どうしても見てしまうモノ

 022



 放課後、切羽は部活を休んだ。



 ついでにいうと、部長殿も来ていない。『恋の匂いがするので取材してきます!』という謎のラインが来ていたから、良さ気な男を見つけたか恋煩した友人にでも付き合ってるんだと思う。



 夕は相変わらず執筆活動にお熱であり、ならば部室へ来ていたのは半ば義務的な俺と全う権利的な星雲こはるだけという事になる。



 落ち着いている星雲と二人きりというのは、心身を脅かされる心配がなくてそれなりにいい放課後を満喫出来るような気もしたが。



「帰ろうぜ」

「残念ですけど、そうしましょう」



 まぁ、これが妥当な判断だろう。俺と星雲は、スクールバッグを持ってズコズコと部室から出ていった。



「先輩。やっぱり、先輩も巨乳さんが好きなんですか?」



 二人で校門へ向かっている途中、向かい側から走ってきた女子バレーボール部に気を取られていると、急にどうしたんだろうか。星雲が妙なことを聞いてきた。



「そうでもない。『過ぎたるは及ばざるが如し』という言葉があるだろ。俺もそう思ってる」

「でも、今の人のおっぱいを見てたじゃないですか。前から四番目の人、大きかったですよね」



 どうやら、星雲はいきなりプッツンきているらしい。隣を見ると、ムッとした顔で俺を見上げている。おっぱいに対して、何か並々ならぬ劣等感でも持っているのだろうか。



「見てない、人が頑張ってる姿を見ていた」



 嘘だ。俺は、ちゃんとおっぱいを。いや、あの巨乳ちゃんを見ていた。



「男の人って、どうしてそんなにおっぱいが好きなんですか? 不潔ですよ」

「俺の話、聞いてた?」



 しかし、これは俺と星雲の恋バナになるんじゃないだろうか。課外活動という意味では、視覚に頼った議題も悪いモノではないかもしれない。



「逆だ。おっぱいが好きなんじゃなくて、女に興奮する理由におっぱいをこじつけてるだけ」

「いや、もっとなんでか分からないんですけど」



 ちょっと待ってね、今考えるから。



「男にはないから羨ましいって話。貧乏人が金持ちになって散財する妄想と似た願望だよ、おっぱいには夢が詰まってるって比喩するだろ?」

「……直感的に分からせるの、ズルいですよ」



 ならば、星雲ももう少しズルい方法を覚えてみるといい。



 なんて、老婆心を働かせそうになったが。しかし、星雲から純粋さが失われると俺の中の決定的な何かが崩壊しそうな気がしたから止めた。



「それにしても、星雲からおっぱいの話が出るとは思わなかったな」

「頑張り屋さんが好きとか言っておきながら、結局それっていうのがムカついたんです。全部、先輩のせいなんですからね」

「それじゃあ、星雲は急に男のモッコリが通りかかっても見たりしないのか?」

「は、はぁ!? 急に何を言い出すんですか! エッチ! 変態!」



 む、不適切な言葉だったか。



「悪かった。ならば、星雲はどれだけ巨大なおチンポが――」

「酷くなってるじゃないですか! 大体! 私は言葉遣いの是非を咎めたんじゃないです! 不健全な言葉を口にした事それ自体に怒ってるんですからね!?」

「不健全ってなんのことだよ」

「おチンポです!」



 何か、とてつもなく面白い事が起こったような気がしたが、これ以上は何かしらの項目に、具体的にはR指定に引っ掛かりそうなので止めておこう。



 上月虎生の語り草は、あくまで全年齢対象なのである。



「とにかく、俺が言いたいのは急に現れたモノを無意識に見てしまうという事なんだよ。前を横切る黒猫とか、懐かしい匂いのシャツとか、そんな感じ」

「む、むぅ。そういうことですか」



 納得してくれたらしい。星雲は、ため息を吐いて自分の胸を撫で下ろすと、更に大きなため息を吐いてトボトボと歩き出した。



