第9話 呪いの処置

「アグノラ様!!肩の傷を見る許可を下さい!」

「え?でも…。」

 アグノラはセレーナの勢いに、断ることが出来なかった。

 その間に、セレーナは、ダリウスのボタンをはずし、肩が見えるように襟を開いた。

「やっぱり……。」

「セレーナちゃん!若い子が触ったらダメよ。」

 肩は真っ黒く染まっていた。

 アグノラの様子を疑問に思ったが、すぐに伝染病だと思っているのだと思い付いた。

「アグノラ様。これは呪いです。人にはうつりません。」

 悲痛な面持ちのセレーナにアグノラは呆然としている。

「呪い……。」

 心配させまいと、ダリウスは事実を伝えなかったのかもしれない。

 ブラックウルフは、我が国付近には生息していない。遠くまで行って噛みつかれたのか、居ないはずの場所にいたのかどっちかだ。襲われた場所によっては、陰謀に巻き込まれた可能性だってある。


 呪いは、特殊な魔力文字を特殊な方法で身体に書き込むことで起こる。特殊であろうとも魔力文字であるなら、取り除くことが出来るのではないかと思うのだ。

 セレーナは魔力を馴染ませるように動かしたが、呪いに変化はない。

 よく観察すると、黒いものは皮膚の内側に広がっているように見えた。

 "皮膚が邪魔なのかしら…?"

「私が付けた傷は治しますので、やらせてもらってもいいですか?」

 アグノラは頷くことしか出来なかったのだが、それすら目に入らない勢いで飛び出して、どこからか裁縫道具を持って戻ってきた。

 針を魔法で加熱し消毒すると、呪いで黒くなったところにプスリと突き刺す。

 その小さな穴から、自分の魔力を流し込んでいく。魔力の扱いに長けたセレーナだから出来る芸当であった。

 呪いに馴染ませると、呪いが浮いてきたようだ。針でつけた小さな傷から出すように動かし、最後は針の先に引っ掛けてズルズルっと引っ張り出した。

 わからない文字が並ぶが、読める部分があった。

「吸収…?複製…?」

 嫌な予感がして、肩に目を落とすが黒さは変わっていない。

 外に出した呪いの魔法文字を、左手で保持しながら、右で次の呪いを引っ張り出す。それを繰り返すうちに、左手の上は真っ黒いもやで一杯になってしまった。

「ひゃぁ~!!」

 呆然としていたアグノラが我に返り、悲鳴を上げて部屋から出ていく。

 "この呪い、どうしたものかしら"

 ダリウスの肩の黒さに変化は感じられないが、呪いは取り出し可能だとわかった。後は、取り出した呪いの処理方法さえわかれば。

 手近にある、椅子や、布などに書き込むことはできなかった。

 "『吸収』とあったけれど、吸収するのは魔力とか体力とかよね。生物じゃないとダメなのかしら。それならば、目立たないところがいいわね"

 セレーナは応急処置として、自分に移そうと思った。ドレスをたくし上げて太ももをあらわにする。

 針を手にして、太ももに狙いを定めた。

「セレーナ!何をしている!?」

 針を持つ手が掴まれた。

 驚きで、呪いを撒き散らしそうになったが、何とか耐えた。

「お父様を苦しめていたものです。対処法がわかるまで、わたくしが預かります!!」

 セレーナの焦りかたから、時間の無さが伝わってくる。

「はぁ~??いや!?俺が受ける!」

「それはなりません!!」

 どんな反応が起こるかわからないのだ。セレーナ自身であれば対処が出来るかもしれない。

「これを使うから俺にしてくれ!」

 マークが腰から下げた石を見せた。

「それは?」

「身代わり石と呼ばれるもので、衝撃や魔法攻撃の身代わりになってくれる。実際、父がブラックウルフにやられたとき、使い果たされて真っ黒になっていた。」

「いいのですか?」

 確認をしたものの、左手の制御は限界が来ていた。

「あぁ、ここでいいか?」

 マークが身代わり石を握りしめた右手を差し出した。

「いきます。」

 針でチクッとして、左手から右手へ、右手から針の先へと呪いの魔法文字をうつしていく。マークの身体に入ると、身代わり石に吸い込まれていった。どんどん黒く染まっていく石と、残っている呪いを見比べて、身代わり石の容量が足りるか心配になったが、すべての呪いを吸い込むことが出来た。

「よかった…。」

 繊細すぎる作業で疲れはてたセレーナが、床にしゃがみこむ。

「セレーナ。大丈夫か!?」

 心配そうにマークが顔を覗き込む。

 "あら、仏頂面以外の顔も出来るんじゃない"

「少し疲れてしまいました。」

 立ち上がろうとすると、セレーナの肩をマークが支えた。

 微笑みを作り、マークと目線を合わせる。


 ・・・!!!


 冷静になると、ドタバタと走ったことを思い出した!!マークには、転ばないか心配されただけなのだが。

  ドレスを太ももまでたくし上げていたことも思い出す!!

 "やってしまったわ!!私ったら、はしたないわ!!足も見せてしまったんじゃないかしら!?はっ、はっ、恥ずかしい!!"

