29 ミックはミミック
29 ミックはミミック
降り注ぐ丸太は天蓋となって陽光を遮り、渓流を洞窟のごとき暗がりへと変える。
まさかシーウルフ軍団がこれほどの秘密兵器を持っていたとは想像もしていなかったミックたちは、大パニックに陥っていた。
「わぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?」「にゃぁぁぁぁーーーーーーっ!?」
次々と着水する丸太によって、川が爆ぜる。
それは、倒壊しゆく建物の中にいるような絶望的な光景であった。
しかしエクレアはこんな時でも身体を強ばらせたりせず、いつもの脱力した姿勢を貫く。
いつもの寝ぼけ眼であったが、瞬きはしない。
落ちてくる月に立ち向かうかのように、暗黒の空をじっと見つめていた。
――自分は笑えない、怒れない、泣けない、そして怖くない……。
不気味だと言われた自分が、たったひとつだけ感じられること……。
それを、ふたりはたくさんくれた……。
だから、今度は……。
「に……逃げて、エクレアお姉ちゃん!」「にゃにゃーっ!」
背後から轟くふたつの悲鳴に、エクレアの瞳の奥に小さな光を灯した。
静かだけれど熱い詠唱。足元に魔法陣が浮かび上がり、帯電しているかのように身体じゅうに稲妻が走る。
「今度は自分が、ふたりを守る」
真上に掲げた杖から、樹木のごとき雷撃が天に向かって伸びていく。
今まさに彼らを押しつぶさんとしていた頭上の丸太が爆散する。
実はこのときミックは最後の手段に出ようとしていたのだが、エクレアの全身から立ち上るオーラに踏みとどまっていた。
なぜならば、魔法というのは精神を種にして作られ、追いつめられるほどに大輪の花を咲かせる。
ミックは代理先生として、生徒の成長をギリギリまで見守っていたのだ。
「す……すごいよエクレアお姉ちゃん! 雷撃魔術がさらにパワーアップしてる!」「にゃーん!」
「滝行の成果が出た」
「そうなのかな? とにかくその調子で、ガンガン撃ち落として!」「にゃーっ!」
「フレー! フレー! エクレアお姉ちゃん!」「にゃーん! にゃーん! にゃにゃーん!」
ミックとロックは宝箱の中でバンザイをして、わぁわぁにゃあにゃあとエールを送る。
それはただの声援でしかなかったが、エクレアにとっては背後に百万の仲間がいるほどに勇気づけられた。
次々と降ってくる丸太を、極太の稲妻レーザーで次々と破壊していく。
丸太は重量こそあれシーウルフに比べると鈍重だったので、対応はたやすかった。
しかしさらなる妨害が加わる。
着水した丸太が起こした水しぶきが崖を這い上がり、高波となって襲ってきたのだ。
エクレアは嵐の海に挑むサーファーのごとく波をいなしていく。
しかし丸太を打ち砕くほどの雷撃魔術と、激しく揺れるサーフィッシュの制御は彼女の身体から一気に魔力を奪っていった。
そしてついに、限界が訪れる。
魔力が枯渇し、撃ち放つ雷撃は丸太にヒビを入れるだけにになってしまう。
サーフィッシュを急制動させて直撃だけは避けられたが、そばに着水した丸太の衝撃でエクレアはとうとうサーフィッシュから転落。
「ぷはっ」と水面から顔を出すと、頭上には続けざまに降ってきた丸太が、今まさに彼女を押しつぶそうとしているところだった。
「あっ」
エクレアの頭に走った走馬灯。
彼女が慕う先生の笑顔と、目の前にいるミックの笑顔が重なった。
「よ……よかったぁ……!」「にゃ……!」
「……?」
エクレアはなにが起こったのかわからず、きょとんとした表情であたりを見回す。
そして、史上最大の驚愕を目の当たりにする。
それは、何事があっても驚きを表面に出さなかった彼女が「えっ」と声を漏らしてしまうほどのものであった。
なんと、宝箱の中からタコのような足が伸び、エクレアの胴に巻き付いていたのだ。
しかもタコの足は1本だけでなく、もう一本出ていて、その足は吸盤の力で崖の上のほうにぺったりと貼り付いていた。
これがミックの『最後の手段』、タコ足を使ってエクレアの身体を引き寄せて助ける。
しかしウエイトの関係で宝箱のほうが引き寄せられてしまう可能性があったのと、続けて降ってくる丸太から待避するため、同時に崖の上空めがけてタコ足を放っていた。
よっていまのミックの宝箱は1本のタコ足の力で崖に貼り付いて、もう1本のタコ足によってエクレアの身体を持ち上げているという状態である。
すでに丸太の脅威は去っていたので、エクレアはずぶ濡れの身体のまま、きょときょとと視線を巡らせていた。
特にタコ足を舐めるように注視したあと、光なき瞳にミックを映す。
おかっぱ頭から雫をぽたぽたと滴らせながら、いつもの口調でぼそりと一言。
「代理先生って、ミミックだったの」
ミックは迷ったが、ごまかしようが無いと思ったので正直に答えた。
「いや、違うよ。こういうスキルなんだ。ちょっと不気味かもしれないけど、おかげで助かったでしょ?」
「とにかく降ろして」
「降ろしてもいいけど、サーフィッシュはもう流されちゃったよ? とりあえず、
「にゃっ」と招き猫のように肉球で手招きするロック。
しかしエクレアは口をバッテンにするばかり。
「自分の身体では、大きすぎて入れない」
「大丈夫大丈夫」「にゃっにゃっ」
ミックはタコ足を動かしてエクレアの身体を持ち上げると、足先から宝箱に入れようとする。
エクレアは「無理」とだけ言ったが、気づくと見知らぬ部屋の中にいた。
「?」
キョトンとした顔が戻らない。
目の前には、自分の視点と同じ高さのミックとロックがいる。
聡明な彼女はすぐに気づく。ここが宝箱の中であるということと、自分の身体がピクシーサイズにまで縮んでいることに。
しかしだからといって、この摩訶不思議な状況に理解が追いついたわけではない。
「え……? なに……これ……?」
先ほど宝箱からタコ足という、彼女史上最大のサプライズがあった。
しかしその記録は、わずか数分も経たずに塗り替えられてしまった。
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