Episode❷ カステラとぬいぐるみ
尾々間くみ子は、ベッドの上にあるぬいぐるみをじっと見つめていた。
くまのキャラクターのぬいぐるみだが、くみ子はそれが何のキャラクターなのかを知らない。
さっき検索して、10年くらい前にやっていたテレビアニメのキャラだということがわかったが、それだけだ。
「うーん、やっぱりこっちにも特にこれといった変化はないなー」
くみ子は伸びをすると、ぬいぐるみのおいてあるベッドに横になった。
その瞬間、ガチャリと部屋の扉を開ける音が聞こえ、くみ子は慌ててベッドから飛び起きた。
「あのう、何かわかりましたでしょうか」
「いやー今のところさっぱりっす」
扉を開けて部屋に入ってきたのは、
尾々間くみ子をこの家に呼んだ、依頼人だ。
「こちら、差し入れです」
芽衣は台所から持ってきた盆を部屋の中央にある丸テーブルに置いた。
「おお、ありがとうっす。いただきます」
盆の上にはカステラが綺麗に切られて皿に並んでいる。
甘いものに目がないくみ子は、さっそく手掴みでカステラを一切れ、口に放り込んだ。
「うおお、これ美味しいっすね」
「駅前の人気のお店のものなんです。残り物ですが」
「いえいえ、お気遣いなく!」
芽衣は満面の笑みでカステラを頬張るくみ子をそっと見た。
髪を後ろでお団子にまとめた髪型に、ピンクの横縞のあるカットソーを着ている。下は黒いひらひらのスカート。家に入る前には、140センチにも満たない小さな体に似合わぬトレンチコートを羽織っていたけれど、こうして部屋でカステラを食べている様子を見ていると、中学生くらいにしか見えないが、彼女の名刺によればくみ子は歴とした大学院生である。
「それでは、また何かわかったら教えてください」
娘が生きていればその友達に見えたかもしれないな、と芽衣は少しだけ目頭が熱くなるのを感じ、くみ子に顔が見えないようにそそくさと部屋から出て行った。
🧸
芽衣の娘、萌香が死んだのは一年前。
警察の見解では、自殺と処理された。
学校で、イジメを受けていたらしい。
事件の調査をしていた警察の人は有能で、芽衣がイジメを受けていた証拠やイジメの主犯も突き止めてくれた。
けれど、まだ中学二年生だった萌香の死に、芽衣は生きる気力の全てを奪われた事実を覆すことはできない。女手ひとつで萌香を育てるためにしていた仕事もやめ、外にも出なくなった。
家の中に残った娘の持ち物を見ていると、どうしても娘を思い出して気が狂い出しそうになる。そう感じた芽衣は、娘の部屋の真ん中に鎮座していたぬいぐるみを、ゴミの収集日に合わせてゴミ捨て場に捨てた。
だが、その日のうちに何故かぬいぐるみは、リビングの上のソファにあった。
確かに捨てたはずなのに、あまりに心を乱され過ぎて、記憶違いを起こしたのか。
芽衣はもう一度ぬいぐるみを捨てに行った。
けれど、やはり捨てた筈のぬいぐるみは同じようにソファの上で芽衣を睨みつけるかのように鎮座していた。
何度も、何度捨てたところで、ぬいぐるみは家の中に戻っていた。
怖くなった芽衣はスマホで、霊能関係のページを漁った。そうして見つけたのが、“百目鬼倶楽部”という大学のサークルだった。
相談を無料で受け付けて、尚且つ相談者からの評判も高いというそのサークルに芽衣は連絡を入れた。
そうして来たのが、先程娘の部屋でカステラを幸せそうに平らげていた尾々間くみ子だった。
くみ子は芽衣に名刺を渡し、芽衣からことの事情を聞いた後、芽衣のことを頭からつま先までじっとりと舐め回すように観察して、ぬいぐるみに何かおかしなことがないか、それとその持ち主の部屋におかしなことがないかを調べたい、というので、芽衣は彼女に萌香の部屋を案内したのだった。
🧸
「やーっぱり何もない!」
くみ子は再度、お手上げというように両手を天に伸ばした。
人にあまり言うことではないが、くみ子にはかなりハッキリとした霊感がある。だから、学生の身でありながら、百目鬼倶楽部でも優秀な派遣員としてこうして怪談・怪異絡みの依頼があれば駆けつけるのだが、今回に関しては本当に何も感じなかった。
「ぬいぐるみに魂が宿るって話は結構あるあるだけどさー」
実際、この家に訪れるまでは今回もそういう案件だろう、と思っていた。そうでなくとも、依頼人の方が良くないものに取り憑かれている可能性とか。そういうことを考えて、くみ子は依頼人である加納芽衣をじっくり観察し、自殺したという娘の萌香の部屋に何かあるんじゃないかと考えたが、やはりここにも何もない。
「これは癪だけど、センパイに連絡するか……」
くみ子は大きく溜息をつき、スマホを取り出した。怪異譚を収集し、時に解決する東雲大学のサークル、百目鬼倶楽部。当然、そこに在籍するのはくみ子だけではない。
くみ子は依頼に手こずった時によくヒントをもらう先輩の番号に電話をかける。
「どうした、尾々間くみ子。一つ貸しだ」
「最悪の第一声っすよ、センパイ」
くみ子がこの先輩に相談するのが嫌なのはこういうところだ。
あまり嫌な声を聞きたくないくみ子は早速、電話越しに先輩に依頼内容を話した。
先輩はふんふんと相槌をしながら話を聞く。
「ひとりかくれんぼは知っているかな」
