第14話 新たな復顔師(4)


「復顔で扱う軟部組織は、筋肉、脂肪、皮膚。それをこの灰色の粘土を使って、解剖学的な手順で再建していくの。どの部位から始めるかは人によって多少異なるけれど、私のやり方では、まず側頭筋。次に頬筋きょうきん頬骨きょうこつから下顎角エラ骨にかけて伸びる咬筋こうきん。そのあとで下顎骨かがくこつを覆う頤筋おとがいきん


 生吹は頭蓋骨の部位を指し示しながら説明し、「図が必要ね」と言って、自分のデスクから表情筋のイラストを取り、馬田の手元に置いた。


「適宜この図を参照しながら、実際の骨を無視することのないように。今からやって見せるから、よく見てて」


 生吹は、粘土をひと塊、板の上に置いてローラーで伸ばすと、側頭部に当てて手際よく指で塗り付けた。


頬筋きょうきんは、頬骨きょうこつの下のくぼみを粘土で埋めて作る。咬筋こうきんは、頬骨きょうこつの下から下顎角かがくかくに向かって下方に広がるように引き延ばす。三味線のバチみたいな形にね。ガイドのゴム柱は粘土で覆ってしまって構わない。但し、厚みが出ないように注意して。それじゃ、そこまでやってみて」


 やってみてと言われても、緊張で指先が冷たく、体が痛いくらいだった。馬田は指を鳴らし、首をほぐした。短く息を吸って吐く。


「そんなに緊張しなくても大丈夫。失敗したら、またやり直せばいい」

「はい」


 馬田は粘土を手に取り、今見せてもらった通りに手を動かした。普段から美術の仕事に携わっていることもあり、作業に慣れるまでにそう時間はかからなかった。思ったよりも難しくない、と馬田は思う。自然の摂理とでもいうように、粘土は骨に導かれ、導かれるままに指が動く。


 適宜、生吹の指導を受けながら、下顎骨かがくこつ頤筋おとがいきんで覆い、口唇の代わりとなる太い粘土を二本、口周りに置いて馴染ませる。頬骨の外側から口角に向けて大頬骨筋だいきょうこつきんを置き、眼窩をぐるりと粘土で囲む。


「土台はこれでいい」


 まだ筋肉を敷いただけの状態で、粘土で出来た人体模型のようだった。耳も鼻もなく、人間らしい顔には程遠い。


「これで本当に、ちゃんと出来ているんでしょうか」

「私がいいと言ったんだから信じなさい」


 生吹はそう言って、頬の筋肉を指でなぞり、表面の凹凸をなくした。


「見て? こうすると皮膚らしくなるでしょう。こうして脂肪と皮膚を作っていくの。粘土で覆われていない部分は、ゴム柱の高さまで粘土を足しながら表面を整えて。この作業が進めば、この人の顔が浮かんでくる。もう少しだから、頑張って」


「わかりました。やってみます」


 手を動かすうちに、生吹の言った通り、本当に人の顔らしいものが現れてきた。と、同時に、馬田は奇妙な感覚を覚えた。その感覚は、最初は気のせいだと振り払えるくらいの微弱なものだったが、そのうちに、はっきりと既視感と呼べるものにまで育ってしまった。気付けば額の汗も、熱いものから冷たいものに変わっている。


 段々、馬田の手付きが鈍くなる。

 そして、眼窩の周りをなぞる途中で、遂にその手が止まった。


 馬田は聞いた。その声は震えている。


「生吹先生、僕の復顔、本当にこれで合っているんでしょうか」


 生吹は小さく息を吸い、懺悔を口にするように答えた。


「君の腕は、確かだよ」



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