第一章・勇気

特別教室棟三階、視聴覚教室。今ここでは少女と少年が属する一年J組の、オーラルコミュニケーション後半、グラマーの授業が行われている。クラスの半分、二十人程が席に座っていてある人は授業担任・奥村 優史の話を聞いていたり、あるいは授業とは関係ない数学の問題を解いていたり。少女はというと、いつも通り眠気に負け、机に伏せていた。

 チャイムが鳴り、昼休み(この地域では俗に「昼放課」と呼ばれる)に入ると少女は起きる。この授業もまた寝ちゃったなと思いながら号令に従って礼をし、その場に立ったまま少女は次にやることを心の中で復唱する。

(藤田くんに、一緒に部活をやろうと言う!)

 そして少年のもとへ。恥ずかしいという気持ちは当然あったがそれをこらえ

「ねぇ、藤田くん」

と少女は声を掛ける。正面のホワイトボードに書かれた内容をメモしていた少年は顔を上げ

「ん、何? 平川さん」

そう応えると、少女は机の、昨日自身で書いた詩を指差す。名前を呼ばれたことに対する恥ずかしさと、気になっている男子生徒と話すということに緊張しつつも、少女は

「この詩、いいと思うな~」

半分叫ぶような感じで何とか言った。少年は

「どんな所が?」

と、少女とは対照的に、冷静さを保ちながら聞く。それに少女は

「何と言うか、きれいごとはきれいに、暗いことは暗く、正直に書いてある所かな」

苦し紛れなのを隠すようにはっきりと答えた。少年は一度下を向いてその詩に目を通し

「まあ言われてみれば、そうだな」

少女を再び見上げて感想を口にする。満足するように少女は笑みを浮かべ

「でしょ! ここの教室って落書きの宝庫だよね! でも、こんないい詩も混ざってる。そうだ、部活作ろ!」

一気に捲し立てた。もちろん少年は

「部活作ろって……言われても……」

と戸惑いの表情を浮かべるが、少女は気にせず

「名前は、そうね……机上詩同好会がいい」

昨日考えた名前を挙げた。

「顧問はどうするんだ?」

という少年の問いには

「適当に見つければいい」

と、それこそ適当な答えを返す。そのままの勢いで少女は言う。

「活動場所はここ。いろんな部活と被ってるけどね」

「そんな、軽いノリでやるもんじゃ──」

最後まで渋る少年に少女は

「いいの! もう学校に申請しなくてもいいから、そう、任意団体にしちゃえばいい!」

強引に押し切った。

「いいのかな……」

少年が不安げに呟くと少女も

「できるだけ早く、作りたいから……」

本音をふと口にする。

「え?」

「何でもない、何でもない。さあ、早く帰ろ?」

 そしてごまかすように、少女は視聴覚教室を出たのだった。教室に戻る途中も、少女は不安になる。私はいつ、この世からいなくなってしまうのだろうか。私がいなくなったら、少年は悲しくなるのだろうか。自信の願望で無駄な苦しみを少年に与えてしまうのではないか、と。


          #


 教室で少年がかばんから弁当箱を取り出すと少女が自分のそれを持ってきて

「一緒に、食べよ?」

と言う。断る理由もなかったので少年は頷いた。少女は前の席の椅子に座って後ろを向き、少年と向かい合う形になる。少女が顔をじっと見てきたので、少し恥ずかしくなる少年。少女が弁当を食べながら

「今日の授業が終わったら、視聴覚で集まろ?」

と提案すると

「鍵とか、大丈夫なのか?」

と少年は聞く。その問いに少女はうん、と頷き

「今の季節はどの部活もあまり使わないから、意外に大丈夫なのよ」

微笑みながら言った。

「今の季節は、って……。じゃあ春になったら──」

「それはその時考える」

強く言い切る少女を見て少年は呆れて溜め息をつく。

「本当に思いつきなんだな」

「解ればよろしい」

「解りたくないよ、そんなの」

 少年も、まあまあ楽しいかなと思い始めていた。所属している理科部もいわゆる幽霊部員状態だし、ちょうど暇を持てあましていた所。店に寄って無駄遣いするよりよっぽどましだと少年は思う。


          #


 授業や帰りのSTが終わり、少年は視聴覚教室に向かった。鍵は少女が「先に行ってて!」と渡してきたので問題はなかったが、少女が来ない以上やることもない。暇を潰すため少年は学生服のポケットから携帯電話を取り出し色々と友達やクラスのホームページを見たりしていたのだが、それにも飽きふと思いついたのが「あの詩」を何かに写しておくこと。少女がいいと評価したあの短い詩は机の天板に書かれているので、いつかは消えてしまう。なら紙か何かに書き写しておいた方がいいと、少年はそう思ったのだった。

 かばんからバインダーを取り出し、それに挟まっているB5サイズのルーズリーフを一枚だけ外す。同時に出した筆箱からはシャープペン。一番上に「机上詩同好会・第一回」と書いた後タイトルを書くスペースを空け、その下に机の上に書かれた詩「机上詩」を、小声で読み上げながら写し始めた。


「別れっていうのは つらいよね

人間はいつか 別れなきゃいけないけど

別れたくない そう思う

新しい出逢いの始まりだっていうけれど

そんなの、言い訳」


「「けど期待してもいいかな

その“新しい出逢い”に」」


 途中から少女の声が交じり、少年は驚いて振り返った。少年の後ろでは、いつの間にか来ていた少女が微笑んでいる。

「写してくれたんだ、藤田くん」

「ああ、何となくな」

 少年もつられて笑みを浮かべるが、しかし詩を写していて気になることがあった。そのことを、少年は尋ねる。

「何で、この詩がいいと思ったんだ? その、オーラルの時間で言った理由以外に」

「……何となく、かな」

 少女は笑みを崩してはいないが、少し悲しそうだとも少年は思う。気まずくなって少年が二の口を継げない中

「じゃあこの詩も写しておいてよ。我慢して──」

少女が指差し、読み上げ始めたのは

「そ、それは俺が書いたやつだ!」

少女が深読みした通り、少年が前に書いたものだった。その反応を見て

「そうだったんだ。なら、むしろ」

まるで気づいてなかったかのように振る舞いつつ、からかうように少女は言う。少年は流れで

「何で!?」

と突っ込んだが、少女が「お願いだから……」と一転真剣な表情で頼み込んできたので

「解ったよ」

一言言って、先程の詩の裏側に書き写し始めた。その間少年は思う。少女は何を思ってこんなことをしているのか。こんなくらいのことなら他の女子生徒を誘えば済む話なのに、何故俺を選んだのか。この前俺とぶつかったから? あの時の話を聞いていたから? 少年には謎ばかりだった。

 少女は思う。現在の時間は楽しいけど、この時間は果たしていつまで続くのか。「あのこと」を、少年に告げるべきなのか、いつ告げるべきなのか。そして、私は少年に何をしたいのか、あるいはして欲しいのか。

 いつかこの楽しい時間は消えてしまう。そのことを感じ取ってはいたのだけれども、失いたくないと当然少女は思っていた。


 だが確実に、時計の針は動いている。

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