2-12. 契約

「ご主人さまは、誰に復讐するの?」


 どうして、とは聞かれなかった。

 彼女の目は、とても真っ直ぐで、これまで目にした何よりも美しく見えた。


 だけど今の私には分かった。

 その目の奥には底知れない憎悪がある。


 やはり彼女は私の鏡だ。

 もしも生まれた場所が逆だったならば、正反対の人生があっただろう。だけど違った。


「……少し、整理したい」


「待つわよ。いつまでも」


「先にシャワーを浴びてくれ。長くなる」


「分かったわ」


 一人になりたかった。

 その意図が伝わったのか否かは不明だが、彼女は私の提案に頷いてくれた。


 浴室のドアが閉まる。

 その後、微かに水の音が聞こえた。

 

 私は息を吐いた。

 長く、冷たく、重たいものになった。


 もとより彼女には選択肢が無い。

 隷属魔法によって、私の復讐に関わらないことはできない。


 しかし、それが無かったとしても、彼女の選択は変わらなかっただろう。確信がある。それくらい強い憎悪を感じた。


 当然だ。恨まないわけがないのだ。

 ただ容姿が醜いというだけで、まるで人間ではないかのように虐げられ続けた経験は、どれだけ取り繕ったところで、憎悪になる。


「……心だけは、美しく」


 私は自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「……美しい復讐など、あるのだろうか」


 エリカに救われた日、私は宣言した。

 だけどそれは復讐が夢物語だったからだ。


 スキルを得て、現実感を得た今、私の中で復讐という言葉の意味が大きく変わった。


 祖国を滅ぼす。

 兄も姉も、そこに住まう罪の無い国民さえも、何もかも滅ぼしてしまいたい。この感情が、どうやったら美しくなるのだろう。


「……美しさとは、なんだ」


 呟いた言葉に返事は無い。

 長い時間が経った後、レイアがタオル一枚だけ巻いた姿を見せた。


「頭を冷やしたい」


 私は彼女と入れ替わりで浴室へ向かった。それから温かい水を額に浴びせ続けたけれど、心が落ち着くことはなかった。


 結局、何ひとつ感情を整理できなかった。

 

 ならば、話すしかない。

 言葉にしながら自分を理解するしかない。


 寝床──どうやらベッドというらしい家具の上で、私はレイアの隣に座った。


「聞いてくれるか?」


 彼女は沈黙によって肯定した。

 

「フラーゼ王国を、知っているか?」


「知らないわ」


「……そうか」


 祖国は大きな国だった。

 海の外は知らないが、内側であれば辺境の地に住む幼な子でも名前を知っている程だ。


「私は、遠いところから来た」


「そのフラーゼ王国ってところ?」


「そうだ。街並みが優雅で、ここよりも遥かに人が多い国だった。そして何より、美醜の感覚が、この迷宮都市とは真逆だった」


 私はレイアに目を向ける。

 金色の髪と、蒼い瞳。シミひとつ無い綺麗な白い肌。それから少し幼い顔立ちと、薄桃色の唇。身体の線は細いが、恐らくまともな食事を続けることで適度な丸みを帯びる。


「フラーゼ王国ならば、レイアは絶世の美女として、多くの男に言い寄られただろう」


「……」


 レイアは驚いた顔をして、何か言葉を呑み込んだような様子を見せた。


 どのような言葉を言いかけたのだろう?


