30 あの世の流儀

 撫子とオーナーが決闘を始めたということは、ホテルの従業員たちにあっという間に知れ渡ることになった。

「約束を破るのはよくないですよ」

「今からでもオーナーに謝って決闘をやめるべきです」

 ほとんどの従業員は撫子に止めるようにすすめた。

「オーナーを嫌わないでください、撫子様」

 チャーリーは懸命に撫子に訴えてきた。

「僕とヒューイは赤ん坊の頃にオーナーに拾われて以来、ずっとオーナーにお世話になってきました。少し強引なところはありますけど立派な方です。撫子様にはそれを理解して頂きたいです」

「チャーリー。決闘に他人が口を挟むな」

 ヒューイは冷静にチャーリーを制して言う。

「オーナーにもお考えあってのことだろう」

 まだ何か言おうとするチャーリーを引っ張って、ヒューイは玄関の扉の脇に戻っていく。

 撫子は従業員の皆の優しさを感じていた。約束を破ると聞くとみんな激痛が走るような顔をするのに、頭ごなしに撫子を否定しない。きっと撫子は大変なことをしようとしているのだとわかっていた。

 でも譲れなかった。両親がくれた命がまだ続くのなら、撫子は戻りたかった。

 自室に向かおうとして、撫子は足を止める。

 あの部屋はオーナーが与えてくれたもので、今撫子が使っていいものじゃない。

 撫子は踵を返して下へ向かうエレベーターに乗る。

 砂時計の砂は三分の一ほど落ちていた。

 チン、と音を立てて扉が開いた時、目の前にいたのはヴィンセントだった。

「少々お時間を頂けますか?」

「……はい」

 彼も約束を破るのはやめた方がいいと言うのかな。撫子が目を逸らしていると、彼は応接室に撫子を導く。

 ソファーにかけて向かい合うと、目を伏せている撫子に声をかける。

「思いきったことをなさいましたね」

 その声に非難の色がないことに気がついて、撫子は顔を上げた。

「いえ、それはオーナーの方かもしれませんね」

 ヴィンセントは柔和な面立ちに苦笑を浮かべて撫子を見ていた。

「手に入らないからといっていっそ対決しようというのは、あの方の少々屈折した愛情なのでしょうか」

 ヴィンセントは顎に手を当てた。

「やあ、お嬢さん」

 扉が開いて三毛猫のご主人が入って来る。撫子は突然の来訪に驚いて立ち上がった。

「ご主人、どうしてここに?」

「少し暇があったものでね。そうしたら何やらあいつはとんでもないことを言いだしたって聞いて」

 ご主人は肩を回しながら呆れたように言う。

「惚れた女と決闘するかね、フツー。つくづく極端な奴だ」

「ご主人、でもそれは私が約束を破るからで」

 撫子が言いよどむと、ご主人は口の片端だけを上げてみせる。

「原因を作ったのはあいつだろう。しかもあいつが決闘を申し込んで、お嬢さんはそれを受け入れた。ならその新しい約束を尊重するのが筋ってもんだ」

 彼はテーブルを指先でトンと叩いた。

「名前当ての決闘は、この世界に来て日が浅いお嬢さんには不利だ。俺とヴィンセントは、お嬢さんにヒントを与えようと思う」

「ヒント?」

 ヴィンセントもうなずいて言葉を続ける。

「決闘には第三者が手助けすることもできます。オーナーの本当の名前を知っている者は、名前そのものを教えることはできませんが、決闘者の質問に答えるのを許されます」

 撫子は頭を下げて感謝した。

 撫子に味方してくれる人はいないと思っていた。いなくても受け入れようとも考えていた。

 だけど差し伸べてもらえる手があるのは、それだけでこんなに心強い。

「時間が迫ってるだろう? 考えて、答えるんだ」

 撫子は砂時計を見た。すでに半分ほどの砂が落ちていた。

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