12.疑問
「ここ、見て欲しいんだけど…」
気になった部分を、指先でなぞる。
「飲んだ薬―。これが?」
「…最初に胃腸の薬。で、その次に気の巡りを抑える薬を使ってる。短期間に相反する症状が出るって、普通に考えたら、おかしいの」
「たんなる誤診じゃないのか?」
「宮中の医師がこんな間違い方する?街のヤブ医者なら、薬を売りつける為に有ることないこと言うかもしれないけど」
「まぁ、太医署の医長なら腕はいいハズだしな」
「でしょ」
出された薬も副作用の少ない、効果の緩やかなもの。
これが原因で体調が反転した、とは考えにくい。
「故意なら、もっと強い薬を選ぶはずなの。…だから、他人の診察結果と間違えたのかもって疑って。それで食事の記録を見たけど、その前後の食事は消化のよい薬粥が多かった。―つまり、書き間違えじゃないんだよね。だから余計に、ひっかかるの」
「何故だ?」
「…理屈に合わないのよ、どう考えても」
わかったら、こんなに悩まないのよ。
それでいくつもの資料をひっくり返して、どこかにあるはずの違和感の元を探してたら、こんな時間になっちゃった。
「行き詰った時は、一度視点を変えた方がいい。時間がもったいないぞ」
「それもそうね。これは一旦保留で」
「で、他に気になるところは?」
「えっと…、これ。薬が変わった後に、寝込むことが多くなってるの。『心身虚弱により休養を要する』って。この時期に何かあったのは、間違いないはずだけど…」
薬が変わった時期から、今日でひと月と十日ほど。
ここまで同じ症状が続くってことは、なんらかの不調が関係してるはず。
なのに、悪い所が見当たらないなんて―。
「たとえ薬の副作用だとしても、若い人がここまで眠り続けるなんて、まずあり得ないの。人間って食べないと死んじゃうから、お腹がすいたら自然と目が覚めるはず」
「誰かが毎日、弱い睡眠薬を飲ませていたら?」
「十日くらいで身体が慣れて、効き目が弱くなる。その前に、どこかに支障が出ると思うけど」
「病気でもなく、薬を飲まされた可能性も低い、と」
「理由の無い症状は無いの。ただ、見つけられないだけ…。でも、どうしてこうも、痕跡がないのかな。あ〜。わかんないっ!!」
半分やけくそで叫んで、両手を放り出して、頭ごと椅子にのけぞった。
ほんと、お手上げよ。
思いっきり頭をかきむしりたい。このもどかしさを、どうにかしたい。
「…そもそも、だが」
脱力する私の前で、広げた巻物をじっと見比べていた穎くんが、おもむろに視線を上げた。
「なに?」
「何者かの故意だと仮定して、妃が目覚めない事で誰が得すると思う?」
「ん…」
それは私も、ちょっと考えたの。
翠英さまのお身体が悪くなって、誰か得するのか、を。
「最初はありがちな『ご懐妊で他の妃に妬まれ』路線かと思っけど、どうやら違うみたいで」
「跡継ぎ問題ではなさそうだな。まぁ、そうだろうな」
「あと考えられるのはは怨恨、かな。でも、翠英さまは後宮で恨まれるような、目立った存在でもないし…。後宮の外にもほとんど出ないしね」
「まぁ、節分くらいは街に出るだろうけどな」
「最近だと上元節かな。まぁ、お忍びで出会った人に恨まれる可能性って、ほぼ無いけど」
皇妃の外出は、当然のことながら制限される。
それでも上元節の三日間は、皇族方もお忍びで都城下に出てこられるって聞くけど、それは年に一度の、特別な日だから。
普段は宮城の奥、厳重な警備と強固な城壁に囲まれた花園が、彼女たちの唯一の住処。
そんな閉ざされた後宮で、さらに引きこもってる時点で、他者との接点は皆無なのよ。
交友関係がなさ過ぎて、怪しい人物さえ見当たらないわ。
「…ほんとに、翠英さまって存在を忘れられてるんじゃないかってくらい、誰とも接点が無いのよねぇ」
「緘口令が出てないのに、話題にもなってないしな」
「え。まって。後宮の内情って、皇城まで届いちゃうの?」
「まぁ、筒抜けとはいかないが、風の噂程度では聞くな。蔡氏の妃の話題は、今までその名前も聞いたことが無い。よほど内向的な方なんだろう」
「寝てても大して変わらないって、よっぽどね。とことん人目を避けてたのね…」
そこまで存在感がないって、逆にすごいよね。
寝てるっていうより、現実逃避で夢の世界に閉じこもってるって考えた方が、しっくりきちゃうわ。
「とはいえ、物事には必ず、原因がある。今回の事も、誰かに影響が出てるはずだ。思い込みを捨てて、一から考えないと」
「ん…。医師や侍女たちは責任追及されるし、誰も得しないんだよね…」
「…その者たちを、陥れたい人間がいたら?」
「え…?」
想像もしてなかった指摘に、一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。
陥れるって…。
誰かを困らせる為に、他人に危害を加えるの?
わざわざリスクを冒してまで、そんな事する人がいるっていうの?
