4-4 見て、これ可愛い!
万年雪に覆われた山脈の頂に、巨大な猫の象が立っていた。
大理石を積み上げて作られた白亜の猫は、ギザのスフィンクスと同じぐらいはありそうだった。かつて世界を救った猫神の姿を模したものなのだろう。頭上の耳は空を突くようにピンと立ち、精悍な眼差しが外界を見ろしている。
近づくにつれて詳細が見えてきたが、象の胸には入り口があり、中に入れるようになっていた。
この象が、聖猫神殿そのものなのだ。
神殿の前には長い参道があり、参列に訪れた信者たちが列を作っていた。参道の両側には土産物屋や旅館などが並んでおり、さながら観光地のようだった。
俺たちが参道に足を踏み入れると、信者の多くは俺の姿を見て深くお辞儀をした。もちろんこの世界では猫は神聖な生き物として珍重されているのだが、マヌル猫の俺はさらに特別な存在のようだ。
「見て、これ可愛い!」
ナルが土産物屋の店頭に食いついていた。見ると、猫神をかたどった人形、ぬいぐるみ、キーホルダー、コップなどが所狭しと並べられている。いずれも5色のバリエーションが用意されているが、これは魔法やアイテムに設定されている5つの属性と一致しているようだ。つまり赤が火、青が水、黄色が雷、灰色が石、白が光を表している。
ふと気づくと、アイリアが実寸サイズの猫神ぬいぐるみをギュウと抱きしめていた。いつになく癒やされたような穏やかな表情をしている。彼女、こんなキャラだったか?
「アイリア、先に行くぞ」
俺に置いていかれそうになると、アイリアはぬいぐるみを名残惜しそうに陳列棚へ戻した。買えない価格ではないが諦めてくれ。さすがにこんな大きな荷物を抱えたまま冒険はできない。
巨大猫象の中は礼拝堂になっており、天井に開けられた複数の穴から差し込む光が、スポットライトのように各所を照らし出していた。俺たちが到着したことは既に伝わっていたようで、若い女性と1匹の猫が出迎えてくれた。女性の名はアーリーン、猫にもバーナムという名前が表示されている。
「ようこそおいでくださいました、デオロン様。そして皆様」
巫女の装束をまとったアーリーンは、長い黒髪が似合う美少女で、まだ若い。10代後半だろうか。いっぽうその足元で礼儀正しく前脚をそろえて座っている猫のバーナムはかなりの老齢のようだ。白く濁った眼は虚ろで、おそらく視力はとうに失われている。
「こちらがバーナム大司教様です」
アーリーンに紹介されると、バーナムは無言のまま軽く会釈をした。この老猫が大司教だったのだ。
「恐猫王ディドロに対抗する力を付与するため、明日ここで儀式を行います。それまではどうかごゆっくりお過ごしください」
そう言うと、アーリーンは俺たちに着いてくるよう促した。
*
「こちらの宿を貸し切りにさせていただきました」
アーリーンに案内された建物は、石造りながら日本式の旅館のようにも見えた。
「貸し切り!? すごっ!」
想定外の待遇を受け、ナルはテンションが上っている。チーカも大はしゃぎでエントランスへと入っていってしまった。
受付のあるロビーの横は遊戯施設になっていた。射的や輪投げ、くじ引きなど、素朴なゲームが奥の方まで並んでいるのが見える。これらが無料で遊べるとしたら、退屈することは無さそうだ。
「2階の食堂にご案内します。足元にお気をつけください」
アーリーンに連れられて、俺たちはぞろぞろと階段を登った。
食堂の中央におかれたテーブルにはすでに6人分の料理が用意されている。パエリアに似た料理のようで、美味そうな琥珀色の米の中に、様々な色合いの肉や野菜が散りばめられていた。
「おお。これは豪勢だな!」
「遠慮なくいただくっす!」
食欲を抑えきれないアイリアとチーカを筆頭に俺たちは席につき、パエリアを頬張った。
「ん?」
「――あれ?」
「味が……しないな」
さっきまで最高潮のテンションだったアイリアの動きが止まった。
「……しないっす」
チーカもようやく現実に気づいたようで目が死んだ魚のようになっている。
そりゃそうだ。VRゲームで味が感じられるわけがない。
最近は口内に装着する味覚ディスプレイというものも登場してはいるが、リヴァティはまだ未対応だ。
いっぽうカリサの前にはいつのまにかビーカーやフラスコが並べられていた。「うーむ、違うな……」などとつぶやきながら、料理から野菜や肉を取り出し、アイテム合成の実験をしているようだった。
ぐぅうう……
気まずい沈黙の中、誰かの腹が鳴っているのが聞こえた。
「あ、味はしなくても、お食事は楽しめるよ。ほら、子どものころにやった、おままごとの要領で!」
陰鬱な雰囲気をなんとかしようと、ナルは嬉しそうにパエリアを頬張り、「おいしーい!」と大げさに声を上げてみせた。
「そ、そうだな。美味いと信じて食べれば……」
促されたアイリアは精神統一するように目を閉じるとパエリアを口に含み、モグモグと噛みしめた。
「うん。なかなかいけるぞ。チーカも食べてみろ」
「……うぃっす」
チーカも食べる仕草をしたが、その表情は苦痛に歪んでいる。彼女は良くも悪くも、自分を欺くことができない性格なのだ。
「ワインをどうぞ」
声がしたので振り向くと、なぜかマイラがグラスにワインを注いで回っていた。そういえばさっきからマイラの姿が見えなかったが何をしているのやら理解不能だ。
「先輩、なにやってんすか?」
「いちど、メイドらしいことやってみたかったんです」
彼女のクラスは神官のはずだが、長いことメイド服を着てるうちに気分が変わったのだろうか。やはり意味不明だ。
ナルが「乾杯!」と叫ぶと、アイリアやチーカも「乾杯!」と応じてグラスを飲み干した。
猫の前脚ではグラスは持てないので、俺は舌を使ってぴちゃぴちゃと飲む。もちろん味はしないが、口元に液体が触れているように感じられるのは3D音響効果が生み出す錯覚だ。
「先輩、ヒゲ生えてるっすよ!」
突然、チーカがナルを指さして叫んだ。
見ると、ナルの鼻の下に茶色いチョビヒゲが生えている。ナルは「えっ!」と慌てて口元に手を当てるが、ヒゲはみるみる横に広がって顔を覆っていった。
「チーカ、お前も生えてるぞ」と指摘したアイリアのアゴもモジャモジャのヒゲに覆われていた。
「なんじゃあ、こりゃあ!」と顔中が毛だらけになってパニックに陥る3人。
そのとき、マイラが大げさな声を上げた。
「は! これはまさか、カリサが合成した薬……」
全員の視線が集中したが、カリサは何食わぬ顔で平然としている。
「あなたがワインに薬を混ぜたのでしょ? ばればれよ」
「そんな……私に濡れ衣を着せようなんて、ひどい」
「それはあなたでしょ?」
「うぐぐ……」
程度の低い口論が続いていたが、俺は無視することにした。
ちなみに俺にもヒゲ魔法の効果は現れていたが、もともと毛むくじゃらなので、誰にも気づかれなかったことは言うまでもない。
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