27 帝国の皇太子
夜会の日が来た。
今日のドレスは瑠璃色だ。上半身と裾に水色の糸でアラベスク紋様が刺繍されたシンプルなドレスで、ヴァンサン殿下も瑠璃色の軍服の袖口と襟に同じ刺繍があしらわれている。
大人しい感じだし目立たなくていいなと思ったんだけど、最後に首にじゃらりと真珠とラピスラズリを所々に配したチェーンネックレスを巻き付けられた。
豪華な赤い絨毯で覆われた宮殿の広いホールにはずらりとシャンデリアが並び、天井や壁は一流の画家による絵画で装飾され、大理石の彫像が所狭しと並び、贅を凝らした調度品の数々で埋め尽くされている。
宮殿で行われた夜会は盛況だった。帝国は春がシーズンとかで今真っ盛りなのだそうだ。
「ヴァンサン、紹介してくれないか」
長い黒髪が艶々と渦を巻き、紫の瞳が蠱惑的な美女が現れた。生命力にあふれ胸もはちきれそうだ。後ろに金髪碧眼の美女を従えている。
その胸にちょっと触らせて欲しいかも。肌がモチモチで吸い付きそうな感じでどうしたらそうなるのか知りたい。
「エイリークだ。こちらブルグント帝国の皇太子レオニー・エリーザベト殿下とルーチェ・ガルシア妃殿下」
「初めまして……」
「まあ、可愛らしい方」
なんと帝国の皇太子は女性だった。
御年二十二歳で子持ちなのに結婚のお相手は女性だという。つまり後ろのもう一人の金髪碧眼の女性は皇太子の配偶者なのだ。そして、子作り制度を皇太子自ら実践しているのだ。
「ヴァン、わたくしのパートナーになる気はない?」
この人、僕の目の前で馴れ馴れしく誘っている。男のパートナーとはもう別れたのかしら。四角関係上等って皇太子自ら率先してやるのね。ていうか、何処までも繋がっていくんじゃね、これ。何処かで制限するのかしら。
ニコラとジュールの修羅場を見たけど、いざ自分の目の前で見ると何とも言えない気分になるな。
「ありません」
殿下がにべもなく答えると、こちらを向いて言うのだ。
「あなたからも薦めていただけませんこと?」
「え?」
何と言ったのだろうこの人は。僕、今女性の格好をしているよね。
「わたくしと子供を儲ければ、その子がこの国の皇帝になるかもしれないのよ」
「いや別に」
「そんな者はいらん。私の子供はこのエイリークとの子供だけだ」
「じゃあ、我が国の先端医療に任せたらいいわ。あなた達の子種を預ければ出来るのよ。いつがいいかしら、行く日を予約して──」
「いや、それは遠慮したい」
殿下が途中で遮ったけど、この皇太子は僕が女性じゃないのを知っているのか、それ前提で話を進めている。
この国で男同士で子供を作る方法があると、シャトレンヌ公爵が言っていた。しかし、殿下はそれに乗り気ではなさそうだ。
男性の子種ってアレだよな。それを医療にっていったって、管理しているのは国だろうし、この人が要求したら手に入れることが出来るだろうな。そうして自分の知らない所で子供が出来るとか、それは嫌だなあ。
ふいにこのレオニー皇太子がウツボカズラになってヴァンサン殿下に襲い掛かる幻影が見えた。
蔓をビュー―ッと伸ばし、殿下をぐるぐる巻きにして、頭からそのよだれの出た赤い唇で食べようと──。
「うっ……」
扇を広げて殿下に縋り付く。
「どうした、顔が青い」
「少し人酔いをしたようです」
「そうか、庭園に出て休むか」
殿下は僕をエスコートしてテラスに向かう。
「お弱い方ですのね」
「ヴァンサン殿下、そんなに弱くては困るのではないか」
ルーチェ奥方とレオニー殿下がやれやれといった風に肩をすくめる。
ほっといてくれ。ていうか、心配する気は……、無いようだな。
ウツボカズラを見てやろうと扇のレンズでチラリと覗くと、隣の奥方がヴァンサン殿下を見ていた。うへ、こっちの方がすごいな。蜘蛛だ。足が八本ある。僕は蜘蛛が嫌いなんだ。
僕はアリアドネの糸をマドレーヌから手に入れた。それでできる魔道具を色々調べたんだ。導きの糸とか真実の糸とか作れる物は作った。その時アラクネの織物までついでに調べたんだ。項目が近くにあった所為かな。
