第8話 運命の出逢いがあるとするならば

 女御にょうご様との話を終えた私たちは宮中内きゅうちゅうないにある師匠の自室に向かっていた。

 途中で師匠は陰陽頭おんみょうのかみさんに呼ばれ、私は一人で部屋に向かうことになった。


「いいですか、愛弟子。誰かに声をかけられてもついていってはいけませんよ?私の部屋から出ず、いい子で、待っていてくださいね?一人でお留守番をできますか?」


 私は幼子おさなごにでもなった心地になりながら、師匠を安心させるように頷いた。

 師匠は心配そうに何度もこちらを振り返り、やっぱり部屋まで送っていくとしぶっていたが、そのうち陰陽頭さんがやってきて、師匠の首根っこを掴むようにしてつれていってしまった。

 私は先程までいた部屋に戻るだけ、宮中は広いとはいえもう、目と鼻の先だ。

 私が師匠の部屋に向かってまっすぐ歩いていると、廊下の片隅に何かの影が見えた。

 そう高くない位置にあるそれは、誰かの荷物か何かだろうと別段べつだん気にしなかった。

 けれど、それがかすかに動いた気がした。

 反射的に視線がそちらに向く。

 そちらから消え入りそうな声が聞こえた。


「はぁ……はぁはぁ……つらっ……」


 人だ。

 人が膝を折り、力なくうつむいてうずくまっている。

 こちらから見える着物からして男性だろう。

 息がとても荒く苦しそうだ。

 何度もため息をつくように大きく息を吐いた後、俯いていた彼が、辛そうに顔を上げて天を仰ぐ。

 顔は赤く、顔色はお世辞でもいいとは言えない。

 ただ、その顔の造作ぞうさくは、驚くほど美しい。

 赤みを帯びた顔も相まって、私の目には彼の姿がとても妖艶ようえんに映った。

 けれど、見とれている場合じゃない。

 すぐに今の状況を把握しよう、と慌てて彼に近づき声をかける。


「大丈夫ですか?」


 私の問いかけに、彼は緩慢かんまんな様子で言葉を返す。


「ごめん、誰だろ。目の前が真っ暗で、クラクラしてて、よく見えない。だるくて、吐きそう」


 意識はありそうだけど、だいぶ辛そうだ。

 顔は赤く、汗もかなり出ている。

 彼の言葉から、彼の現状を把握する。

 今、彼を苦しめている症状は、立ちくらみのようなめまい、そして倦怠感けんたいかんと強い吐き気。

 私は医者じゃないから明確なことはわからないけど、これ、熱中症の症状に似てる気がする。

 とりあえず、ここは庭に面した廊下で、部屋よりも気温も高い。

 師匠の自室は近いとはいえ、力のない男性を引きずっていくには距離がある。

 勝手に彼を部屋に入れていいかもわからない。

 あたりを見回してみると、好都合なことにすぐ近くの部屋が無人のまま開いている。

 通りかかった女房さんに聞けば、この部屋は今は誰も使っていないと答えてくれた。

 彼女にこの部屋を使うむねを伝えて、急いで師匠の部屋から水差みずさしと手ぬぐいを数枚、手にとってから、慌てて彼のもとに戻る。

 さすがに女の自分では、成人男性か成人男性に近い年齢の体格を持つ彼を、一人で抱え上げることは出来ない。

 このまま暑い廊下にいるわけにもいかないので、私は彼に肩を貸し、苦しそうなところ申し訳無いないが、彼自身に歩いてもらう。

 最後は力のない彼を引きずるようにして部屋に押し込み、私自身も部屋に入りこむ。

