ハワイ攻略戦③

 ホノルル飛行場上空に到達した日本軍機は、飛行場への爆撃を開始した。

 事前の計画では、まず爆装した九七式艦攻が高射砲陣地を制圧し、その後九九式艦爆が航空機と滑走路を破壊することになっていた。

 

 艦攻隊は六機の損害と引き換えに敵高射砲陣地に大損害を与えた。

 しかし、だからと言って言って、艦爆隊の任務が安全になるわけではなかった。

 まだ生き残った高射砲もあったし、米兵は対空機銃や、将校たちは拳銃まで使って果敢に反撃を試みていた。

 

 したがって、内藤機も敵対空機銃の銃火を掻い潜って投弾を行わねばならなかった。

 内藤の目の前でSBDやTBFが空中に退避すべく、滑走路から飛び立っていく。

 このままでは逃げられてしまう。内藤は二機の僚機に噛みつくように告げた。


「このままでは逃げられる。まず滑走路を叩くぞ!」


 その言葉を言い終わると同時に、あるいは言い終わる前に、内藤は操縦桿を倒して、急降下を開始した。

 フラップを利用して急降下の勢いを殺しながら、機体は滑走路に向かって、ほとんど垂直に見える角度で降下していく。

 空気を切り裂くかん高くも重みのある音が周囲に響く。

 地上にいる者たちにとっては、数瞬後に爆弾が投下されることを意味する恐怖の音である。

 

 内藤はもはや敵の対空砲火や僚機のこと、あるいは後席にいる小野内一飛曹ことも忘れ去っていた。

 いや、自分が敵飛行場にいることや、自分が戦争していることさえ忘れ去っていた。

 まるで時間が何倍にも引き延ばされたような感覚で滑走路の地面が近づいてくる。心の中で投弾のタイミングを計る。


 「三、二、一」心の中で数えると、内藤は投弾ボタンを押した。

 一発の二五〇キロ爆弾が投下され、機体が瞬間的に軽くなり、浮いたような感覚に見舞われる。

 すかさず、機体を引き起こす。

 

 内藤機が投下した二五〇キロ爆弾は、不幸にもその落下先で飛び立とうとしていた一機のTBFもろとも滑走路に穴を開けた。

 さらに間を置かずに内藤の僚機から投下された二発の二五〇キロ爆弾によって、その穴はさらに大きく成長することになった。

 

 これで応急的にでも修復を行わない限り、ホノルル飛行場の滑走路は使用不可能になった。



 

 “翔鶴”に置かれている一航艦司令部には、ハワイ四島へと向かった航空隊から続々と戦果報告が寄せられていた。

 そのいずれもが敵飛行場の滑走路破壊と敵機多数の撃破を報告していた。

 また、現時点でもたらされている損害報告を集計すると、攻撃隊全体で二割程度の機が失われているらしかった。


「敵飛行場に大きな損害を与えたのはよいとして、こちらも四〇機は下らない損害か……」

 

 山崎航空乙参謀が、煙草を片手にぽつりと呟くように言った。


「多いと見るべきか、少ないと見るべきか……」

 

 内海航海参謀がその後を引き取るように言う。


「今損害の話をしても仕方あるまい。それより作戦参謀、今後の方針について意見はあるかね?」

 

 草鹿参謀長が真藤作戦参謀に訊ねた。


「攻撃を反復継続すべきです。可能な限り執拗に。

 敵飛行場に損害を与えたと言っても、米軍の修復能力から考えると数時間もせぬうちに最低限飛行機を飛ばせる状態にはするでしょう。まだ制空権を奪取したとは言えません。

 さらに敵指揮官が果断である場合、生き残った機を使って必ず反撃を試みるはずです。その暇を与えないためにも攻撃を続行すべきです。ひとまずは、温存してある“飛龍”攻撃隊を使って、もっとも規模の大きいオアフ島の飛行場へ再攻撃。攻撃隊帰還後は整備と搭乗員の休養が終わり次第、再出撃させるべきと考えます」


「長官のお考えは?」

 

 草鹿が作戦開始後、ほとんど沈黙している山口の判断を仰ぐ。


「私も作戦参謀の意見に同意する。搭乗員たちには無理を強いることになるが、ここが太平洋の天王山だ、やむを得ん」

 

 「さらに」と山口は、洞穴の底から響くような声で命じる。


「帰還した攻撃隊を収容次第、艦隊をさらに島に接近させよ。距離を短くすれば、少しでも搭乗員の負担が減らせる」

 

 「しかし、長官」と草鹿が初めて抗弁しようとした。

 それを遮って、さらに山口は続けた。


「参謀長の言いたいことは分かっている。だが、虎穴に入らずに虎児を得ることはできない。ここでの責任はすべて私にある。やってくれ」

 

 帝国海軍きって闘将として名高いこの男は、その本性を露わにしていた。


 


