第8話 休むならばベッドの上で
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
溜まっていた洗濯物を畳んでクローゼットの中の引き出しにしまう。これで片付けと掃除はおおむね終わったはずだ。
「終わったかい?」
「はいお陰様で」
私が声を聞いて振り向くと、ひょいっといきなり横抱きにされた。戸惑ったものの、暴れてしまうと周りに被害が出るのでおとなしくする。
「あの?」
「休む約束だったでしょう? 寝具の準備はばっちりだよ」
彼は上機嫌にそう答えて、クローゼットから数歩の位置にあるベッドの上に私を横たえた。そしてなにも迷わず、彼は私の上に被さるように乗る。
「休むんですよね?」
「少し君に触れたいな」
甘えるように彼は笑う。
私は抵抗の意志を示すために彼の胸を押した。退いてくれ。
「休みたいんですよ、私」
「疲れるようなことは控えるよ」
そう告げる彼の表情は完全に雄の顔で。
逃れる時間など与えられず、流れるように口づけを受けた。
「んん……」
触れるだけでは終わらない口づけにクラクラする。力が抜けていることを察したのか、彼は躊躇なく服の中に手を差し込んできた。
「ま、待って」
「撫でるだけさ」
宣言のとおりに撫でるだけ。だけどもおへその辺りをさわさわと撫でられるとくすぐったくて変な声が出てしまう。恥ずかしい。
「汗ばんできたね」
「変な触りかたしないで」
性的な意図を感じる触りかたをされると反応してしまう。私の記憶になくても、身体は覚えているのだ。
「じゃあ、もっと気分が盛り上がる様に触ろうか?」
「私は休みたいんですってば」
身をよじるが手はすぐに追いかけてくる。そもそも一人用のベッドは狭くて逃げるにも限界があった。
「僕に任せればいいと思うよ?」
狩りを楽しむような表情には、掃除をしたり食事をしたりしていたときの穏やかさはない。だが、不思議と怖いとは思えなくて、心が騒ぐのだから困る。
なにか、説得する言葉を選ばないといけない。
「なんでこんなことをするんですか? 私が望んだっていうんですか?」
早口気味に私は質問をぶつける。頷くのだろうと予想しての問いだったのだけれど、彼は首を横に振って妖しく笑った。
「僕がそうしたいから、だよ。弓弦ちゃんに触れていると、ここにいるって感じられるから」
どことなく引っかかる言い回しだ。こういう行為が好きだから迫ってくるわけではなさそうで、理由を探りたくなった。
「私が寝ちゃったら、消えてしまう、とか、あります?」
恐る恐る尋ねると、彼は安心させるように微笑んだ。
「それはないと思うよ。まだ契約履行中だし」
「そう、ですか」
「ふぅん? 想像したら寂しくなっちゃったかな?」
私の変化に目敏く気づいたのだろう。彼の態度が軟化した。私はからかってくる彼に対して頬を膨らませる。
「一晩私と寝たくらいでそういう言い方しないで欲しいんですが」
文句をつけると、彼は首を傾げた。
「君は誰とでも寝るような人ではないよね?」
「これまではそうでしたけど、これからはわかりませんよ? 今はフリーなんですから」
強気の姿勢できっぱり返す。私が睨んでやればそれが面白かったらしい。彼は喉の奥でくつくつと笑うと、色気全開の顔を作ってきた。
目が合う。そらすことが許されない。心臓が高鳴った。
「これから先は僕だけにしておきなよ」
そう囁くように告げて唇を啄むような口づけをくれた。続けて確認するように色っぽい笑顔を至近距離で見せつけてくる。
「わ……私を堕としてもいいことはないんじゃないですかね」
鼓動が早い。ドキドキが止まらない。
彼の指先が私の唇を掠めるように触れる。
「僕にとって君はとても重要な存在だよ。それは君の力に拠るところではあるのだけれど、僕は君自身を尊重したいな。君を大事にしている人間たちと争いたくはないんだ」
「それで手始めに身体から落とすおつもりで?」
身体が熱い。彼を求めているのが隠せない。