 そのまま力なく倒れ込んでしまっている彼を支えるようにして、ゆっくり横たえて、水差しの水で濡らした手ぬぐいを彼の頬に当てる。


「あ、冷たくて気持ちいい……」


 彼が緩慢な動きで頬を濡らした手ぬぐいを自身の手で持つと、頬やおでこにあてて押さえる。


「ちょっと失礼しますね。着物を少し緩めます」


 彼に声をかけてから、彼の着ている着物を少し緩める。

 そして、持ってきた数枚の手ぬぐいを更に水で濡らして、彼の首元にも当てる。


「脇にも手ぬぐいをあてたいから、着物が濡れちゃうかもですけど、いいですか?」


 彼は静かに頷いてくれた。

 良かった、意識はある。

 彼の首元から着物の合わせ目に沿って、左右の脇の下に手ぬぐいをさしこんだ。


「本当なら、太股の付け根にもあてたほうがいいんですけど、それはさすがに……やめておきますね」


 いくら緊急時とはいえ、男性でも女性でも見知らぬ人に好き勝手されたくはないだろう。

 医者でもない人間に着物をめくられてあられもない格好にされるのは、恥辱ちじょくになるだろうし。

 ちらりとこちらを見た彼と目が合う。

 彼は少しいぶかしがるように目を細めてから、私の躊躇いに気づいたようで、意地悪そうにニヤリと笑った。


「いいよ、気にしないから。太腿だっけ?下穿したばき、ゆるめようか?」


 気だるそうに彼が動こうとするのを、私は反射的にさっと目をそらして、あわあわとしながら彼にやめるように言う。


「ぬぁ!!いや、大丈夫でありますですよ!無理に動かず、あなたは安静にしてると良いですから」


 いくら男のふりをしていても、私は女である。

 自分の中にある恥じらいのせいで、自身で思っている以上に動揺して、陰陽頭さんと出逢った時と同じように口調がまた少しおかしくなる。


「ふふふ、なに?照れてんのぉ?」


 いたずらっ子のように彼が少し明るくなった声音で、こちらに向かって漏れ出るように微笑んだ。

 まるで人をからかって遊ぶような声音に、私は少し呆れるように安堵混じりのため息を吐く。


「人をからかうほど元気があるなら少しは安心ですね。もし飲めそうなら、お水も飲んでください」


「はぁい」


 彼はまだ全快ではないものの、体の熱が冷めてきたのか、先程よりはだいぶ顔色は良さそうだ。

 彼が水差しに向かって手を伸ばしてきたので、私が水の入った湯呑ゆのみを差し出す。


「うん。だいぶ良くなった。……ありがとう」


 彼が柔らかく微笑って、私から湯呑を受け取る。

 湯呑に口をつけ、ゴクゴクと喉を強く鳴らしながら水を飲んでいく。

 またたに湯呑の水を飲み干し、からにした。

 私はもう一度水差しの水を更に湯呑にそそぎながら、ちらりと男性の様子をうかがう。

 顔の赤みもだいぶひいて、汗の量も落ち着いてきたようにみえる。

 一安心した私は、持っていた菓子かしたもとから取り出し、水の入った湯呑と一緒に、彼に手渡す。

 それは師匠が作ってくれた、少し塩がきいている甘じょっぱい菓子だった。

 師匠を部屋で待っている間に食べようと思い、持っていたものだったが、今の彼には塩分も必要だろう。


「少し良くなったからといって無理はダメです。少しの間は安静にしててくださいね?あと、食べれるようになったらこれもどうぞ。汗もだいぶかいてましたし、水だけじゃなく塩分……塩も体には必要ですから」


