まもって、お願い。 ~加害者少女は犬になる~

柳なつき

見世物

「筋肉つけろよ、きょう。飼い主やってくには、力がないと駄目だって」


 広いリビングルーム。

 お兄ちゃんが、恭くんを殴っている。殴っている。殴りつけている。

 恭くんは既に体のバランスを崩していて、お兄ちゃんの拳を防ぐので精いっぱいだ。


 わたしは、首輪から延びる鎖で、ダイニングテーブルにつながれている。


 真衣まいちゃんの家。

 わたしと恭くんは、大学の終わった夜や休日、ここに来ることを強要されていた。


 恭くんは、いわゆる男子中学生監禁事件の、いわゆる被害者。

 そして、わたしたちは、いわゆる男子中学生監禁事件の、いわゆる加害者。

 主犯格は、わたしの、お兄ちゃん。


 わたしが加害者であることを秘密にしてほしいと、始まったペットプレイだったけれど――他の加害者のみんなに見つかって。

 わたしと恭くんの秘密のペットプレイは、……みんなの、見世物にされている。


「うちの可愛い妹を、飼うってんだからさ――やっぱ、飼い主たるお前には強くあってほしいわけよ、お兄ちゃんとしては」


 お兄ちゃんの拳が、恭くんのお腹に炸裂する。

 恭くんは背中からソファに倒れて、両目を瞑って呻く。


「おい。もうお終いかよ。つまんねえな」

「飼い主失格なんじゃねえの?」


 まことくんが、スマホから顔を上げて笑う。

 真衣まいちゃんは、ため息をついて録画をやめた。


 誠くんが、お兄ちゃんに言う。


「しっかし時雨しぐれ、容赦ねえよなあ。恭は素人だぜ? お前、何年ボクシングやってんの」

「確かに。あんまり殴るのもアンフェアかもなあ。そんじゃ、っと」


 お兄ちゃんは、恭くんを思い切り蹴る。

 恭くんは、深く、呻いた。


 お兄ちゃんは、恭くんに目線を合わすかのようにしゃがみ込んだ。


「良い飼い主になりてえよなあ、恭」


 恭くんは、呼吸も荒く。目を瞑ったまま、動かない。……痛そうだ。

 そんな恭くんに。お兄ちゃんは、更に蹴りを入れる。


「なりたくないのか?」

「……なり、たい、です」

「そうだよなあ、そうだよなあ。なあ、俺も今年、医学部入っただろ? 医者になって多くの人命を救ってやろうと思ってんの」


 恭くんはわずかに目を開けた。


「人助けってやつ? そんで、お前がやってんのは、犬助けだろ、咲花っていう犬助け。だから共感できるとこ、あんのよ。俺が医者として成長していくみたいに? お前には、飼い主として、成長していってほしいわけ」


 お兄ちゃんは、話しながら、恭くんを蹴り続ける。

 ……やめて。恭くんを、それ以上痛めつけないでよ、お兄ちゃん。


 そう言いたいのに。

 身体が、ぴくりとも動かない。動かせない。


 人間の言葉を話してはいけない、と命じられているからではない。

 やめてほしいなら、きゃんきゃん、きゃんきゃん、犬のことばで伝えればいい。


 お兄ちゃんの言ってることは――わたしにだってわかる、めちゃくちゃだ、って。


「恭の力は、まだまだだよな。筋肉が足りてねえんだよな、筋肉が。毎日筋トレしろよ。俺の命じたメニュー千回ずつ」

「千回はえぐいって、時雨。うける」

「な? うけるだろ? まあ恭も咲花も大学辞めればいけんだろ。こいつらにはもったいない大学だし」

「ですよねえ。貧乏人が行く国立大学なんて辞めちゃえばいいですよね!」


 真衣ちゃんも、……そんなことを言う。


 コキコキ、と。

 お兄ちゃんは、肩と手を鳴らしながら――こっちに来る。


 心臓が早鐘のように鳴り始める。


「さて、と。手本、見せてやるよ。犬のしつけの」


 かすれ声で。

 でも、恭くんが、確かに何かを言った。


「……なんだよ、恭?」

「や、め――」

「俺に向かって意見するっていうの?」


 恭くんの表情は、たちまち恐怖に染まって。

 ぶんぶんと、首を横に振る。


「だよな。よし。いくぞ、えみ!」


 えみ。わたしの、犬としての名前。

 咲花だから、えみ。


 お兄ちゃんが、拳を振り上げる。

 わたしは、きゃん、と言いながら目を閉じて――覚悟したけれど。


「――し、時雨っ、……さん」


 恭くんの声が。

 耳に。鈴の音のように響いた。


「……俺、まだ、できる、から」


 ……幻聴かと思ったけれど、現実だった。

 恭くんは――呼吸を荒くして、怖がって、だけども、……お兄ちゃんを見上げて、確かにそう言っていた。


「強く、なるから。……鍛えて、くれませんか、俺のこと」


 どうして、って。ほんとうは。言いたい。

 だけど人間の言葉を喋ってはならないから。――だけども気持ちを伝えたいから。

 だから。わうん、とわたしは声を上げた。


 お兄ちゃんに、そんなこと言ったら。

 いじめられるだけだよ。もっと痛めつけられるだけだよ。

 それなのに。……どうして。


 お兄ちゃんは拳を振り上げた状態で。

 ぞっとするほどの無表情で、伏せるわたしを見下ろしていたけれど――。


 ふいに、口もとだけで、ニタリと笑った。


「おっ、恭。まだやれんのかあ」


 お兄ちゃんはぱっと振り向くと、恭くんのもとへ向かう。

 拳を。やはり、コキコキ鳴らしながら。


「鍛えてやんよ」


 ひっどー、と誠くんが嘲るように言う。

 真衣ちゃんが、くすくす笑いながら録画を始める。

 わたしの情けないところも、恭くんの屈辱的なところも、真衣ちゃんは、スマホに収めて逃さない。

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