教祖の白昼夢

佐治尚実

序章

01.和絃の夢-1

 水音が近付いては離れていく。

 鳥の甲高い鳴き声に、沢村太輝さわむらだいきは重いまぶたを開いた。静かに打ち寄せる波が白く泡立つ。規則的に寄せては返す光景に、自分は海にいるのだと目を見開く。これが夢なのか疑わしく思い、とっさに頬を叩いた。自分の意志で手を動かせる。


「これは誰の夢だ」


 ふと、頭が真っ白になる。次々と自分以外の夢に忍び込んできたから、夢の主が太輝であって、他人のものでもあるような気すらしてきた。

 太輝の夢ならば、魂だけが浮くようなふわつきを感じ、脳が一方的に映像を処理していく。今みたいにここまで意識が鮮明ではない。ならばこれは一体誰の夢だろうか。

 数分前、太輝はベッドで睡魔に誘われた。携帯電話で親友との通話中に寝落ちして、最後に見たのは夜風でふくらんだカーテンだった。


「僕のじゃない」


 目の端から端まで深い青の海が広がっている。


「暑い」


 身体の感覚がある。意識も鮮明だ。自分の名前も思い出せる。だからこそ、これは他人の夢に違いなかった。

 風が吹き、上体がぐらつく。唐突な浮遊感に片目だけ涙が溢れた。風向きに目を向けながら、誰のだろう、と正常な状態を取り戻そうとした。


「夏かな、暑いのいやだ」


 海沿いは弧を描き、潮風が白い砂を立ち上げる。水平線に小さな離島、頭上ではぼんやりとだが細長い雲が浮かんでいた。雲と島、どちらももやがかかっている。人影の見当たらない白い大型船が静かに横揺れをしている。形からして旅客船だろうか。その横を漁船が走り、白く泡立った跡を残して水上に白い線を描く。


「熱い」


 足が熱くて痛い。砂浜に立っている自分は、紺の寝間着姿のままであることに気が付く。あまりに滑稽な姿だったから、乾いた笑い声を漏らした。


「それも長袖」


 さらりとした白砂につま先が埋もれていた。太輝の見ている足は、本当に自分の体の一部だろうか。かかとに重心をかけてみたら、砂の中から長い中指が出てきた。

 日差しは強烈で、気温も高い。季節は夏だろう。感覚もある。太輝は瞬間的に足をじたばたさせ、むやみに砂埃を巻き上げた。すると、砂に混じった細かい漂流物を踏んだらしく、足の裏に鈍い痛みを覚える。


「痛みだ」


 触覚がある。角が丸いそれを、太輝は拾い上げなかった。いま注意すべきところは他にある。


「落ち着け、落ち着け」


 気を取り戻すべく、波打ち際へ三歩大きく進み、鼻から潮風を吸い込んで深呼吸をする。じーじーと蝉が近くで鳴いている。聴覚も鮮明だ。

 すると、低く長い音が三発、旅客船から吹鳴すいめいした。出港の合図だろう、船が動き出す。


「ここは夢の中だ、僕は夢を見ているんだ」


 自分がいまどこにいるのか、己に言い聞かせるよう、あえて口に出す。


「うるさい、うるさい。どこだ、ここは、どこ」


 旅客船と蝉の鳴き声がけたたましい。


「まただ」


 太輝は天を仰いだ。

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