「そりゃ知ってるっすけど」
ネットでも昔、かなり流行った都市伝説だ。ぬいぐるみの中にある綿を抜いて米と赤い糸を入れ、定められた手順でぬいぐるみ相手にかくれんぼをすることでぬいぐるみが動く、一種の降霊術とされている。
「ひとりかくれんぼ自体は歴史も何もない都市伝説だが、広まったのには広まっただけの理由がある。それはその儀式が、とてもらしいということだ」
「らしい、っすか?」
「そう。君も言っていたように、ぬいぐるみや人形に魂が宿るというのはよく聞く話だ。まあ当然だろう。人や動物を模したモノに魂が宿り、動き出すというのは、想像が容易い」
「確かにそうっすね」
「想像が容易い、というのは重要だ。もしかしたら本当かも? 多くの人がそう思えば、その話の流布は加速する。そうするうちに、色々なバリエーションがうまれたりもする」
「何が言いたいのかそろそろまとめてほしいんすけど?」
「君の近くにあるそのぬいぐるみ、どこかに新しい縫い目はないか?」
くみ子は先輩の言葉を聞き、ぬいぐるみを持ち上げてくまなく観察した。
すると、ぬいぐるみの脇の部分に他の糸とは少し繊維の質が異なる糸が縫われているのを見つけた。
「あー、あったっす。え? つまり、このぬいぐるみはひとりかくれんぼに使われたと?」
それにしては普通の重さだ。ひとりかくれんぼに使うぬいぐるみには米を入れるので、実際に手順を守るとぬいぐるみはかなり重くなる。
「ひとりかくれんぼ、その亜種だな。おそらく、だが。そのぬいぐるみは捨てても戻ってくる、というのが依頼人の言い分なのだろう? なら、実際に夜、捨ててみることだ」
🧸
芽衣の家は駅からも離れた場所にあるマンションの一室だ。だから、夜になると人通りも少なく、外にいると風の音だけが響く。たまに通る車の音もすぐになくなり、静寂が戻る。そんな繰り返し。
くみ子はゴミ捨て場に捨てられたぬいぐるみが見える位置で隠れながら、目を離さないように見つめていた。
夜になり、芽衣には「お祓いはもう済んだ」とくみ子は伝えていた。嘘の報告をするのは心苦しいし、芽衣もかなり不審がっていたが、追及することもできない様子だった。
家から離れる前に芽衣には、お祓いが済んだから、もう一度今日、ぬいぐるみを捨ててください、と話しておいた。
気が乗らないのなら、代わりに捨てるとくみ子が言うと、芽衣は自分で捨てられる、と断った。
時刻はもう夜明け前。
夜からずっと起きっぱなしの為、少し眠気に襲われて意識が飛びそうになるところをくみ子は息を飲み込んでじっと耐えた。
そうしているうちに、足音が聞こえた。
足音はゴミ捨て場に近づいてくる。芽衣だった。
くみ子の言葉通り、ぬいぐるみを捨てに来たようだ。他の不燃ゴミと一緒に袋にまとめてぬいぐるみを捨て、そのままマンションに戻った。
それから暫くして。
またゴミ捨て場に足音が近づいて来た。
その足音の主はゴミ捨て場を見下ろすと、ぬいぐるみの入った袋を乱暴に開けて中からぬいぐるみだけを取り出した。
くみ子はその様子をスマホのカメラを使い、動画で撮影した。
ぬいぐるみを拾った者の顔がしっかりとカメラに映る。
そこにいたのは、寝巻き姿で虚ろな目でぬいぐるみを抱く、加納芽衣その人だった。
🧸
それから何日か後、撮影された動画をもって、芽衣は精神科を訪れた。
結局、ぬいぐるみを家に戻していたのは怪異でも何でもなく、芽衣本人だった。
芽衣がぬいぐるみを捨てたかった本当の理由。
それは、娘のぬいぐるみを使って、インターネットで見た反魂の術を行なっていたからだった。
ぬいぐるみの中から綿を抜き、その綿と同じだけの量の、死んだ人間の身体の一部を入れる。入れるのは髪の毛でも爪でも何でも良い。その後、ひとりかくれんぼと同じような手順を踏むことで、死んだ人間の魂がぬいぐるみに宿る。
そんな儀式を、芽衣はぬいぐるみに対して行っていた。
実際に芽衣の娘のぬいぐるみの中には、萌香の髪の毛や子供の頃に抜けた歯などが入っていた。
しかし、その儀式は失敗。
ぬいぐるみに娘の魂は宿る様子もなく、だからと言ってそんな不気味な儀式に使ってしまったぬいぐるみをそのまま家の中に置いておくのも怖くなった芽衣は、ぬいぐるみを捨てたかったのだった。
「だが、娘のぬいぐるみを捨てたくない気持ちや、もしかしたら本当はぬいぐるみに娘の魂が宿っているのに気づいていないだけなのではないかと考える依頼人の心は、引き裂かれ、夢遊病のような症状として現れた。あの依頼人に必要だったのは、お祓いなどではなく人間の医者だった、というだけの話だ」
くみ子が相談をした先輩は後に事件をそうまとめた。
「ホント、人っていうのは過去に囚われる生き物っすね」
「残念だったな、後輩。今回はご馳走にありつけなくて」
「いや、それは……別に良いんすよ」
ご馳走ならありつけた。
たとえ正しくはなかったのだとしても、芽衣が百目鬼倶楽部に相談したことは、過去ではなく、
「あの日食べたカステラの味は、美味しかったっす」
病院の診察に向かう芽衣に、くみ子はそう感謝の言葉を伝え、お別れをした。
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