第3話 毒の王蛇

 岩をも砕く剛角を振り乱して突進してきたシカジカを薙ぎ払うように、一閃。

 巨木の枝葉のように広がった角だけを剣圧で手折ると、「ヒィン」と情けない声を上げ、群れへ逃げ帰って行った。


「イズモ様、お見事です」

「ええ、さすがイズモ様」

「シカジカ狩りを俺に任せて、お前らは何をしているんだ?」

「シュカの実拾いです」

「ロクロウ草摘みです」

「キリッてしながらドヤるな」


 俺たちはユニファに言われた薬材を集めるため、村に隣接する丘陵を訪れていた。

 一番の重労働を主人に丸投げして、キンとギンはさながら遠足気分らしい。たしかに天気は快晴で清々しい空気だが、何か違う気がする。


 持ち運びしやすいようにシカジカの雄角を素手でボキボキ砕きながら、思い返すはあの紙袋。


「……なぁ、紙袋の目だし帽って流行ってるのか?」

「「はい?」」


 薬屋で会った少女のことを話すと、キンとギンはお互いの顔を見合わせた。


「イズモ様が人前で兜を脱がないのと同じように、誰しも知られたくない顔の一つや二つはあるものです」

「顔を隠すものが兜か紙袋かは、大して重要ではありません」

「そういうものか」

「そういうものです。それよりも……ギン」

「えぇ、キン」


 二人はおもむろに荷解きをすると、鍋と雑穀米を手際よく取り出した。まだ昼には早いんだが。


「本祝いは祖国に戻ってから盛大に執り行いましょう。取り急ぎ今はこれでご容赦ください」

「キン、このルル豆を入れたら赤飯ルゥ・ライっぽくなるのでは?」

「さすがですギン、どんどん入れちゃいましょう」

「祝い? 赤飯ルゥ・ライ?」


 結婚や出産などのめでたいタイミングで食べることが風習の郷土料理を、なぜ。


「引きこもりイズモ様が初めて異性に関心をお持ちになられたこの良き日に炊かずして、いつ炊くのです!」

「『紙袋に隠された君の素顔を見たい……』なんて思春期みたいなこと思っているのでしょう!? あ、そもそも思春期か」

「お前らの頭こそ思春期のお花畑なのか!? それに俺は引きこもっていたんじゃなくて、過保護な兄姉に閉じ込められていたんだっ!」


 どうして顔も見ていない美少女(自称)とあれこれ発展する着想へ行き着くのだろう。

 だが俺の怒声など右から左へすり抜けているのか、


「明るい子作り計画でテンガン領の未来も安泰ですね、ギン」

「でも御勤めに来た娼婦を次々追い返していましたし、きっとイズモ様は未経験ですよね。心配です、キン」


 なんて語らっている。

 俺が軟禁されていた離れの門番をしていた二人だからこその会話。何もかも筒抜けな場所でアレコレできるわけないだろ。


「とにかく、そんなんじゃないからな! ベリルベネット鉱石を探しに行くんだから、その調理具をしまえ!」

「そんなことを言っても、もう火も焚いてしまいましたし」

「我等はここで炊事をしているので、どうぞ探してきてください。ほら、あそこの崖下の岩肌とか。ザックザック出てきそうですよ」


 主の命令よりも赤飯ルゥ・ライが優先らしい。やっぱり遠足気分だろ。

 石の門番ガーゴイルであるキンギンがあると言うならあるのだろうけれど。

 釈然としない気持ちだったが何を言っても無駄に思えたので、俺は一人で崖下へ向かう。そして予想外に息を呑んだ。




「なんだ、これは……」




 長閑のどかな丘陵の風景から一変。

 広がるのはシカジカの死体の山。そのどれもが口や鼻から泡を吹いて絶命している。

 死体周辺の雑草が枯れていたのを見て、咄嗟に兜の通気口を手で塞ぐ。強い毒性の攻撃にやられたのは明らかだった。


(トルジカ近辺にこれほどの毒を持つ生物が存在するのか!?)