 塩分と言ってもこの世界の人にはわからないかもしれない、と思い言い直す。


「そうだね、ありがとう。本当にお世話になっちゃったね」


 彼は私から菓子を受け取ると、苦笑いを浮かべながら、またごろりとたたみに寝転んだ。


「いいえ。あなたが無事で、良かったですよ」


 私はそう彼に声をかけて、水差しや彼が起き上がった時に畳に落ちた手ぬぐいをまとめる。

 頬に当てたまま彼が握りしめている手ぬぐいは、そのままにした。

 そして寝転んだ彼の横に座り直してから、懐からおうぎを取り出して彼をあおぐ。

 彼の少し水に濡れた前髪が、ゆらゆらと揺れる。

 彼が心地よさそうに、けれど少しくすぐったそうに目を細める。

 少しの間、取り留めもないことを、ぽつらぽつらと話しながら、そうしていた。

 ゆっくりと時間が流れているようだった。



 ぎしりと廊下の床の軋む音がしてそちらを見れば、わずかに開かれた隙間すきまから師匠の姿が見えた。

 陰陽頭さんとの話を終えた師匠が、戻ってきたんだ。

 そろそろ戻らないと師匠に心配をかけると思い、私は彼に声をかけて立ち上がる。


「そろそろ戻らないと、人を待たせてしまうので。あなたは、大丈夫ですか?念のため、どなたかに声をかけておきましょうか?」


 彼は私の声に、ゆるく小さく首を横に振った。


「いや、大丈夫だよ。君のおかげでだいぶ調子も良くなったし、もう少し休んだら俺も帰るからさ」


 横になったまま彼はニコリと微笑って、手だけを少し上げて私に振った。

 私はその動きに少しの違和感を覚えたけれど、廊下を軋ませる師匠の足音に思考が引っ張られた。

 だからその時には、私の感じた違和感の正体には気づけなかった。



「師匠、おかえり」


 私は、少し前を歩く師匠に声をかけた。

 師匠は私の声に弾かれるように振り向いて、優しく甘い微笑みで私に答えた。


「ただいま。愛弟子」


 私が足早に師匠に近づいて、彼の隣を歩く。

 師匠は少し困ったように私を見てから、優しい声音でゆっくりと問う。


「おやおや、愛弟子。お待たせして申し訳なかったですけど、何故お部屋にいなかったのですか?」


 お留守番はどうしたの?と聞かれたが、なんとなく答えにくくて、私は思わず、はぐらかしてしまった。

 師匠は少しの間、はぐらかす私をどこか怪しむように目を細めたけれど、諦めたようにため息を吐いて、優しく私に言った。


「まぁ、あなたに危険なことが起きたり、あなたが不愉快な思いをしたわけじゃないなら、今回だけは許しましょう」


 そして困ったように微笑んでから、次はないですよ?としっかりと釘を差された私は、元気よく姿勢正しく頷いた。


「わかってくださったなら、なによりです。それでは今日はこれで帰りましょう。明日から忙しくなりますので」


「女御様の祈祷きとうの準備で?」


 師匠は、私の問いかけに静かに頷きながら、心底面倒くさそうな表情でため息をついた。

 今、この場に陰陽頭さんがいたら、めちゃめちゃに怒られていただろうな。

 私は心の中で、この場にいない陰陽頭さんに、師匠に代わって謝罪をしながら宮中を後にした。



 畳に寝転ぶ男は、部屋から出ていく陰陽師装束おんみょうじしょうぞくの後ろ姿を、目だけで見送った。


「いやぁ、驚いたなぁ。あんなに可愛らしくて、お優しいなんて」


 男は一人そう呟くと、気だるそうに、のそりと起き上がる。


「それにしても、相変わらずここは暑いなぁ。着物も重いし、動きにくいし」


 畳に腰を下ろしたまま、はだけた着物を整えながら、彼はぼやくように言った。

 けれど、ふと、自分を介抱してくれた人物が座っていた場所に視線が縫い留められ、三日月のように目を細める。

 そして、その人が残していった手ぬぐいを握りしめて口元にあてて、微笑った。

 その微笑みは、まるで鬼やあやかしのように妖艶で、男も女も見惚れてしまうほど美しく、棘のある花の如く艶やかだった。

 そして、その人がくれた菓子の甘い香りに酔いしれ、それがまるで溶けてしまいそうなほどに熱を帯びた瞳が、またゆっくりと細められる。


「君に逢えて嬉しいよ。俺の運命の好敵手ライバル


 男はぺろりと舌なめずりをして笑う。

 まるで獲物を追い詰める狩人ケモノのような瞳をして。










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