「人の命の危険にさらしてまで、嫌がらせするなんて、性格悪いにも程があるよ。そんな人がいるなんて想像しただけで、鳥肌立っちゃうわ」
「あのな。ここは宮廷だぞ?悪意の巣窟にいて、他人を疑わないなんて能天気もいいところだ」
「いやいや穎くん、ちと、
「お前もしばらくしたら分かる。近づいてくる奴は疑え、これは宮廷の常識だ」
「そんな…。なんか、世知辛いなぁ」
「当たり前だ。政治の世界は全員が競争相手だ。いつ 隣人を出し抜くか、皆、虎視眈々と狙ってる」
「…そんな伏魔殿みたいな場所なの?ここは」
「笑顔の仮面をつけて、袖の内で刃を研いでいるような輩ばかりだ。今日ここに来た奴らがいい例だ。思い出してみろ」
「え、あの人、たち…?」
今日の来客数人の顔を思い返してみる。
昼前に来てた、刑部の
彼らもって言うの?
「そんな風に見えないケド…」
「気が付かなかったか。あれもとんだ狸だぞ?お前、人を見る目がないな」
「え~。気さくな方だと思ったのに…」
「人当たりのいい人間が善人、なんて保証はどこにもない。ここでお前に近づく奴の中には、オレの情報を引き出そうと狙ってる者も混じってるから」
「待って、混乱してきた…」
「派閥争いはどの世界にもつきものだ。壁の裏、柱の影、誰が耳をそばだているかわからない。宮中の人間は誰しも、足元をすくわれないように警戒しながら日々過ごしてる。それは後宮も同じこと。どこにも無傷の無垢な人間などいないさ」
彼の声には重苦しいほどの厭世の念が滲み出ていた。
どんな気持ちで、彼はそう言うんだろう…。
性格はともかく、この若さで小卿を拝命するほど有能な青年は、想像を絶する程の悲劇を見てきたのだろうか。
そのせいなのか。
すこし不安になって、彼の様子をそっと伺ってみる。
強い眼差しは遠くを見たまま。
心なしか、歯がゆさと悔しさが刻まれたように見える横顔がある人を思い起こさせて、胸の奥がキリッと引きつった。
「穎くんも、言えないような辛い思いをしてきたの?」
心許せる相手もおらず、孤独を背負い、戦い続ける人。
悲しみを心の奥にしまって、誰にも覚られぬよう笑顔の
目の前の彼も、あの人ように、拭い去れない何かを抱えてるのだろうか。
「こんな環境が本当は嫌だから、いつも眉間に皺寄せてるの?穎くんも、ここにいる自分が許せない時が、あったりするの?」
勝手な思い込みかもしれない。
でも、どうしても気になって、つい口にしてしまった。
すると彼はすこし驚いた顔をして、ふぅっとため息をつくと、ゆっくりと窓の外に顔を向けた。
しばらく黙って外を見ていたけど、部屋の中に視線を戻すと、私を見てスッと目尻を下げた。
「お前、無駄に察しがいいんだな」
「ただなんとなく、そう思っただけ。違ってたらごめんなさい」
「いや。その通りだ」
穎くんは眉を寄せて小さく笑うと、机に寄りかかり天井を仰ぎ見た。
「…オレも昔は、地位さえあれば、自分の思い通りに出来ると信じてた。生き馬の目を抜く出世競争に勝ち上がってここまで来たが、なんてことない。余計に雁字搦めになる一方だ」
「なんで、穎くんは出世したいと思ったの?」
「…無力な自分が、嫌だったんだろうな」
「どうして?」
「この手に得たいものがあった。それには力が必要だった、ってことだ」
「それは小卿になって、手に入ったの?」
「残念ながら。体面やらなんやら、余計なものばかり増えていくだけだった。しかも周りに寄ってくるのは、媚びを売る輩ばかり。まったく馬鹿馬鹿しい」
「そっか。偉くなっても、その立場なりの苦労があるのね。知らなかったわ」
「もう慣れたがな」
苦笑いする穎くんの、すこし物悲しそうな横顔。
燭台の灯がつくるふたりの影が、ゆらゆらと揺れて床に伸びた。
「…もし、子供の時にそれを知ってたら、役人にならなかった?」
「ん…。他に生きていく道も無いからな。結局、今と変わらないだろう」
「そっか」
庶民からしたら、お役人サマは偉そうに指示するだけで、自分は綺麗な衣を着て、宴会ばっかで羨ましいって思ってたけど。
見えてないだけで、みんな生まれた星の下で、必死にもがいてるのかもしれない。
「で、お前は何で、医師になりたいんだ?」
「…苦しむ人の為ならって、呼ばれれば昼夜問わず駆け付ける父の背中を見て育ったから、かな。ちょっと変わった人だけど、みんなに頼りにされて、ああなりたいって思ったんだ」
「そうか。医師っていい仕事なんだな」
「いい医者、なんだよ。患者思いの。お金のない人にも、後払いでいいよって薬出しちゃうし。だから忙しいわりに、ちっともお金貯まらなくて」
「お前も苦労してるんだな」
「いつでもやり繰り四苦八苦よ」
「だから妙に小うるさいんだな。若いのに気の毒なことだ」
「余計なお世話よ」
「お互い様だ」
ハハッと笑った穎くんの屈託のない笑顔に、私も今日はじめて、心から笑った。
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