王国一の無責任令嬢
鰯づくし
第1話 無責任令嬢現る。
彼女は、彼らの彼らの前に突然現れた。
「お金がないなら、わたくしのところにくればいいじゃない」
未曾有の洪水によって住んでいた村を捨てざるを得なかった難民たちが流れついた、プランテッド伯爵領の領都。
村を這々の体で逃げ出して、ようやっとここまで来た男女合わせて十人ばかりの彼らが、辿り着けた安堵とこれからの不安で呆けていたところにメイドを従えて颯爽と現れた彼女は、友好的な笑顔とともに先ほどの言葉を言い放った。
何しろまだ雨も冷たい春の終わりに、濡れ鼠になりながら命からがら逃げだしてきて路銀も尽きかけようとしていた時だ、藁にも縋りたいところ。
しかもそれが、麦穂の実りを象徴したかのような輝く金髪を波打たせ、若干つり目ながら整った顔立ちに秋の青空を思わせる澄んだ青い目を輝かせ瞳の色に合わせた青いドレスを纏う、高位貴族らしい雰囲気を纏う少女からこう言われたのだから、難民たちの喜びはいかほどのものか。
しかし、その言葉には続きがあったのだ。
「わたくしもございませんが、心配しないでくださいまし。
大丈夫、そのうちなんとかなりますわ!」
……こうである。
言われた難民たちがぽかんと呆気に取られてしまうのも致し方ないところだろう。
だが、言った本人である彼女、ニコール・フォン・プランテッドは全く気にした様子もなく、笑顔のまま彼らに手を差し伸べた。
「遠路はるばる、ようこそ我がプランテッド領へ。さ、まずは腹ごしらえと参りましょう。お腹が空いていては気が滅入るばかりですわ?」
これが、彼女の常套手段。
腹が満ちて酒も入った人間は色々と緩くなるものである。
彼ら難民達を引き連れて平民向けの店に乗り込んだニコールは、手慣れた風に場を作り、いつの間にやら無礼講へとなだれ込んでいた。
「まあまあ、お住まいだった村では木こりをやってらしたの? だからこんなにたくましいのねぇ」
「ええ、だから力仕事には自信がありやすよ。倒した切り株五万本ってね!」
「サバ言ってんなコノヤロー!」
ニコールのよいしょに乗せられた自慢話にヤジが飛ぶ。
だが、実際に彼の身体は、仕事によって鍛えられた独特のたくましさを持っていたし、よく見れば、他の男衆も同様にたくましい。
「……もしかして、体力に自信のある方だけこちらにいらしたんですの?」
「へぇ、おっしゃる通り。年寄り連中や子供達は、有り難いことにシャボデー辺境伯様が面倒を見てくださることになりまして」
頭を掻きながら男が言うに、辺境伯領の北部にあった彼らの村が洪水で壊滅的な被害を受けた際、シャボデー辺境伯が、彼らが出稼ぎに出て仕送りをすることを条件に、長旅に耐えられない老人子供達を預かってくれているという。
そのため、彼らはどこかで稼いで仕送りをしなければいけないわけだ
「なるほどなるほど。なるほど、皆様は本当に運がよろしいですわね!」
うんうんと話を聞いていたニコールが、突如声を上げた。
驚いた難民達の視線が集まったのを見て、1秒だけ待って。
それからニコールは自信たっぷりな笑顔とともに口を開く。
なお、そんなニコールに慣れているらしい常連客達は暢気にスルーである。
「ちょうど今、このプランテッド領は建築ブーム! あちこちで家を建てているため大工や人足はいくらでも欲しく、木材の扱いに慣れている人材は喉から手が出るほどに!
そして、そこのあなた!」
饒舌に語っていたところでいきなり、びしっとニコールは難民達のリーダーを指さした。
「12×7は?」
「へ? ……ええと、84でしょうか」
「よろしい! 実によろしい! おまかせください、皆様には確かな、そしてしっかりがっぽり稼げる職場をご紹介させていただきます!
そして、我がプランテッド領の為に働いてくださいませ!