「人間たちがするように好かれるところから始めるつもりだったんだけど、君が僕に望んでしまったからさ」
彼は困ったように笑った。彼にとってこの事態が想定外だったのだろうことが伝わってくる。
そんな彼を見て、あることに思い至った。
「あ……それで行動を縛られてしまっていますか?」
「多少は」
「申し訳ないです……」
彼が私に触れたがる理由が、彼自身の衝動からではないのだとわかると心苦しい。私が彼にそうであれと願った結果が、彼のこの行動なのだ。
しまったな……泥酔していたとはいえ……
こういう怪異の類は強い願いに引き寄せられがちだし、それゆえに言動が特定の物事や事象に縛られる。彼の場合は私との性行為なのだろう。
私がしょんぼりしてしまうと、彼は少々慌てた様子で私の頭を撫でた。
「気持ちのいいことは好きだよ。君が気持ちよさそうにしているのも、もっと見たいから問題ないさ」
そういう問題ではない。これは私と彼の関係にとって大事な問題なのだ。
「ほんっと、昨夜は私、どうかしていたんですよ。記憶をなくすとか、あり得ないし。こんなこと、行きずりの相手に頼むようなことじゃないのに」
「後悔しているのかい?」
「だって、こんなの、いいわけがないじゃないですか。アニキにもあきれられちゃったし」
勢いで見ず知らずの相手に身体を許すなんて。正常な私だったら絶対にあり得ないし、むしろ嫌悪する行動なのだ。
取り乱し始めた私を、彼はおろおろしながら顔を覗き込んでくる。
「あれは僕が人間じゃなかったからだと思うよ?」
私は勢いよく首を横に振って否定した。
「人間だろうとそうじゃなかろうと、私が隙を作ってしまったからこうなっちゃったんじゃないですか。気を許したら絆されそうになっちゃうし、これがあなたの能力なのだとしても、流されちゃうじゃないですか。求めちゃいけないって私、自分に言い聞かせてるのに、上手くいかないんですよ!」
「僕のこと、嫌い?」
「わからないの!」
付き合いの長短が理由じゃない。私には彼を強く突き放したいと思えるだけの理由が見当たらないのだ。
言い放って、私は顔を両手で覆う。
「いっそ、嫌いならよかったのに。嫌いだって、拒絶できればスッキリするのに。無理やり迫られているからだって言い切れたら、どんなによいか!」
「ごめん……泣かないでほしいな」
彼は私の上からゆっくりと退いた。そしてベッドの端に腰を下ろす。私に背中を向けた。感情がぐちゃぐちゃになって泣き出してしまった私への配慮なのだとすぐにわかった。
彼は私の心が読めるようだが、それでこの行動に移せるのだったら、私のことをよく理解しているのだと思う。
「快楽で全部塗りつぶす事も僕にはできるだろうけど……君が望まないならできないよ」
「昨夜の私はそれを望んでいたってことですか?」
涙混じりの私の問いに、彼は首をゆっくり横に振った。
「違う。君の記憶が跳んでしまった原因は僕にもあるかもしれないけど、僕が意図したわけじゃない。だから、君が目覚めたときに僕のことを覚えていなくて心底驚いたんだ。動揺した」
「……そう」
「無理に迫ってごめんね。そういう気持ちになったら応じるから誘って。僕はいつでも応えるから」
私が彼とした契約は本当に性行為なのだろうか。どこか引っかかるけれど、頭がぼうっとしてきて思考できない。
「ここで眠ったら、また忘れてしまうんですかね」
「忘れたくないと君が願うなら、君の記憶を強化するよ」
「ならば、すべて忘れてしまうことがないように。どうか、お願い」
すごく眠い。なぜだろう。術でもかけられたのか、たんに気が緩んだからなのか。
私が彼の背中に手を伸ばすと、すぐに彼がそれに気づいてくれて握り返してくれた。あったかい。そこに彼はいるんだ。
「うん、わかったよ。ちゃんと繋いでおく」
彼が寂しそうに笑うのを見ながら、私は目を閉じた。
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