第28話 再会

 いつもは薄化粧の清瀬の口元に、今日はしっかりと紅が引かれいる。

 でも、ミセス綾子から貰った西洋の『肉色白粉』のお陰で、とても自然な仕上がりになっていた。と言っても、ほぼ千登勢のお陰だったが。


「千登勢さん……お願いがあるのですが」


 鹿鳴館で人気の『夜会巻き』に結いあげてもらっている時、珍しく清瀬が頼み事をした。

 鏡台の引き出しから大切そうに取り出したのは、黒地に赤い漆で桜の模様が描かれた木櫛だった。


「実は、母の形見の品で……父からの贈り物だったそうです。今まで使う場が無かったのですが、今日は一緒に行けたらいいなぁと思いまして」

「まあ、そうだったのですね」


 千登勢は清瀬の境遇を思いやり、うるりと目頭を潤ませた。


「とっても綺麗な櫛。それに……とても大切に磨き上げられていますね。奥様、この千登勢にお任せください」


 そう言って、巻き髪と上手く馴染ませてくれたのだった。



 先に燕尾服の準備を終えて待っていた一聖。

 千登勢に導かれて姿を見せた清瀬を見て、「あっ」っと小さく声を上げた。

 その瞳が驚きで見開かれ言葉もない様子に、清瀬は心の中で『してやったり!』と思った。


 いつも一聖殿の軽口に振り回されているばかりでは面白くないからな。

 どうだ、参ったか! 私だってやる時にはやるのだよ。


 果し合いでもないのに、謎の優越感を感じてスッキリとした。

 それなのに、言葉もなくじいっと見つめ続けられているうちに、なんとも居心地の悪い気持ちになってくる。


「あ……あの、旦那様?」

「ああ、清瀬。なんて君は美しいんだ!」 

「あ、ありがとう」

「私の妻は世界一美しいとみんなに言いふらしたいです」

「いや、そこまででは無いだろう」

「いいえ、世界一美しいですよ。今すぐ食べてしまいたいくらいに」

「なっ」


 一瞬で距離を詰めた一聖の顔面が直ぐそこにあった。清瀬は慌てて彼の唇を手で押さえる。


「おんや?」


 もごもごと呟いた一聖。


「今は駄目だ。口紅が乱れてしまうだろ」

「ああ、そんな事を言われたら、無理にでも乱したくなりますね」

「なっ」

「やっぱり今日は行くのをやめてこのまま寝間に直行しましょうか」

「殴るぞ」


 優雅なドレス姿も忘れて拳に力を込めた清瀬を見て、一聖がくすりと笑った。


「冗談ですよ。清瀬の頑張りを無駄にはさせません。鹿鳴館の舞台で一緒に踊りましょう」


 あ、やっぱりこのまま寝間に直行のほうが良かったかも……


 この後の試練を思い出して、急に緊張の色を濃くする清瀬。


「大丈夫。私がちゃんとリードしますから。大船に乗った気持ちでいてください」


 またくすりと笑いながら耳元に囁いた。



 この世の光を全てここに集めたのかと思われるほど明るい鹿鳴館館内。天井から吊り下げられたシャンデリアが咲き競う花のように美しく煌めいていた。


 陸軍軍楽隊の奏でる音色は、清瀬が今まで馴染んできた笛や太鼓の音とは一味も二味も違う。

 菱沼家でミセス綾子に教わったステップはだいぶ体に馴染んできていたが、軽やかな拍子に合わせて動ける気がしなかった。


「清瀬、踊りましょう」

「いや、でも」

「大丈夫。私を信じてください」


 すっと手を取り輪の中へ。腰に手を添えぐっと引き寄せられると、まるで一聖と一つになったかのように自然と動きを合わせることができた。


 凄い! 踊れている!


「ね、言った通りでしょ」


 一聖はそう言って片目を瞑ると、広間の中を縦横無尽に動き始めた。

 大胆に導かれる体、翻るドレスの波。幾重にも重なり合うリズムが、清瀬の心を揺さぶってくる。


 楽しい……


 自然と浮かんだ笑みは一聖にも伝わり、彼の顔にも穏やかな笑みが溢れていった。



 長いようで短かった時間。

 曲の最後に指先でくるりと清瀬を回すと、一聖は恭しく一礼をした。清瀬も優雅なカーテシーを返した時、その場が一瞬の静けさに包まれた。


 パチリ……パチリと拍手が鳴り、続けて「ブラボー」「ワンダブル」と叫ぶ声。大きな拍手が沸き起こった。


「素晴らしかったですよ」


 息を弾ませている清瀬の耳にそう囁くと「もう一曲お相手いただけますか?」と頭を下げてくる一聖。


 だが、その願いが叶う前に二人は多くの人に取り囲まれてしまった。

 異国の人からも称賛の言葉をもらっている事はわかるのだが、英語が分からない清瀬はとにかく笑顔を張り付けるのみ。

 代わりに答える一聖の淀みない様子は、自分のことのように誇らしく感じた。


 一聖殿は幽世のモノに強いだけではなくて、異国の人にも負けないんだな! 


「華川伯爵! 良かった。少し通訳を頼みたいんだが」

「橘大臣」


 さっと頭を下げる一聖。慌てて清瀬も挨拶をする。


「いやー、先ほどのダンスは素晴らしかったよ。日本は最早『猿真似』の域を脱したと。真に文明国となったことを証明する気品あるダンスだった」

 

 そう言って相貌を崩した。


「で、この勢いのまま契約を決めてしまいたいんだ。国庫に関わる重要な取引なのでね。ちょっと協力してくれ」

「申し訳ないのですが、今日は妻も一緒なので」

「直ぐ終わるから」


 こんな狼だらけのところに清瀬を一人で置いていけない!

 

 内心断固拒否を叫んでいる一聖だったが、橘大蔵相は密かに陰陽師の活動を認めてくれている支援者の一人でもあったため、無下に断れなかった。


「清瀬……ちょっとだけ待っていてください」


 しょんぼりとした顔で連れて行かれる一聖を見て、己の心細さよりも一聖の不運を労う気持ちになった。


「バルコニーで涼んでいますね」


 その言葉にうんうんと頷く一聖。少しだけ元気になったようだ。


 なんか、可愛いな。


 思わずそう思ってしまい、笑顔で見送ることができた。



 でも、やっぱり……この空気は慣れない。

 このままバルコニーヘ直行しよう。


 話しかけてくる人々に笑みだけ返し、そそくさとバルコニーへ向かった。



 横に長いバルコニーには、同じように涼みに出ている先客が何組かいた。その人達を避けるように、広間からの明かりの陰に潜むように佇む。


 ふぅー


 先ほどの興奮がまだ熱を持っていた。


 こんな世界があるんだな……


 異国の文化は豊かで華やかで。


 楽しかった。それは偽らざる気持ちだ。

 でも、己の生きてきた道とはかけ離れているから。


 早く帰りたいな……


 その時、懐かしい声に呼ばれた気がした。


「清瀬……だよな」


 低く包み込むような声。

 あの頃の痛みも悲しみも、悔しさも怒りも、全てを力に変えてくれた唯一の光。


 ああ……振り返らなくてもわかるよ。


 恭兄きょうにい!!

 

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