4-6 先輩、師匠、何してるんすか?
俺は宿屋の3階に上がり、自分に充てがわれた個室に入った。
シングルルームだが、猫にとっては十分な大きさに感じる。人間用ベッドの上に猫用の丸いクッションが置かれていたが、まだ寝るのも早い気がする。俺はとりあえず出窓の床板に乗り、しばらく雪に覆われた山並みや行き交う巡礼者たちの姿を眺めていた。
「デオロン殿?」
ドアの外でアイリアの声がしたので、「どうぞ」と言うと、彼女は周囲をキョロキョロと見回しなが部屋に入ってきた。
「ひとりか?」
「そうだが。なぜじゃ?」
「いや、礼を言いたくてな。アドバイスのおかげでクリアできるようになった。ありがとう」
一瞬なんのことだと思ったが、さっきのアーケードゲームのことらしい。
「おお。さすが習得が早いな。それはお主の力じゃ。礼には及ばん」
「……」
アイリアはまだ何か言いたいことがあるのか、そわそわとしながら無言で立っていた。
「そこへ座ったらどうじゃ?」
「あ、ありがとう」
アイリアは安心したような表情で、窓際に置かれた椅子にちょこんと座った。
窓から差し込む月明かりに照らされた彼女の顔は、なぜかいつもより儚げで幼く見えた。
いや。もしかしたらこれが本当のアイリアなのかもしれない。
俺はしばらく彼女の声を待つことにした。
「……アーケードゲームのことだけじゃないんだ」
アイリアはいったん言いかけてから少し間を開け、改めて言葉を続けた。
「私は……投票で1位にはなれないと思っている。一生懸命やってはいるのだが失敗だらけだし、自己アピールもできていないからな。だが……勘違いするな。だからといって少しも落ち込んではいないのだ。それがなぜなのか自分でもよくわからなくてな。考えていたのだが……さっきわかったよ」
「ほう……」
「……初めて戦闘に巻き込まれた時はわけも分からずパニックになって、もう無理じゃないかと悲観した。……三半規管がおかしくなって苦しんだときは、もっと絶望的な気持ちになった。だがな……今は何もかもが楽しいんだ。こんな世界があるなんて知らなかったし、それを知ることができたことが幸せなんだ。つまり……」
つまり?
「あなたのおかげなんだよ。デオロン……」
目を伏せるアイリアの頬は赤く染まっていた。この言葉を紡ぎ出すために、彼女はどれだけの勇気を振り絞ったのだろう。柄にもなく、俺は胸が締め付けられるように感じた。テレビ番組の技術アドバイザーの仕事で、こんな想いをするとは想像もしていなかった。
俺はしばらく無言で硬直していたが、アイリアは爽やかに笑っていた。今まで胸につっかえていたものを、一気に吐き出せてすっきりしたのかもしれない。
「それで、ちょっと気になっているのだが……彼女とはどうなのだ。うまく行っているのか?」
「彼女?」
マジで誰のことを言っているのかわからず、俺はキョトンと小首を傾げた。
「ナルだよ。さっき2人で楽しそうにしていたではないか」
え?
いや、そんな、彼女ってわけじゃないのだが。
そういうふうに見えてしまったのか?
「ナルはいい娘だよな。可愛くて、明るくて、優しい。スタイルも抜群だしな」
アイリアは話を続けているが、俺の頭には入ってこない。
ナルと俺はどんな関係なんだ?
ナルにとって俺は猫の友達だよな?
……違うのか?
頭が真っ白になっていた。
その時、バンッと音がして部屋の扉が開いた。
「先輩、師匠、何してるんすか?」
チーカが大声でわめきながら、ずかずかと部屋に入ってきた。
何って何だよ?
猫と少女で何ができるっていうんだ?
俺の頭はますます混乱していたし、アイリアも驚いて声を出せずにいた。
「それより大変っすよ! こんなものが廊下に置かれてたっす!」
チーカは手に持っていた衣服を差し出した。
どうやらさっきの質問に大きな意味はなく、こっちが本題だったようだ。
その衣服はカリサのコートとインナースーツと……下着だった。
なぜ衣類が廊下に放置されているんだ?
状況がまったく理解できない。
「カリサはどこじゃ?」
「それがどこにもいないんすよ。部屋も空っぽで」
「手分けして探すとしよう」
服を脱いだとすると露天風呂が怪しい。女子更衣室と浴室はアイリアに任せ、俺は縁側を降りて庭を調べることにした。
猫の視力は人間の半分ほどしかないが、暗がりでは人間を上回る。
すると更衣室から本館につながる廊下の近くで、壁の裏に隠れている白いものを発見した。
カリサだ。
全裸のまま、なんとか本館に辿り着こうと悪戦苦闘しているようだった。
俺が接近していることには気づいていない様子だが、その表情は今にも泣きそうだ。
これは……。
おそらく入浴中に衣服を奪われたのだろう。
こんな悪戯をするのはマイラに違いない。まったく、小学生レベルの争いだな。いや……こんなことを言ったら小学生に失礼か。
俺は足音を立てないように素早く走って本館に戻ると、何か体を隠せそうなものはないかと探した。
裏口にかけてある、作業員用の外套がよさそうだ。『後で返すから泥棒じゃない』と自分に言い聞かせながら外套を咥え、カリサが気づきそうな場所へと運んだ。
俺はカリサが見つかったことをアイリアとチーカに伝えると、自分の部屋へと戻った。
ベッドの上に乗って横になる。
なんだろうこの感覚。まるで修学旅行だな……。
俺はメインメニューを開くと、キャンプインを実行した。
なお、翌日、マイラの服が透明化して大恥をかくという事件が発生した。
犯人は不明だったが、以後はマイラとカリサの諍いは沈静化したようだ。
お互い、いがみあることがいかに不毛かを身にしみて理解したのだろう。
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