 羞恥心で顔から火が吹く。

 顔を赤くしたセレーナを見て、マークの心臓は跳び跳ねた。




 セレーナの印象は、始めに感じていたものとは随分変わっていた。ウィルとのやり取りを見ていると、彼女から誘っているわけではない。ただ、可愛らしい見た目と、誠実な態度、聡明さで多くの人から好かれているだけだと、今ではわかる。

 母と楽しげにおしゃべりをし、父の体調を気遣い、できる限りの対応を考えてくれている。昨日の夕飯は、食べ応えのあるメニューで美味しかった。いつもは父のためのメニューであり、病人の父に同じメニューを出したのかと心配になってしまったほどだ。確認したところ、使用人はセレーナがアレンジ方法を教えてくれたと嬉しそうにしていた。


 今日もセレーナはやって来た。エリントン家に行くはずの日で、セレーナを見つけたマークは、声をかけるか迷ってしまった。扉の前でウロウロしていると、急に扉が開いた。セレーナの行き先は厨房だった。

 父と母のためにお茶を入れるらしい。

 昨日も遅くまで検査の魔法を発動していたし、セレーナは父の症状をなんとかしようと必死だ。彼女の一生懸命さは感謝しなければならない。しかし、すでに諦めた俺を責めているように感じた。

 "放っておけば、どうせ諦めるんだ"

 そう思いながらも、セレーナの一挙一動に苛つく。


 無理なことを一生懸命頑張っていたと、後で知ったら残念な気持ちになるだろう。

 セレーナの負担を減らすために、父の症状の原因を教えた方がいいと、自分に言い聞かせる。

 後ろめたい部分が全く無かったわけではない。『呪い』と言えずに『ブラックウルフ』と教えた。国内にいない魔物の名前など知らないだろうと思ったのだが、マークの予想は裏切られ、セレーナは顔色を変えた。

 ブラックウルフを知っていたのか?と呆然としていると、母が飛び込んできた。

 母は要領を得ないほど慌てていたが、何か尋常ではない状態で助けを求めに来たらしいのだ。

 セレーナの行動は、先ほどの自分の言葉が原因としか考えられない。必死で父の寝室に向かった。

 セレーナは異様な気配を放つ黒い塊を片手に、細くて真っ白い太ももに針を差そうとしていたのだ。

 反射的に止めたのだが、黒い塊は父親に巣くう呪いらしい。しかも自分に取り込もうとしていたのだ!!信じられなかったのだが、不気味な黒い塊を何とかしないとならない。

 父が怪我をして帰ってきたとき、身代わり石を見せられて「これが即死を防いでくれた」と言っていたことを覚えていた。

 賭けではあったが、上手くいかなくてもセレーナがいる。

 俺の提案に少し戸惑った様子のセレーナだったが、手のひらに針を突き刺した。

 ゾワゾワとした気味の悪い感覚が近づいてきて、逃げ出したい気持ちを精神力で押さえ込んだ。

 無事に身代わり石に呪いが移ったところで、セレーナが力が抜けたようにしゃがみこんでしまった。



 無事を確認したくて顔を見ると目が合ったのだが、その後、彼女は顔を赤くする。

 "ウィルの誘いを冷静に流すが、俺に肩を抱かれて顔を赤くしている!?"

 彼女の様子に、心臓が大きく鼓動し、全身が熱くなるのを感じた。

 "かわいい・・・"

 彼女を支える腕に力が入りそうになるのを必死でおさえる。彼女のことしか見えなかった。セレーナが恥ずかしそうにこちらを見れば、心臓は跳ね上がり、バクバクとうるさい音を立てる。セレーナから一時ひとときも目を離せなくなってしまった。

 "か、かわいい・・・"

「・・・マーク!マーク!」

「・・は、はい!」

 母が呼んでいる声で我に返る。

「セレーナさんを客室に案内して頂戴。」

「わかりました。」

 セレーナを支えながら歩くが、彼女の腕が華奢で細いことに気がつき、もう一度心臓が跳ねる。

 "俺は何を考えているんだ!?しっかりしろ!!"

 客室に案内し、言葉少なめに休むように伝える。ゆっくり話をしたら、「かわいい」と言ってしまいそうだったから。



 未だに煩い心臓の音と格闘しながら、落ち着かない様子で家の中を歩き回っていた。

 "そろそろ、起こしに行ってもいいだろうか?寝顔を見たら怒るだろうか?"

 怒らせるのは避けたいが、セレーナのことが気になって仕方がない。

 起こさないようにそっと扉を空けて中を覗くと、セレーナはすでにいなかった。

 "どこに行ったんだ?もしかして帰った?"

 家の中を必死で探すと、厨房に居るのを見つけて、胸を撫で下ろした。

 父の食事を作っているようだ。いつも食事の準備をしてくれる使用人に説明をしながら鍋をかき回している。

 厨房の入り口で、その様子をずっと見ていた。

 ご飯が出来ると父の寝室に運んでいく。マークはセレーナの後ろ姿を追いかけていった。

 父を優しく起こし、状況を説明する。ご飯を食べて体力を付けることも治療の一つだと説明している。セレーナの真面目な顔も可愛らしい。

 もちろん、帰りは送っていくことにした。

 口を開けば「かわいい」と言ってしまいそうで固く口を結んでいると、セレーナが話しかけてきた。トクンと心臓が音を鳴らす。

「身代わり石は、高いものなのでしょうか?」

「給料の二月ふたつき分と言われているよ。」

 冷静を装って返事をすると、なぜかセレーナは悲しそうな顔をした。

 マークは胸が痛くなり、何とかしなければと思った。




 次の日、セレーナがハワード家に向かうと、マークが待っていた。

「身代わり石があれば、父の症状は良くなるのか?」

「はい。今のところ、呪いの対処方法が他に解りません。ただ、急いだ方がいいでしょう。」

 呪いの魔法文字には『複製』とあったので、時間が立つにつれ、増えてしまうかもしれない。

「祖父の残したものを使っても良いらしい。俺が仕事が終わるまで待っていてくれ。」

「わかりました。」

 セレーナは、ダリウスの看病をしながらマークの帰りを待った。今回はダリウスにしっかり説明をし、起きている状態で処置することになった。

 ダリウスによると、ほとんど痛みはなく少しむず痒い程度らしい。

 次の日には、ダリウスは支えられながらも歩けるまでに回復していた。




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