 ぺたーん。いや、どよーんとした効果音が背後に纏わりついているようだ。



「先輩、小さい胸は好きですか?」



 どうやら、彼女は俺が思っているよりも深く傷付いているようだった。根本的な話、俺は唇フェチなので胸の事は割とどうでもいいのだが、一応の為に肯定しておこう。



「あぁ、好きだよ。サイズはさておき、それがあると女って感じがするし」

「そうですか。なら、胸のない女は女じゃないんですね」



 ……まさか、二段構えだったとは。



「偶然聞いちゃったんですけど、クラスの男子たちが『付き合うなら一番胸が大きい子がいい』って言ってたんです。小さいと、女として見れないって」

「そうか」

「なら、私は恋してみたいけど、私にはその資格がないのかなって思っちゃって。だから、先輩に八つ当たりしたんです」



 星雲が誰かに恋をする事と、誰かが星雲に恋をする事に関係はないように思えるが。

 相手に好かれないから報われない、と彼女が結論付けたのだとすれば、このナイーブにもある程度の納得がいった。



 もしかすると、その男子たちの中に気になってる奴がいたのかもしれない。ならば、なかなか居た堪れない状況ではあるだろう。



 ……どうするべきか。



「例えば、お前は身長が170センチ以下の男は男として見られないと思うか?」

「そ、そんなワケないですよ」

「つまり、そういうことだ。価値観なんて人それぞれなんだから、思春期拗らせてる男子の一部を見て絶望するのはもったいないよ」



 珍しく、俺は人に説法を解いた。何かを知っているワケでもないのに、何を偉そうに語るんだともう一人の俺が呟く。



「もったいない、ですか?」

「そうだ。恋愛とは、とどのつまり特定の相手に特別な価値を持つ事だよ。星雲を好きになる男は、別のところにちゃんと価値を感じてくれる」



 しかし、それでも俺は星雲を慰めたかった。『かわいい後輩』がこんなことで『かわいくない後輩』になりでもしたら、コイケンは甚大な被害を受けるからだ。



 もちろん、俺個人にも。



「なんで、知ってるんですか?」

「恋をしたから。とカッコよく言いたいところだが、実は勉強したからだ。この事実は、姉さんに出会った後、恋をするよりも前の過去からの引用だよ」

「……本当に長い間、勉強してたんですね」



 何か、違和感のある言い回しだった。それに、思わず『姉さん』と呼んでしまったが、恋バナの際にあれ程気にしていた相手の呼び名を冷静な彼女が聞き漏らすだろうか。



 ……いや。聞き漏らすほど、彼女にとって胸の大小がコンプレックスなのか。俺が見たのと同じように、ほとんどの男たちもつい見ちゃうくらいだろうに。



「落ち込んだんだろ? なら、星を見に行こう。悪いけど、この前聞いた事は忘れちまった」



 すると、星雲は立ち止まって振り返り。



「……ふふ、しょうがないですね。なら、また最初から教えてあげます。いいですか? 天球の頂点が――」

「早いよ、着いてからにしてくれ」



 そして、俺たちは再びあの科学博物館で星を見て、それぞれの帰路に着いたのだった。



「そういえば、星雲。お前、眼鏡どうしたんた?」

「……とっくの昔に外しましたよ。具体的には、お花見の後からコンタクトです」

「へぇ、なんで気づかなかったんだろ。悪かった」

「もう! あんなに私のことかわいいって言うクセに!」

「ご、ごめん」

「先輩って、本当に外見に興味がないんですねっ!」



 ……さて、これにて俺が糾弾される材料がすべて出揃ったワケだが。



 進級からの長過ぎるプロローグを経て事件が動き出すのは次の日のこと。

 その日までモブキャラであった上月虎生という男の物語の引き金は、真っ白な便箋の形をして下駄箱の中に放り込まれていた。

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