいか、何をやるべきか決まったら、ファーストレディになるから』


4


入党手続きは済ませた。今日は待ちに待った選挙スタッフとしての初陣だ。

 演説場所を押さえに行くと護憲民衆党陣営が先に駅前ロータリーにいた。

「偵察行ってきます」

 幸い悠斗はそこまで顔が知られていない。そもそも顔が文彦と似ていないので気づかれないのだ。

「そんな大げさに構えなくていいが、まあついてきなさい」

 野党第一党護憲民衆党幹事長にして前内閣総理大臣の船橋喜彦ふなばしよしひこがそこにはいた。

 演説場所の交渉に向かう最中、悠斗は文彦とはぐれてしまい、握手を待つ聴衆の列に阻まれる。そうこうしているうちに握手の順番が回ってきた。間際に悠斗は腕章を隠し忘れていたのに気づく。

「若い力を貸して下さい」

 船橋は片目を瞑り、それを隠すように指先でジェスチャーしてみせた。

「どうぞ聞いていって下さいね」

 敵陣営だとばれたが、なんと船橋は演説を聞かせる度量を見せたのだ。

 船橋の演説は堂々と、それでいて言い含める落ち着きがあった。

「北朝鮮からミサイルが撃たれた時、物部首相は何をしていましたか?」

 花見! 聴衆が怒りを込めて投げられたボールを返す。桜を見る会のことだ。

 双方向の声が野党と市民を熱い塊に練り上げていく。

 正義感に満ちた演説に体に流れる血潮は熱くなるものの、すんでのところで保守党党員としての党派性が働き、悠斗は葛藤していた。自衛隊の強化を謳う物部が危機管理の立場から野党に批判されるのも情けない話だ。筋は通っているが今は素直に頷けない。

 演説を終えると、船橋陣営はロータリーから潔く引き揚げた。

「政治というのは、まあ単純な右左だったり与党野党の図式じゃないというこっちゃ」

 文彦は煙草を吹かしながら語る。

例えばとある市議会の候補には保守党から公認を得るにあたって二十人の党員勧誘ノルマが課せられる。結果公認を得た保守党市議会議員は二、三人。公認を得られなかった党員は隠れ保守党員となるのだ。

むしろ市町村議員には党派性を超えての仕事が求められるから保守党の色が邪魔になるのかもしれない。公民党や労働党は所属を明らかにするが。

これが都道府県議会、国会議員となるにつれて党のカラーが濃くなるのだ。

色は、派閥という形で党内でも分かれている。

 物部泰三もののべたいぞう総理大臣率いる最大派閥の静和会。

 青梅一郎おうめいちろう副総理兼財務大臣率いる保守本流の志功会。

 岸本勇雄きしもといさお外務大臣率いる官僚出身の公池会。

 茂手木敏正もてぎとしまさ経済産業大臣率いる叩き上げの平成塾。

 因幡守いなばまもる元幹事長率いる少数派閥の月光会。

 石井伸之いしいのぶゆき元幹事長率いる少数派閥の未来政治研究会。

 そして御屋敷芳弘おやしきよしひろ幹事長が率いる師範会に秋津文彦はいた。

 秋津文彦国土交通副大臣は保守党御屋敷派のニューリーダーであった。その彼は選挙カーの助手席から愛想よく手を振る。

 今日の主役は衆議院議員候補の秋津文彦と、応援弁士は自派の御屋敷幹事長と岸本派の森田正好もりたまさよし農林水産大臣だ。

「マイクテストマイクテスト。駅前ご通行中の皆様、お騒がせしております」

 丁度その時、御屋敷幹事長を乗せた黒塗りの高級車が駅前ロータリーになめらかに滑り込んだ。

「やっば御屋敷さんはいけすかないなあ。都会と選挙区にばかり道路を通しているんだもんなあ」

 国土交通大臣の秋津文彦の持論は地方分権であった。土木建設に関して、自治体の頭越しに国に陳情が上がることで撒き餌となり、それが中央の官僚の権限を強めている現状を憂いていた。

「オヤジ、そのマイク入ってます」 

街頭演説を設営する悠斗に言われ慌てる文彦。

「おっと!」

 保守党国交族として国土交通大臣、経済産業大臣、党総務会長、党幹事長を歴任してきた御屋敷芳弘は黒塗りの高級車の中で皺だらけの顔を歪めた。


5


 床の間に置かれた刀から、ここが武家屋敷であることはわかる。

「秋津君、この雰囲気を見て、かなり異様に感じているだろう」

 船橋喜彦の出身校でもある世良田大学への進学を控えた悠斗は美咲に連れられ、政治結社自由芸能同盟のアジトに足を踏み入れた。

 それから玉川はクールジャパン機構を通じて如何に血税が春本事務所、パーソナルリクルートサービスに流れているかを話した。

 秘密結社に誇らしく掲げられた家紋は、丸に二つ引き。

 政府だの幕府だのに詳しい秋津悠斗は閃いた。

「そうだ。わしは管領斯波家の末裔に当たる」

 密かに政権に反旗を翻すことを企てている玉川芳彦は、室町時代栄えた武家の末裔であったのだ!

「わしはな、武家の名門としての誇りにかけて、アイドルたちを救いたい。そのためにはやはり、春本を放逐する必要があると考えている」

 秋津は即答できなかった。

それからの一年、特に大きな選挙もなく、秋津悠斗は勉学に勤しむこととなる。

 秋津は、大学の助手を務め戦史の論文で学会の注目を集めた国枝晴敏くにえだはるとし、秋津の高校の後輩でギフテッドの柏木神璽かしわぎしんじと勉強会をしばしば開く。意見を戦わせ、将来の登用を約束した。   

両名は国枝防衛大臣、柏木外務大臣としてのちに秋津政権の双璧を成すこととなる。

 御屋敷芳弘の国交行政

 財務省の緊縮財政。

 竹内蔵之介による地域振興予算の割り振り。

 春本健一による女性の性的搾取。

 それが物部政権を取り囲む一連の闇であると気づいたとき、秋津悠斗は得心した。

保守党を内側から変えなければならない!

 そして政府だの総理大臣だの権威ばかり見るのではなく、問題点にも目を向けなければだめなのだ! と。

 二歳年上の玉川は一足早く政権に斬り込んだ。

「次のニュースです。斯波家の子孫にあたる玉川佳彦氏がUENグループ、坂グループらアイドルグループの事実上の買収を発表しました」

 記者会見場では、西村美咲が冷静に、だが熱を帯びて物部政権を糾弾する。

 女性への性的搾取は世論に火をつけた。まさに炎上だ。野党四党はこの機に乗じ内閣不信任決議案を提出。当時のゆ党である国政民衆党も女性弁護士にして代議士である矢本シオリが政権を追及。報復として官邸は矢本シオリの不倫スキャンダルを週刊誌にリークした。

 国政民衆党と自由芸能同盟は連帯し人事交流を重ねる。のちに玉川は斯波高義と改名し二十六歳で出馬した。

 政権へのダメージで物部の退陣は秒読みと思われたが……







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