第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 3-7

「何がですか?」

「何もかもさ。……それに、僕は別に、絵を描きたくないわけじゃない」

「そうなんですか?」

 だったら、いつ描いてくれるんですか?

 そう尋ねようとしたが、中津川は「もうこれで話はお終い」とでもいうように、自分の腕を枕にして目を閉じてしまった。

 仕方なく、雪緒は寝台の足元に丸まっていた毛布を腰まで引き上げてやってから、ドアの方に足を向ける。

「あ、ちょっと待って、雪緒くん」

 部屋を出ていく寸前で呼び止められた。振り返ると、寝たと思っていた中津川が身を起こしている。

「忘れてた。今日よし香さんの部屋で寝る前に、ちょっときみにやっておいてほしいことがあったんだ。よし香さんの部屋を、例の絵が泣いた五日前とできるだけ同じ状態にしたいんだよ」

「同じ条件……?」

「そう。なんでも、絵に異変があった日は、部屋の暖炉に火が入れてあったりしたらしい。折角よし香さんの部屋を使えるんだから、なるべく細かく再現したほうがいいだろう?」

「ああ、確かにそうですね」

 曰く付きの品でも、条件が揃わないと何も起きないことがある。

 たとえば持ち主が身に着けていないといけないとか、特定の場所に飾らないといけないとか、そういう場合だ。中津川はその辺のことを考慮しているのだろう。

「分かりました、寝る前にやっておきます。この家の誰かに話は通してありますか?」

「英一さんには話してないけど、よし香さんに許可を取ってある。彼女が一番詳しいからね。準備に必要なものなんかも彼女から借りればいい。じゃあ頼んだよ、雪緒くん」

「はい」

 雪緒はしっかりと一つ頷いた。

 だが同時に、背筋がぞくぞくっとしてきた。何せ、これからたった一人で、あの不気味な絵と一晩過ごさなくてはいけないのだ。

「雪緒くん。やっぱりあの部屋で寝るのは怖いかい?」

 そんな雪緒の心を見透かすように、中津川は訊いてきた。

「そ、そりゃそうですよ! 大体の人が気味悪がりますって、あんなの!」

 精一杯強気の台詞を返してみた。が、怖いものはやはり怖い。抑えきれない恐怖が足元から震えとなって昇ってくる。

 すると、中津川はゆっくりと起き上がり、寝台から降りた。そのままなぜか雪緒の手を優しく取る。

「大丈夫だよ。僕がこの部屋で待機してる。何かあったら雪緒くんのそのかわいい声で僕の名前を呼ぶんだ」

 気が付けば、すぐ近くに癖っ毛だらけのぼさぼさ頭があった。雪緒のことをにやにやと見つめている。――からかわれているのだ。

「結構です! ぼく一人で平気ですから!」

 雪緒は渾身の力で中津川の手を振り払い、部屋をあとにした。


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