 一方、合衆国側もただ一方的に叩かれているばかりではなかった。

 ミッドウェーで生き残った空母“ホーネット”を主力とするTF-36が日本艦隊を捜索していた指揮官はミッチャー少将である。

 彼らの努力は報われ、「敵艦隊発見す」の一報が旗艦“ホーネット”にもたらされた。

 それを受けた“ホーネット”は搭載機のほとんど全てを攻撃隊として発艦させる措置を取った。

 彼らも必死だった。  

 

 なお、日本側の発見が遅れた理由は、TF-36が極めて小規模な艦隊であることも一因であった。

 TF-36は“ホーネット”と護衛の駆逐艦四隻のみで構成されていた。

 日本側でもむろん、この“ホーネット”を捜索していたが、彼らは実際の索敵行動にあたる現場の将校・下士官に至るまで、“ホーネット”が大艦隊を伴っているものと無意識に思い込んでいたのだった。

 

 敵索敵機の飛来によって自分たちが発見されたことに気づいた一航艦では、その対応に追われた(一航艦司令部では、この時点で飛来した索敵機が空母から飛んできたものかどうか、確信を持っていなかった)。

 一航艦は攻撃隊の帰還を待っているところであり、“飛龍”では新たな攻撃隊の発艦作業が行われていた。

 このままでは敵攻撃隊の飛来が、味方攻撃隊の帰還とかち合い、敵空襲下での味方機収容という悪夢が現実化する可能性が高い。

 

 参謀たちの間で素早く討議が行われた結果、元の海域には“大鳳”と攻撃隊発進中の“飛龍”、それに直掩・索敵用の“鳳翔”、“龍驤”がその護衛艦とともに残り、残りの艦隊は可及的速やかに当該海域を離脱すると決した(この場合、味方攻撃隊に母艦の新たな位置を知らせなければならないが、すでに発見された以上、無電封止の必要は薄かった)。

 

 それから数十分の後、まさに“飛龍”が攻撃隊の発進を終えたタイミングで、敵攻撃隊が飛来した。


「一〇時方向よりTBF《アベンジャー》二機、接近!」

 

 “大鳳”の防空艦橋に電話員の切迫した声が響いた。左舷では軽巡“利根”が盛んに高角砲を撃っているのが見えた。

 あれはまっすぐ突っ込んでくるな。“大鳳”艦長、阿部俊雄大佐はそう辺りを付けた。

 現在のところ劣勢に立たされている米軍としては悠長に護衛艦を叩くのではなく、空母に戦力を集中させてくるはず――そう読んでいる。

 案の定、二機のアベンジャーは“利根”には目もくれず、一直線にこちらを目指して飛んできた。

 “利根”や“大鳳”自身の対空砲火など目もくれないようにまっすぐにだ。

 勇気がありやがる。

 阿部は内心で敵搭乗員の勇気を称えた。

 状況に対して随分余裕のある心理状態に見えるが内心はそうでもない。

 これはつまり、切迫した人間が陥る、あの台風の目のような奇妙な冷静さというやつかもしれん――阿部はそんなことを考えながら、やはり冷静な声色で命じた。


「取舵一杯」

 

 敵が左側から飛んでくるのに対して、さらに左に舵を切るの一見奇妙に見えるが、これが定石なのだった。

 こうすることで敵の魚雷がこちらに向かってくるころには、艦は魚雷に対して正面を向いている(あるいは向きつつある)ことになり、つまり魚雷に対して正対する面積を可能な限り小さくできるのであった。

 

 「敵機魚雷投下」、そしてそのしばらく後の「魚雷回避」の電話員の声。

 胸をなでおろす間もなく、さらに今度は反対側から敵機接近の知らせ。

 

 三度目の回避運動を行っていたときのことだった。

 右舷方向から接近してきたSBDから投下された爆弾を回避した直後、左舷からTBFが突っ込んできた。

 回避は間に合わなかった。

 高い位置にある防空艦橋は大きく揺れた。


「左舷に魚雷一命中!」

 

 悲鳴のような電話員の声が響いた。浸水で艦が傾いたのが分かる。

 艦の建造中から関わってきた新鋭艦、その艦を初陣で傷つけてしまった。

 内心で自身の操艦の未熟さを罵りつつ、それをおくびにも出さず、命じる。


「応急作業急げ!損害報告は後でいい」

 

 “大鳳”はその後、さらに一度の攻撃を回避した。

 そこで敵の攻撃は終わった。

 

 直掩隊と対空砲火を突破して、実際に空母に攻撃をかけることができたのは、全体の二割弱と推定された。

 そのほとんどが、艦隊の中でもっとも大きい“大鳳”に集中していた。

 その中で損害を一本の被雷に止めた阿部の操艦はむしろ(当人の評価は別として)称賛されるべきだった。

 

 “大鳳”は応急作業が奏功して小破の損害で済んだ。

 艦の傾斜も回復した。

 しかし、被雷による浸水と応急注水のために最大戦速の発揮は不可能になった。 

 それはつまり、艦載機の発艦に必要な合成風力を艦が生みだせなくなったということであり、“大鳳”が少なくともこの戦いで空母としての能力を発揮できなくなったことを意味していた。

 

 


 

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