まもって、お願い。 ~加害者少女は犬になる~
柳なつき
見世物
「筋肉つけろよ、
広いリビングルーム。
お兄ちゃんが、恭くんを殴っている。殴っている。殴りつけている。
恭くんは既に体のバランスを崩していて、お兄ちゃんの拳を防ぐので精いっぱいだ。
わたしは、首輪から延びる鎖で、ダイニングテーブルにつながれている。
わたしと恭くんは、大学の終わった夜や休日、ここに来ることを強要されていた。
恭くんは、いわゆる男子中学生監禁事件の、いわゆる被害者。
そして、わたしたちは、いわゆる男子中学生監禁事件の、いわゆる加害者。
主犯格は、わたしの、お兄ちゃん。
わたしが加害者であることを秘密にしてほしいと、始まったペットプレイだったけれど――他の加害者のみんなに見つかって。
わたしと恭くんの秘密のペットプレイは、……みんなの、見世物にされている。
「うちの可愛い妹を、飼うってんだからさ――やっぱ、飼い主たるお前には強くあってほしいわけよ、お兄ちゃんとしては」
お兄ちゃんの拳が、恭くんのお腹に炸裂する。
恭くんは背中からソファに倒れて、両目を瞑って呻く。
「おい。もうお終いかよ。つまんねえな」
「飼い主失格なんじゃねえの?」
誠くんが、お兄ちゃんに言う。
「しっかし
「確かに。あんまり殴るのもアンフェアかもなあ。そんじゃ、っと」
お兄ちゃんは、恭くんを思い切り蹴る。
恭くんは、深く、呻いた。
お兄ちゃんは、恭くんに目線を合わすかのようにしゃがみ込んだ。
「良い飼い主になりてえよなあ、恭」
恭くんは、呼吸も荒く。目を瞑ったまま、動かない。……痛そうだ。
そんな恭くんに。お兄ちゃんは、更に蹴りを入れる。
「なりたくないのか?」
「……なり、たい、です」
「そうだよなあ、そうだよなあ。なあ、俺も今年、医学部入っただろ? 医者になって多くの人命を救ってやろうと思ってんの」
恭くんはわずかに目を開けた。
「人助けってやつ? そんで、お前がやってんのは、犬助けだろ、咲花っていう犬助け。だから共感できるとこ、あんのよ。俺が医者として成長していくみたいに? お前には、飼い主として、成長していってほしいわけ」
お兄ちゃんは、話しながら、恭くんを蹴り続ける。
……やめて。恭くんを、それ以上痛めつけないでよ、お兄ちゃん。
そう言いたいのに。
身体が、ぴくりとも動かない。動かせない。
人間の言葉を話してはいけない、と命じられているからではない。
やめてほしいなら、きゃんきゃん、きゃんきゃん、犬のことばで伝えればいい。
お兄ちゃんの言ってることは――わたしにだってわかる、めちゃくちゃだ、って。
「恭の力は、まだまだだよな。筋肉が足りてねえんだよな、筋肉が。毎日筋トレしろよ。俺の命じたメニュー千回ずつ」
「千回はえぐいって、時雨。うける」
「な? うけるだろ? まあ恭も咲花も大学辞めればいけんだろ。こいつらにはもったいない大学だし」
「ですよねえ。貧乏人が行く国立大学なんて辞めちゃえばいいですよね!」
真衣ちゃんも、……そんなことを言う。
コキコキ、と。
お兄ちゃんは、肩と手を鳴らしながら――こっちに来る。
心臓が早鐘のように鳴り始める。
「さて、と。手本、見せてやるよ。犬のしつけの」
かすれ声で。
でも、恭くんが、確かに何かを言った。
「……なんだよ、恭?」
「や、め――」
「俺に向かって意見するっていうの?」
恭くんの表情は、たちまち恐怖に染まって。
ぶんぶんと、首を横に振る。
「だよな。よし。いくぞ、えみ!」
えみ。わたしの、犬としての名前。
咲花だから、えみ。
お兄ちゃんが、拳を振り上げる。
わたしは、きゃん、と言いながら目を閉じて――覚悟したけれど。
「――し、時雨っ、……さん」
恭くんの声が。
耳に。鈴の音のように響いた。
「……俺、まだ、できる、から」
……幻聴かと思ったけれど、現実だった。
恭くんは――呼吸を荒くして、怖がって、だけども、……お兄ちゃんを見上げて、確かにそう言っていた。
「強く、なるから。……鍛えて、くれませんか、俺のこと」
どうして、って。ほんとうは。言いたい。
だけど人間の言葉を喋ってはならないから。――だけども気持ちを伝えたいから。
だから。わうん、とわたしは声を上げた。
お兄ちゃんに、そんなこと言ったら。
いじめられるだけだよ。もっと痛めつけられるだけだよ。
それなのに。……どうして。
お兄ちゃんは拳を振り上げた状態で。
ぞっとするほどの無表情で、伏せるわたしを見下ろしていたけれど――。
ふいに、口もとだけで、ニタリと笑った。
「おっ、恭。まだやれんのかあ」
お兄ちゃんはぱっと振り向くと、恭くんのもとへ向かう。
拳を。やはり、コキコキ鳴らしながら。
「鍛えてやんよ」
ひっどー、と誠くんが嘲るように言う。
真衣ちゃんが、くすくす笑いながら録画を始める。
わたしの情けないところも、恭くんの屈辱的なところも、真衣ちゃんは、スマホに収めて逃さない。
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