第9話 旧家の屋敷(3)
その日、塩野は蓮華荘のニュースを凝視しながら、卓上の手帳を握りしめた。これがなければ、娘と無関係だと思い直すこともできただろう。しかし、これがある限り、テレビに映る黒岩菖蒲は、自分の娘の皮を被った別人なのだと思い知る。
男物の小さな黒い手帳には、覚えている限りの三田園の話と、これまでに調べたことが記してある。三田園と別れたその後、どうにも気になって、自分の出来る限りを尽くしたのだ。
穴守温泉を利用し、風呂場で地元の人間と世間話をしながら、ニ十五年前の出来事を聞き込んだ。どうしようもなく感傷が治まらない時は、一期一会の人間を捕まえて、話を聞いてもらったりもした。
同じことを繰り返す中で、三田園の推理は覆るどころか、真実味を増していった。宿に現れるという突拍子のない幽霊話でさえも、推理の中で現実味を帯びた。
薄々、気付いていた。娘は恐らく、もうこの世にはいない。あの殺人鬼によって――自分の娘を偽る畜生によって――何年も前に、もしかすると、あの大雨の日に、既に葬られていたのかもしれない。
だが、そんな推測を真っ向から否定する証拠が、依然として存在するのも、また事実だった。元妻が残したあの手紙――娘が帰って来たと、実の母親が確認している。これ以上強固な生存証明はあり得ない。
この世のどこに、自分の娘を他人と間違える母親がいる?
この世のどこに、母親を騙して子供になりきれる奴がいる?
『母親が、「娘は生きている」と言っているじゃないですか』
そう言われて終わりだ。警察が納得する資料を提示する。そうでなければ、気違い扱いされるだけで終わる。昔、警察から連絡がある度に、元妻を迎えに行っていたあの頃のように。悲しくも警察とはそういう機関なのだ。塩野はこの目で見て、痛い程よく知っている。
数日後、博物館に届いた骨が、三田園のものだと報じられたとき、絶望と共に光を見た。遂につながった。そう思った。そう思った後で、歪んだ嗤いがこぼれた。人が殺され、娘の死を暗示する出来事に、光を見る。自分はどうかしている。正気なのかどうなのかもわからない。不意に泣けてきた。ぼろぼろに泣いた。
数日間、無駄な時間を過ごした。
でもそれは、必要な時間だった。
数日かけて、自分の気持ちを整えた。
今夜は最後の迷いを捨て、覚悟を決めるべく、ここへ来たのだ。
明日、あの手帳を警察に届ける。その時、本気で娘の死を、この世の事実として受け入れなければならない。ほんのわずかの間、娘と暮らしたこの家に、その覚悟を決めにきた。
塩野は暗闇の中、埃にまみれた居間に座り、娘に鎮魂の祈りを捧げた。
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