なお、住み込む寮は完備、紹介料は出世払いで承りますわ!」
ニコールの宣言に、盛り上がっていた難民達は、しん、と静まり返った。
何とか仕事にありつけないかと流れに流れてきた先でたまたま出会った伯爵令嬢が、食事を奢ってくれただけでなく、仕事まで斡旋してくれるという。
そんな都合のいい話が、あるだろうか。
当たり前の疑念は、当たり前でない笑顔の前に霧散する。
「何ぽかんとしてらっしゃいますの、ほらほら、こういう時はぶわ~っとですわよ、ぶわ~っと!」
ニコールが鷲掴みしようとするかのような形で下から上へと掘り返すような仕草を見せれば、やっと男達の頭に情報が理解されていく。
つまり、住む場所も働く場所も、なんとかなるらしい。
「ほ、ほんとに、なんとか、なる……?」
ぽつりと、誰かがつぶやいて。
次の瞬間、彼らの雄叫びのような歓声が爆発した。
もちろん、なんとかなるのは男性陣だけではない。
「まあまあ、村にいらした頃は針仕事をよく為さっていたの?」
「はい、辺境伯様が率いてらっしゃる軍は、軍服が破れたりなんだりが多かったので」
詳しく聞けば、衣服を繕うだけでなく、辺境伯軍が使う軍服の縫製や刺繍などもやっていたらしい。
「それでしたら、お針子のお仕事を紹介できるかも知れませんわねぇ。
もしかして、今着てらっしゃるのもあなたが縫われたものですの?」
「ええ、もちろん。……あ、あの、あまりご覧いただくようなものでは……」
着ている服をまじまじと見られて、流石に居心地が悪そうに彼女が言うも、ニコールは視線を外さなかった。
先程まで見せていたお気楽な様子はどこへやら、随分と真剣に縫い目を眺めることしばし。
「すみません、少し触ってもよろしいですか?」
「え? は、はぁ……それは、もちろん構いませんが……」
「ふむふむ……この丁寧な縫い方……そういえば、北部の冬は雪で閉ざされてしまうから、こういった縫い物仕事に精を出されるとシャボデー様もおっしゃってましたわね」
「よ、よくご存じで……時間だけはあるものですから」
「それでも、時間を無為に過ごしてしまう人もいるものですわ。こうして形ある仕事が出来ているのは素晴らしいことです。
まあまあ、こちらの刺繍も丁寧なお仕事で……これなら、ルーカスのところに紹介しても大丈夫そうねぇ」
「ルーカス、さん、ですか? その方は一体……」
問いかけに、ニコールがぱっと振り返る。
それはもう、にこやかで誇らしげな笑顔で。
「よくぞ聞いてくださいました!
ルーカスとは、わたくしやお母様のドレスにお父様の夜会服も手がける、このプランテッド領一の仕立て屋なのです!
いえ、そのうち王国一とまで言われるかも知れませんね! 何しろ最近は遠く離れた王都からも仕事が来るくらいですから!」
ニコールの返答に、女性は驚いた顔になる。
「……え? そ、そんな凄い人のところでだなんて、働けませんよ!?」
ブンブンと大きく首を振る彼女へと、しかしニコールは自信たっぷりに笑って見せる。
「だ~いじょうぶ! あなたの腕を信じなさい! それが無理なら、わたくしの見立てを信じなさい!」
「え、ええ~……」
信じろと言われましても。そう言いたいけれど、言葉が出ない。
出会ってほんの1時間かそこら、信頼関係など出来ているわけがない。
なのに、信じられない気持ちが半分。信じてしまいそうな気持ちが半分。
いつの間にかすっかりニコールに毒され始めているのだが、まだそのことにはハッキリと気づけていない。
「わかりました、そこまで疑うのならば、この後仕立て屋に行ってルーカスに見てもらいましょう!」
「え、えええ!? こ、こんな格好でだなんて、失礼にも程があるのでは!?」
「だ~いじょうぶ! ルーカスの見る目は確かです、ちゃんとあなたの腕を、腕だけを見てくれます! そうとなれば善は急げ! カモン、マシュー!」
ニコールがそう言いながら、指をパチンと鳴らす。
すると、バーンと食堂の扉が勢いよく開かれ、一人の男が入ってきた。
短く刈り込んだ黒髪、少々垂れ目だが二枚目と言っていい顔ぶり。
颯爽とした足取りで入ってきたその姿はどこぞの看板俳優かと思わせるもの。
「お呼びですか、お嬢様」
おまけに低めだが良く通り、若干甘い声。
そんな彼が恭しく頭を下げるのだから、難民の女性達は思わず見蕩れてしまった。
彼の名はマシュー・スモルパイン、プランテッド家で雇われている護衛兼御者である。