アラクネは物語を紡ぐ。そしてそれを真実に変えてしまうという。
「どうしたんだ?」
「あいつがウツボカズラに見えたんだよ」
「ブッ」
噴き出すなよ。アンタが危ないんだぞ。殿下にあげる魔道具に他にも何か付けないと。
アレは怖い。一筋縄ではいかない。
でも、この会場ではとても言えない。
糸が張り巡らされているような気がする。
庭園に出てベンチに座ると殿下が「飲み物を持ってくる」と会場に戻った。
会場ほどではないが庭園も照明が行き届いて、幻想的な夜景が浮かび上がっている。向こうに見えるのは東方の花か、ピンクの花びらが風もないのにひらりまたひらりと落ちて行く。地面はピンクの絨毯になっている。
その絨毯の上をゆっくりとこちらに向かってくる人影がある。やがて目の前に現れたのは、この前魔道具科に入ったカール君だった。
「やあ、こんな所で会うなんて」
そう言いながら僕の目の前に立った。首筋までの真っ直ぐの黒髪、蒼い瞳は夜陰に隠れている。口元を扇で隠して、黙ったまま少年を見上げる。僕は今、エイリークの格好をしているんだけど。
「ボクは分かるんだ、ていうか知っているんだ」
エイリークを知っているのか。エリクがエイリークだと知っているのか。
でも、レオニー皇太子も知っていたな。エイリークが男だと。
「君はここの人なの?」
「そうだ」
そうか、王族なのか。将軍の妹だったら王族に嫁ぐのもありか。
少年はふと顔を上げ口を引き結ぶと、くるりと踵を返してピンクの絨毯の向こうへ行ってしまった。夜会には出ないようだ。
「誰と話していたんだ」
ヴァンサン殿下が飲み物を手に戻って来た。遅かったな。
「クラスメートがいた」
「クラスメートがその恰好を見て分かるのか?」
「王族だったら分かるんだろ。皇太子も知っていたじゃあないか」
飲み物を取り上げて口を付けると甘酸っぱい香りがした。あまり好きな香りじゃない。グラスを上げて扇を広げて中身を見る。別に普通の果実水のようだ。
「ありがと、もう大丈夫だよ。綺麗な花だね」
「そうだな」
ふと風が吹いてピンクの花びらがひらひらと風に舞った。
***
少し休んで会場に戻ると皇帝陛下が会場にお越しになっていた。
帝国の皇帝陛下はバルテル国王より少し歳上か、黒髪の偉丈夫だ。レオニー殿下はこの方に似たのだろう。後で聞いたけど子供が十人以上いるらしい。
その内の一人がカール君だろうか。
「これは皇帝陛下、ご招待いただきまして誠に光栄でございます」
「ヴァンサン殿下、余計な挨拶は良い」
そう言って隣に目を向ける。
「そちらがそなたの?」
「はい、エイリークと申します」
「おお、紹介したい者がおる。メクレンブルク公爵」
水色の髪を短く撫でつけた男性が現れた。陛下が紹介する。
「エイリーク、君の母上の兄上、つまり君の伯父上だ」
「初めまして、エイリークでございます」
「本当にフランセスそっくりだ。生きていたんだな。ヴァンサン殿下、シャトレンヌ公爵から丁寧な知らせが届いて、会える日を楽しみにしていた。あなたのお陰だそうだな。いくらお礼を言っても言い尽くせない」
僕を見てにっこり笑う。
「両親がエイリークに会いたがっている。よければ我が城までご足労願えまいか」
「そうですね」
目の前にいる優し気なメクレンブルク公爵を見ながら思う。取り敢えずどこからでも僕の情報は漏れ出ている訳だ。自由なこの国なら、誰が知っているかどこまで知られているか分からないってことか。
扇で顔を隠してそろっと目的の人物を探す。いる、レオニー殿下の後ろに隠れて獲物をじっと見ている。
レンズの向こうにいるのはやっぱり蜘蛛だ。蜘蛛の背後に豪華なタペストリーが出来上がっている。僕はヴァンサン殿下の側で青い顔をして俯いた。
ああ、豪華な広間に張り回されている蜘蛛の糸が見えるような気がする。
僕はどうすればいいんだろう。
物語はどこまで織り上がっているのか。
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