第53話恋は雷のように

 手放していた杖を、手に取る。

 まるで老人のようにそれにもたれかかりながら、ボクは呼吸を整えた。


「驚いたな」


 瘦身の男は、先程までの無表情とは違う驚愕を顔に浮かべた。


「虚無の底から這いあがってきたのか? この状況で、いったいどうやって」

「単純なことだ」


 ボクは意識的に口角を上げて、精一杯の笑みを浮かべた。


「男の意地とか、そう呼ばれるやつだよ」


 我ながら、ふざけた言葉だ。馬鹿な奴に影響されたのだろうか。


「くだらないな」


 そう吐き捨てる瘦身の男はどこかボクに似ている気がした。

 斜に構えて、失望して、冷徹に世界を眺めている様。少しだけ、興味が湧いてしまった。


「お前、名前はなんていうんだ?」

「なに?」

「お前の名前だよ。諦めたフリしてるお前」

「それを聞いて何になる。……まあ、いいだろう。魔王に成った私の名はルサンチマン。特に覚える必要はないぞ」

「ハハッ、ボクは嫌いな名前だな」


 怨恨、あるいは嫉妬、だったか。

 陰鬱な名前の魔王に向けて、杖を構える。

 それに合わせて、ルサンチマンが肉切り包丁を構えているのが見えた。


「稲妻よ ライトニング」


 詠唱と共に魔力が出力され、スキルが発動する。

 ボクの杖から飛び出した稲妻は真っ直ぐにルサンチマンの元に走る。

 しかし、ボクの攻撃は再び出現した「虚空」に吸い込まれてしまった。


「……やっぱり魔法もダメか」


 キョウの剣を防いだ正体不明の力には、ボクの魔法も通じないようだ。

 ここまでは、概ね予想通り。


「どうだ、諦めたか? 俺と似た目をした女」

「誰が……お前と似ているだって……!?」


 言葉と同時に、ボクは魔法を発動させた。

 策は既に考えてある。

 あとは、それを忠実に実行するのみ。


 ボクにできるのはこれくらいだ。

 事実を元に作戦を組み立てて、それを愚直なまでに実行する。


 キョウのように窮地にて奇跡を掴み取るような力はない。

 けれど、キョウの信じてくれたボクを信じて、最善を尽くす……! 


