第19話 地獄の一丁目

「わかった。そうとわかればあの辺りの連中に聞いてみれば何かわかるかもしれない」


 そう言って、河岸で働く者達を指差した清瀬。早速と歩き出そうとして一聖にガシリっと掴まれた。


「清瀬。一人で行くのは危険です。一緒に回りましょう」

 

 確かに……いつもの調子で軽く考えていた。この格好であんなところをふらふらしていたら、絡まれても文句は言えないな。


 自らの着物姿を見下ろして内心がっかりする。


 やっぱり、男袴にすべきだったな。


「では、あっしらも、もう少し仲間うちに当たってみやす」

 

 そう言って、泡影と草流は水の中へと消えていった。



 白壁の土蔵前では、荷の上げ下ろしがひっきりなしに行われている。力自慢の者達が駆け回る様は、活気に満ちているが荒々しくもあった。

 そんなところへ、場違い感の半端ない洋装の優男と高価な着物姿の女。

 胡散臭げにじろじろと睨まれた。


「一段落しないと声が掛けづらいですね」

 苦笑している一聖を横目に清瀬は腹に力を入れた。


 この光景、道場と大して変わりはしないが……この格好じゃ舐められるかな?


「仕事中にすまない! 手を休めずに聞いてくれないか。この辺りで人がたくさん亡くなった事故や事件の話は知らないか? 良かったら教えてくれ!」


 稽古で激を飛ばしていた実績は裏切らなかった。低く浪々と響く声にその場にいた男たちが、一瞬動きを止めた。そして、目の前の女性を見て不思議そうな顔になる。


 今の声はどこから?


 そんなみんなの心の声は、次の瞬間一聖へと視線を移し凄味をきかせるように睨め回してきた。


「そんな格好してうろちょろされちゃ仕事がやりづれぇな」

「真っ昼間から逢引か。羨ましいこった」

「どけ! 邪魔だ」


 あーあ、という感じに肩をすくめた一聖。清瀬を庇うように前に出た。


「お忙しいところすみません。ちょっと知りたいことがありまして、少しだけお耳を貸してください」


「そんなに海ん中へ放り込まれたいのかよ」


 ひときわ体の大きな男が一聖の胸倉をつかもうとした瞬間、手を抑えて呻き出した。横から清瀬の手刀を食らったからだ。


「人命に関わることなんだ。頼む!」


 着物の裾を気にしながらも、戦闘態勢を崩さず叫ぶ清瀬。


 予想と現実が一致しない時、人の思考は上手く働かなくなるものだ。清瀬から発せられた言葉と動きに、その場の多くの者が呆けた様に動かなくなった。


「この女……なのか?」


 ざわざわと広がるどよめき。


「清瀬、乱暴はダメですよ。この方たちにとって腕は大切な商売道具です」

「あ、そうだった。すまない。つい……」


 しゅんとした清瀬が慌てて男の腕の様子を診る。


「骨は大丈夫だな。でも、荷の上げ下ろしは辛かろう。申し訳ない」


 素直に頭を下げられて、急速に毒気が抜けた男の様子が周りに伝播していく。先ほどまでとは打って変り、嫋やかで心配気な美しい女人に見上げられ、鼻の下まで伸び始めた。


 一聖のこめかみにぴしりとヒビが入る。


が失礼をいたしました。改めまして、私は華川一聖と言います。実はこの辺りの水域の危険性について調べているところなのです。これだけの船がこの狭い川面に犇めいていたら、事故が多いのは必然。日頃から心配に思っていることがあれば教えていただけたらと思い参りました。お仕事の手を休める必要はありません。思いつくままに話していただけたら、それで充分ですから」

「よろしくお願いします」


 しおらしく横で清瀬も頭を下げる。


「なんだか小難しいことを並べやがって」

「けっ。金持ちの偽善野郎が」

「俺達の仕事なんざ、危険だらけだぜ」

「お前らのように座って茶飲みながらくっちゃべってる奴らとはわけが違うんだよ」

 

 二人に文句をぶつける形で、男たちは口々に日頃の鬱憤を話し始めた。


「そりゃ、いくら気を付けていたってな。荷物の下敷きになったり、船同士がぶつかったり、そんなのは良く起こることさ」

「それでは毎日気が抜けませんね」


「でも、慣れているからな。たいていは大事にならずに済んでいるよ」

「それは上々。それでも、たくさんの方が巻き込まれるような事故が起こってしまうこともあるでしょう?」


「たくさんの人が亡くなった事故なんてのは、どうだったかな?」

「覚えていねえよ。いちいちそんなもん」


 思い思いに話す言葉の中から、必要な言葉を拾っていく。


「この辺りの川の流れの中で船頭さんたちが危険と思っているところはありますか?」

「そんなところ、全部だよ全部」

「風と波の調子で変わるんだよ」


 なかなか知りたい情報に辿りつけない。


 古い出来事なのかな?

 それとも、隠蔽されているのか。隠蔽しようとしているのか。本当に知らないのか。

 これは根気がいりそうだな……


 そんな中、ほおかぶりをして顔の良く見えない男がぼそりと吐き出した。


「旦那方よ、そもそもここがどういうところだか知っているのか?」

「どういうところと言いますと?」


 丁寧に先を促す一聖。


「ここは内海うち外海そとを分ける入口にあたるところだってことよ」


 日本橋川は、それほど川幅は広くない。だが、出入りしている船の中には、日本橋と木更津間を繋ぐ五大力船、通称『木更津船』があり、品川・佃島沖で荷を移せば、遠く大阪や東北へ、果ては異国へだって広がっているのだ。


「ひとたび外海そとに出たら、身を守るのは甲板一枚さ。あの世とこの世の境なんてものは、案外身近なものなんだぜ」


 にやりと口元を歪めた。日焼けして骨ばった肢体に禍々しさが宿る。


「事件や事故なんて起こらなくても、ここは地獄の一丁目ってことさ」


 背筋がぞわりとした。


「何かを知っているのですか?」

 静かに問う一聖。

「別に」


 そういうと、ふいっとその場を離れて行った。


「追わなくていいのですか?」

 焦る清瀬に頷きながら、一聖がふっと手の平に息を吹きかけた。飛び立ったのは紙人形。


「大丈夫ですよ。式神を張り付けておきますからね」

 



  

 


 

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