 息を吸うだけで目に痺れが走るようだ。

 突然の事態に混乱する視界の隅で、どこにでもいそうな小蛇が這いつくばって進むのを見た。まるで恭しく頭を下げるように。

 それに地表をよく見ると、長い尾を引きずったような跡が残っている。その上には剥がれ落ちた毒々しい緑の鱗が。


 強烈な毒性、緑鱗、蛇の動き――時間潰しに読んでいた百年戦争の記録書、その1ページが頭を過る。


 その息は命を殺し、涎は大地を殺し、視線は命なきものすら殺す。


 毒に愛された王蛇おうじゃの巣穴では、最強の名を馳せたサタンの軍でさえ撤退を余儀なくされたと言われる。


「――バジリスクか!」


 背中の剣を抜いたのと、低木の影から地面を滑るように奴が飛び出してきたのはほぼ同時。

 頭から丸呑みされそうなほど大きく開かれた口に光るのは、ギラリとした毒液を垂れ流す細長い牙。それを剣先で弾いて距離を取る。


 テンガン領では生息が確認されていないはずの毒蛇の王種、バジリスク。

 戸愚呂を巻いて威嚇する鶏冠とさかと小さな二枚羽を持つ大蛇を前に、微量の毒を吸った視界が揺れた、その時――。


「飛べない羽など生やして竜にでもなったつもりか、鶏冠蛇とさかへび風情が」

「この国に御座おわす竜は黒竜の御一族のみ。貴様なんぞが巣食う穴蔵はない」


 金と銀の旋風が、後方から駆け抜けた。


「キン、ギン!」


 背中から膜翼を現し、長槍の得物を携えた二人が空を舞う。

 巻き起こした風に刃が合わさって竜巻のように変化し、バジリスクを斬り刻んだ。


「グギャ、ガァアアアアアッ!!」


 毒の鱗を次々と剥がされ、苦しげな咆哮が轟く。同時に周囲にたむろしていた毒息の残り香が竜巻に乗り、上空へ霧散した。

 少し息がしやすくなった世界で、俺は改めて剣を構え直す。狙うは、一番毒性が強く厄介な牙。


「はああああああああっ!」


 父上の身体で唯一の白銀の部位である牙から打たれた長剣が、バジリスクの毒牙をまとめて二本、折り斬った。

 金属すら溶かす毒液に触れても一切輝きを失わない刃先にゾクリと興奮を覚える。竜の牙が、蛇に負けるものか。


 止まらぬ攻勢に窮地へ追い込まれたバジリスクは、全身の鱗をジャラジャラとはためかせた。攻撃の予備動作ではない。視力聴力の脆弱性と引き換えに、蛇は空気の振動であらゆる物の位置特定ができると聞いた。


 しばらくして、縦長の蛇目がクワッと見開かれる。俺たちは猛攻を予想して剣と槍を構える――が、バジリスクが筋肉を跳躍させて飛びかかったのは、後方の茂みだった。


「ッ、う、うわぁああああああああっ!」


 いつからそこにいたのか。低木の裏で震えていたのは、村で世話になった子ブリン兄弟だった。


 腰を抜かして絶叫する3匹の子どもを丸呑みしようと、大きな口が開かれる。

「お待ちください!」とキンギンの焦った声が聞こえたが、足が勝手に動いていた。動かない方がおかしい!


 俊足で子ブリンたちの前まで駆け、恐ろしい可動域の口を遮るように剣をかざす。

 頭から唾液を被って鎧が溶けるが、構わなかった。


「に、にいちゃん……っ」

「何してる、早く逃げろ!」

「でも、でもぉッ……!」

「いいから、早く――、ッ!」


 これを好機と言わんばかりに、バジリスクは更に口の可動域を広げる。

 次の瞬間、俺の視界は暗闇に閉ざされた。


 ――食われてしまった。


 筋膜に覆われた胴の中はぐちょぐちょと蠢き、消化器官へ誘おうともみくちゃにしてくる。鎧や肌を焼く焦げた臭いが鼻を突いた。

 剣はとっくに手から離れてしまっている。もしかしたらあれだけは胃袋に残るかもな、なんて場違いにも考えた。


 鎧が溶解し、兜が脱げ、地肌が抉れる。

 毒液で溶かされた頬に激痛を感じる間すらない。


 露わになった首筋を毒の粘液が伝う。毒液は肌を溶かしながら流れ、項に刻まれたを焼き切った。


「ああもう……知らないぞ」


 そうぼやいた刹那、燃え盛るようなエネルギーの奔流に意識が呑まれ、弾けた――。

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