「──ウォーターナイフ!」


 撃ちだされた水の刃の数は四つ。それらは空中で曲線を描き、それぞれ別方向からルサンチマンを襲った。


 今まで展開された「虚空」は一つ。であれば、複数方向からの攻撃には対応できないはず。


 しかし、ルサンチマンはボクの攻撃を見ても動じなかった。

 彼が肉切り包丁を横に大きく振るうと、「虚空」もまた横に大きく広がって出現した。

 水の刃は、すべて大きな「虚空」に吸い込まれていった。


「私の虚無はこの程度では破れん」

「まあ……そうだろうな……ッ!」


 先程のはあくまで気を引くためのもの。本命は次だ。


『──其は天よりの裁きなり。雷光よ来たれ──ジャッジメントストーム』


 魔力の効率的な操作方法を学んだ今のボクなら、大規模魔法を短い時間で発動できる。先ほどの魔法とは比べ物にならない規模の電撃が、ルサンチマンを襲った。


「ッ……」


 肉切り包丁が空間を切り裂く。全方位から迫る電撃を見たルサンチマンは、自ら「虚空」の中に入り瞬時に移動した。


 テレポーテーション。先ほどソフィアを戦闘不能に追い込んだ手法だ。

 ──でも、それはもう知っている。

 そして、そこから出した推論も確立した。


「お前みたいな奴が逃げる先なんて決まってる……相手の後ろ、視覚の外だろ!」


 ボクならどうするか、というシミュレーションの答えを辿れば簡単だ。

 自分であれば、正面から相対するのを避けて背後から攻撃する。

 臆病者の結論など分かり切っている。そんなもの、他ならぬボクが10年以上見続けてきた。


「水よ……アゲインストオブウェーブ」


 背後を振り向くと同時にただちに魔法を発動。

 難しくて発動に時間のかかる魔法はいらない。

 使うのは最低限の魔力。小さな波を起こす程度の初歩的な水魔法だ。


 しかし、それは先ほどボクが発生させた大規模な電流を巻き込み、通常時以上の威力を発揮した。


「なっ……」


 空間移動を行った直後の無防備なルサンチマンは、ボクの生み出した波をまともに食らった。

 水流が彼に到達すると同時に、水中を流れる電流が彼を襲う。


「ぐっ……アアアアアア!」


 ルサンチマンが悲鳴を上げる。

 生身の肉体の方はそこまで強くないようだ。

 すまさず追撃するために、ボクは次の詠唱をする。


『大地よ、万物を支える不動なるものよ。其の威容を示し、地上を貫け。クレイランス』


 地面から突き出した土の槍が、ルサンチマンに襲い掛かる。

 先ほどまでダメージに怯んでいたように見えた彼。


 しかし、なんとか体勢を立て直した彼は肉切り包丁を振るい「虚空」を顕現。辛うじて追撃を防いだ。


「クソッ……! なぜお前がここまで戦う……すべて無駄なのだぞ!」


 おそらく、キョウだったらルサンチマンが何を言いたいのか分からなかっただろう。

 でもボクは。彼によく似たボクなら、よくわかってしまった。


「貴様の昏い目を見れば分かる……お前も俺と同じだ。何をしても無意味なのだ! 努力も、夢も、すべて諦めることになる。であれば、最初からすべて諦める方がずっといい。いっそ壊してしまえば、すべて諦められるのだから!」

「……ああ、そうだな」


 ボクはキョウみたいにポジティブな楽天家じゃない。

 だから、彼の言葉も理解できる。


 けれども、彼とボクには決定的な違いがある。


「魔王ルサンチマン。お前はそうやって諦めて、全部壊すことを選んだんだな。だから、人間をやめて魔神についた」


 魔王とは人ではない魔の存在。しかし、ルサンチマンの濁り切った感情は、あまりにも人間らしすぎた。

 彼はボクの言葉を首肯した。


「ふん……そうだ。魔法都市ですら、俺の才能を認めなかった。だから壊す。授かったこの力で、この都市を破壊し、人間の文明を破壊し、すべての知識を無に帰す。俺が否定されたのと同じようにな」

「ああ、そうか」


 きっと彼は、ボクが行きついたかもしれない未来だ。

 絶望して、諦めて、全部壊したくなって。そうやって心を凍り付かせたボク。

 でも、違う。


「お前も、俺と同じ目をしている。醒めた目で世界を見て、呆れて、諦めている。お前も俺と共に来ないか? 己を否定する世界を壊したくはないか? 楽天的な馬鹿たちに、同じ絶望を与えたくはないか?」