見慣れているのか、そんな彼へと特に動じた様子もなく、ニコールはあっさりと用事を言いつける。
「ええ、わたくし達は食後のお茶を楽しんでるから、その間にダイクン親方のところに『いい若い衆が居る』って伝えてもらって、それからルーカスのところへ訪問の先触れに行って戻ってきてちょうだい」
「はい? ……え~っと。連絡や先触れに行くのは勿論構わないんですが、行って、戻ってこいと」
「当たり前でしょう? だってあなたが居なかったら、乗っていく馬車が動かないじゃない」
「お嬢様達が、のんびりお茶してる間に? というか、お茶が終わる頃までに戻って来いと?」
「だって、食事をした後にすぐ動くのは身体によろしくないし、のんびりしてたら日が暮れてしまうわ?」
ニコニコとした笑顔でさも当然のように、若干鬼畜なことを言うニコール。
それに対してマシューと呼ばれた彼もまた、笑顔を見せていたのだが。
「んも~~! どうして! どうしていっつもそんな無茶ぶりするの、おせーて!」
いきなりクネクネと身を捩りながら、悲痛な叫びを上げた。
見蕩れていた女性達がぱちくりと目を瞬かせていると、全く動じていないニコールは相変わらずの笑顔で答える。
「それはもちろん、マシューなら出来ると信じているからよ? わたくし、出来ないことは言わないわ」
「出来ますけども! 出来ますけども!」
「では、早速ひとっ走り行ってきてちょうだいな」
「もーイヤ、こんな生活!」
突如始まったコントのようなやり取りに、周囲で見ていた難民達はオロオロとするばかり。
だが、周囲で見ている他の客や女将さんは慣れているのか、まるで気にしていないか笑いながら見ているか。
そんな中、ニコールの傍で控えていたメイドが一歩ニコールへと近づき、顔を寄せるようにしながら口を挟んだ。
「あの、お嬢様。それでしたら、私が先触れに行ってきましょうか?」
「え~、ベルがいなくなったら、誰がわたくしの面倒を見るんですの~?」
「ほいほい人を拾うお嬢様の自業自得です、ご自分でなんとかなさってください」
甘えたような声を出すニコール相手に、ベルと呼ばれたメイドはにべもない。
そんなベルへと、マシューはキラキラとした目を向けてきた。
「ベルさん、まさに救いの女神……俺のために……」
「いえ、マシューさんのためではなく、効率的な移動のためです」
すがるような言葉に、しかしやはりにべもない。
ガーンとショックを受けたような顔で固まるマシューを気にした風もなく、ベルはニコールへと向き直り。
「ではお嬢様、そういうことでよろしいでしょうか」
「仕方ないわね~……じゃあ、あちらで落ち合いましょう。ルーカスによろしくね。
あなたなら心配いらないと思うけれど、気をつけて」
「はい、ありがとうございます。では」
ニコールからの言葉を受けて、ベルはほんの少しばかり微笑みを見せて。
その姿が、消えた。
「……え?」
思わず、といった風の声が、誰かの口から零れる。
そんな間の抜けた声が出るくらいに、今目の前で起こったことが信じられなかった。
「まあまあ、ベルったら、また足が速くなったのかしら」
「なんか、どんどんワンさんみたいになっていきますね……」
「いいじゃないの、頼もしいことだわ」
のんびりとしたニコールの言葉に、マシューがぶるりと背筋を震わせながら応じる。
ちなみに、話題に上がったワンさんとは、ワン・チャンヤンというプランテッド家の庭師である。庭師の、はずである。
王国の遙か東から流れてきたという彼は何故か異様に投げナイフが上手く、素手で重武装の騎士も組み伏せるほどの腕を持つが、同時にプランテッド邸の庭を綺麗に保っている庭師である。
そんな彼からベルは体術や投げナイフを習っており、彼を師匠として崇めている。
「さ、皆様おくつろぎの所をお騒がせして申し訳ございませんでした。
しっかりお腹も膨れたようですし、一休みしましたらお針子候補の皆様は移動しましょうね」
と、先程までベルにだだをこねていたとは思えない程良い笑顔を見せてから。
何かを思い出したようにマシューへと振り返る。
「あ、そうそう。マシュー、ダイクン親方のところには行ってちょうだいね。
それからルーカスのところよ!」
「んもうっやっぱり走らされるんですねぇ~!!」
そんな主従のやり取りを、当事者であるはずの難民達は呆気に取られた顔で見ていた。
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