第2話「生と死に」ついて。

皆子供の頃一度くらいは死んだらどうなるんだろう、死ぬのが怖いと考えた事はないだろうか。私は3歳の頃に初めてお葬式に参列した。

まだ死という物がどんなものか理解していなかったのでとても不謹慎だが、親戚の人がたくさん集まったり美味しいご飯食べたりとそこまで悲しくはなかった。小さい子がいるから周りも配慮してくれていたのだと思う。ただおじいちゃんはずっと眠ってるな、なんだ今日は遊んでくれないのかという感じだった。

2回目のお葬式は小学一年生の頃だ。母が朝方急遽学校休んでおばあちゃんの所に行くからと黒いワンピースを渡された。今は黒が好きだが小さい頃は明るい色を好んで着ていたので真っ黒なワンピースは嫌で、こっちが良いと白のシャツにスカートを提案したがあっさり断られた。

流石に小学生にもなると、朝の急いでる母の言う事はなるべく素直に聞くのが身のためとわかるようになり渋々黒いワンピースを着た。

少し暗い気持ちになったが、学校を休める事で心を保てた。子供にとって元気な時に学校を休める事は、その日1日が確実に最高の日になる象徴とも言える。勿論学校は好きだし、友達とも会えて楽しいがやはり毎日毎日行くのは疲れる。時たま体は元気でもなんだか心が疲れてて休みたいなと思う時は度々あった。だが私の母は基本熱がないと基本行きなさいという人で休ませてくれなかったので、あの日は本当に嬉しかった。休ませると休み癖がと言う人もいるが、休まないでいると休み方も忘れるし熱が出てなくても心が疲れてるなら休むべきだと子供ながらに思っていた。かなり話が逸れてしまったがお葬式の話に戻るとしよう。

おばあちゃんの所に着くと父も母も忙しそうで色々な手続きや話し合いなどをしていた。先程学校を休める日は最高の日と言ったが、これは例外だ。大人の話し合いほどつまらないものはない。子供は蚊帳の外だし入れてもらったところで理解できない。やっと話し合いなどが終わり霊安室という所に行った。おばあちゃんは眠っていた。おじいちゃんの時と同じだ。

おじいちゃんが亡くなった時は私が小さいこともあり、今は寝てるんだよとかお空に行くと優しく教えてくれたが今回は教えて貰わなくてもわかる。人は死ぬ時眠るように目を瞑り二度と目を開ける事はないと。これが死ぬという事、とても怖くて悲しいもの。急に動悸がして頭の中で色々な事が思い浮かんだ。お葬式は誰もがいずれ経験する事で私のような経験をした人はたくさんいると思うが、私の人生は「私」が主人公なのでこれは初めて主人公が「死」について理解した日である。

その後は最後のお別れをして火葬をしたが、おじいちゃんの時と違い全く楽しくなかった。そもそもお葬式が楽しいわけがないのに、小さくて理解してなかっただけだ。無知な事は時に不幸だが幸せな時もあると今なら思える。

それから暫くは死がとても怖かった。死んだらもう何も出来ない、どこに行けばいいのか?

そもそも行く場所はあるのかなど。

これも考えたらキリがないが怖い事からは逃げたり、対処法を考えてしまうのが人間だと思っている。勿論子供の私には良い対処法なんてない。大人の私でも無いのだから。死からは逃げれないし、人は生きてたら死ぬ。せっかく産まれたのに死んじゃうなんて悲しすぎる、ずっと生きてよう。これが子供の頃の私の最大の対処法だ。不老不死とかではなく、ただその頃の無知な私がずっと生きてれば良いそう思うだけで死の怖さが薄れた。子供は純粋でとても単純だ。そんな子供だった私も大きくなるにつれて真逆の考えになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る