 私には知る由が無い。

 だが、不思議と感じ取れるものがある。


 きっとそれは問いだった。

 そして私が次に言う言葉が、その答えだ。


「私が祖国で奴隷になったならば、その価値は恐らく金貨1枚──レイアと同じ、10万マリだっただろうな」


 私は一度、呼吸を整える。


「私には、あなたが鏡に見える」


 ずっと思っていたことを伝えた。

 本当は嫌だった。美しい彼女を自分と同一視すれば穢してしまうような気がした。


 だけど同じくらい救われたかった。

 私の中に眠っていた感情が決して醜いものではないのだと思いたかった。


「ご主人さまは、同情で私を買ったのね」


 彼女は一言そう言った。

 私は胸の内側に手を入れられたような息苦しさを感じながら、正直に頷くことにした。


「……そうだ」


「嬉しい」


 そっと水面に触れるような言葉だった。

 私は最初、彼女が何を言ったのか分からなかった。だが言葉の波はゆっくりと広がり、私の表情を驚愕に変えた。


 顔を上げる。

 彼女は、美しい笑みを浮かべていた。


「……レイア?」


 言葉の真意を問うため名前を呼んだ。

 彼女は手を伸ばすと、私の頬に触れる。


「ご主人さまの控え目な笑顔が好きよ」


 真っ直ぐな好意。

 一瞬だけ、今何の話をしているのか忘れてしまう程の感情が生まれたが、それは直ぐに消えた。


 ぽっかりと心に空白が生まれると、それを埋めるようにして彼女は言う。


「上層の話を聞いてからは、ずっと怖い顔。辛い顔。苦しい顔。……ふふ、ご主人さまの言う通りね。私達、本当に鏡みたいだわ」


 彼女はゆっくりとした口調で、静かに話を続ける。


「私は、ご主人さまを理解できる。あなたの感情を半分だけ背負うことができる。不思議ね。それだけのことが、とても幸せなの」


「……違う。それは違う」


「違わないわよ」


「私が鏡だと言ったのは、自己満足だ。この醜い感情から目を背けるための欺瞞だ」


 心に封じたはずの言葉が表に出る。


「私は祖国を滅ぼしたいと思っている。罪の無い者も、全て、何もかも、消し去ってしまいたい」


 落ち着いた口調で喋りたいのに、語気が強くなってしまう。


「……私は、醜い」


 だから全ての感情を一言に込めた。

 どのような解釈をされても構わない。これ以上の無様を晒すよりは、良いと思えた。


「ご主人さま。私は、あなたの鏡よ」


 レイアは言う。


「あなたの目に映る私は、醜いかしら」


「そんなことはない」


「じゃあ、それが答えなのよ」


 私は、彼女に見惚れてしまった。

 容姿だけではない。きっと初めて、レイアという存在を心から美しいと思った。


 彼女は私の鏡だ。

 姿形は真逆なのに、目に見えない部分は何ひとつ変わらない。彼女も燃えるような憎悪を秘めていることが分かる。


 それでも彼女は、今の言葉を口にした。


「……私が、特別なわけではない」


 前提を全て省略して伝えた。

 レイアが私に優しいのは、初めて彼女を虐げなかった人物だからだ。私がレイアの目を見られるのは、きっと似たような人生を歩んできたからだ。


 つまり、誰でも良い。

 条件を満たす相手ならば誰が相手でも同じような感情を抱いた。


 だから私に優しくする必要は無いと、そう伝えたかった。


「その通りね」


 彼女は頷いた。


「でも最初に出会ったのがあなただった」


 私の拙い言葉は正確に伝わっていた。

 しかし彼女は私とは違う結論を出した。


「だから、特別なのよ」


 そして彼女は、私の言葉を反転させる。


「私のご主人さまになれる人は、きっとそのフラーゼ王国にたくさん居るのでしょうね。逆も同じよ。ここならば……クドは、きっと誰からも愛される」


 だけど、とレイアは言う。


「私の初めてはあなたで、あなたの初めては私だった」


「……だから、特別だと?」


「ええ、その通りよ」


 彼女は躊躇なく言い切った。

 こんなにも思い悩んでいる私とは正反対で、どこまでも真っ直ぐな目をしている。


「……レイアは、美しいな」


「あなたと出会えたからよ」


 彼女は、その絶大な好意と信頼が、偶然の産物ではないと言い切った。


「ご主人さまと出会ったから今の私になったのよ。もしも他の誰かなら、きっと違う私になっていた。私は、今の私が大好きよ」


「……ありがとう」


 私の目から涙が零れ落ちた。

 それはきっと彼女の言葉を受け入れることができたからだ。


「……こんなことは初めてだ」


 これほどの信頼と好意を私は知らない。

 だけど、それを受け入れて分かった。これは私がずっと欲しかったものだ。遥か昔に諦めて、欲しいと願うことすらやめたものだ。


「……嬉しいのに、涙が出る」


 右腕で目を覆い、天を仰ぎながら言った。

 レイアが動く気配があった。彼女は私の背後に立つと、昨夜と同じように肌を重ねた。


「契約をしましょう」


「……契約?」


「ただの口約束よ」


「……聞かせてくれ」


 レイアは言う。


「私の全てをあなたに捧げるから、あなたの半分を私にください」


「半分では、釣り合わないだろう」


「じゃあ、契約成立ね」


「……強引だな」


 私はレイアに押し切られる形で、その契約を受け入れた。


 もちろんただの口約束だ。

 だがそれは、きっと隷属魔法よりも強い。

 

「キスをしましょう」


「……なぜだ?」


「契約の証よ」


「……分かった」


 頷いて、振り返る。

 想像したよりもずっと恥ずかしそうな顔をした彼女を見て、思わず顔が熱くなった。


 だけど目は逸らさない。

 彼女の薄桃色の唇を真っ直ぐに見る。


 そういえば、最初に会った時も似たようなことをした。ほんの三日前なのに、随分と昔の出来事に感じられる。


 それくらい濃密な時間だった。

 彼女からの好意を受け入れたことは、祖国で虐げられ続けた十数年に勝るとも劣らない程の感情を私に与えた。


「今回は、目を逸らさないのか?」


 照れ隠しにそう言うと、彼女は少し拗ねた様子で目を閉じて、意趣返しをするかのように顎を上げた。


「……」


 一瞬だった。

 感想を抱く間もなかった。


 だけどそれは、この先ずっと忘れることのできない、大切な一瞬だった。

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