 彼の目に冷たい炎が灯っている。きっと本気なのだろう。ボクに負けたくないだとか、そういう打算抜きに彼はボクが同じ道を歩むことができると信じているのだ。

 でも、違う。


「悪いな。──諦めるのは、もうやめたんだよ」


 正面を見る。ルサンチマン。ボクとよく似た目をした魔王。


「諦めるのはもうやめた。人が結構馬鹿なことだとか、社会が間違ってるだとか、そういうのは今はいいんだ」


 後ろをちらりと見る。倒れ込んだキョウの姿。ボクの友人で、この世界で唯一かつてのボクを知る人。


「諦めるのはもうやめた。ボクは元々男だからとか、彼は友人だからとか、そういうのはもういい」


 にこりと笑う。


「だって、必要としてくれたんだ。それなら、ボクは彼のために諦めるのをやめる。精一杯、彼が彼らしくあれるように全力を尽くして、それで自分の望みも果たす」


 不思議な高揚感が胸を満たしている。

 そして、魔力もまた自分の体の中に充満しているのが分かった。


 多分、我慢することをやめたからだ。

 魔力の源は己の心だ。

 激情が炎を作り、悲しみが豪雨を生み出し、想像力が土魔法を練り上げる。


『──其は天を瞬く雷光なり。閃きは刹那。衝撃は地を割く』


 ボクにとって、恋とは雷のようなものだった。

 惨めな奴隷生活から解放されて、初めて彼の顔を見た瞬間。

 変わり果てたボクのことをボクであると彼が見抜いた瞬間。

 ボクなんかが必要だと言ってくれた時。


 ボクは、雷に打たれたのだ。


『雷鳴よ轟け。スパークリングスピア』


 迅雷が知覚すら困難な速度でルサンチマンに迫る。彼は肉切り包丁を振って虚空に逃れようとした。


 しかし、先ほどまでの魔法とは段違いの速度で走る稲妻の前では、彼の足搔きは無駄だった。


「あ……アアアアアア!」


 虚空に潜るよりも早く、彼の体に電撃が直撃した。

 細身の身体がブルブルと震える。

 それと同時に、魔法都市全体を覆っていたオーラが薄くなっていくのが感じられた。

 命の危機に、彼のスキルが解除されたのだろう。


 全身をガクガクと震わせた彼は、その場にうつ伏せに倒れ込む。

 彼の恨めしそうな目がボクに突き刺さった。


「なぜだ。どうして俺が淘汰されなければならない。馬鹿はお前らだ。人間に諦めをつけた俺は間違っていない」

「まあ、馬鹿はどっちかとか、案外どうでもいい問題なんだろうよ」


 ボクは彼に近づき、人間からかけ離れて人類の敵となってしまった細身の身体を見た。


「ただ、勝手に諦めて勝手に壊そうとするのは間違っていた。それだけだろ」

「……そう、か」


 最後に小さく諦めたように呟いて、彼は呼吸を止めた。

 耳を劈くような雷鳴が飛び、異空間へ繋がる裂け目が発生していた戦場に、沈黙が下りた。

 非日常から解放されて、現実に引き戻される。


 人間の形を保っていた彼の命を奪ったことに、罪悪感を覚える。

 けれども、和解はありえない。

 ルサンチマンは絶対に止まれなかった。

 彼の人間への憎悪は、誰かに慰められて消えるようなものではなかった。

 誰かがやらなきゃならなかった。


 それでも、とボクは思考を進める。


 一方的に彼の考えを否定し、打ち倒したボクは、かつてボクを否定した同級生たちと対して変わらないのではないだろうか。


「──ヒビキ」


 後ろから声がして、慌てて振り返る。そこには、出血する腹を抑えて笑うキョウの姿があった。


「キョウ!? お前何してんだ! 大人しく寝てろ! 重症だろ!」

「いや、ヒビキが頑張ってるのが見えたから助力したかったんだけど……いらなかったな」


 彼はボクの方を見て、ニヤリと笑った。


「結構かっこよかったぞ、ヒビキ。お疲れさん」


 彼のそんな言葉を聞いてしまうともうダメだった。

 ボクの目から勝手に涙が溢れ出す。


「お、おい……そんな泣くことじゃ……」

「うるさい、これは汗だ」


 ボクを心配してオロオロと近づいてきたキョウの足が、ふいにふらついた。

 彼の身体を支えるために、ボクは彼の身体を抱き留めた。

 途端、ボクの心臓は大きな音を立て始めた。彼の大きな体が近くにあると、体が熱い。


「ほら、無茶をするから……寝てろって」

「悪い。くそ……どうせなら美少女に介抱されたかったぜ……」


 どうやら意識が朦朧としてきたらしい彼の耳元で、ボクは最後に呟いた。


「なんだ、ボクじゃ不満か? ……これでもボクは結構満足してるんだが」

「……」


 返事をする前に、キョウは意識を失ってしまったらしい。

 小さな呼吸音を立てながら目を瞑った彼を地面に横たえ、頭を膝の上に乗せる。

 ちょっと重たくて、くすぐったい。


「ははっ、馬鹿みたいな寝顔」


 顔にかかった前髪を軽く払う。ボクは、その顔をしばらく眺めていた。

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