#24 夏祭り II

 林又夏を落ち着かせるのは結構大変だった。陳晞は心の底からそう思った。


 だが怒るのも無理もない。何せ店を出してきた『占い師』なんて、人のことを印堂いんどうが黒いと言う以外に、他のセリフがないから。


 未来予測と言えば、許浩瑜のように本当に能力を持つ魔法使いにしか信用できない。しかし、そんな人は少ないと陳晞は子供の頃に聞いた。確かに何人も見たことはない。許浩瑜が引っ越してから、彼女は他にその能力を持つ者に出会ったことすらない。


 多分これは陳晞が魔法使いに憧れる理由の一つだ。こんな珍しい能力を持っていれば、将来に迷うことがきっとないだろう。


 彼女はかき氷屋の店長から強請ったオレンジのシャーベッドを林又夏に渡して「どうせあなたはお金を払ってないじゃない?」と言った。


「そういう問題じゃないでしょ?」


 確かに林又夏の顔からは黒くなったところなんて見当たらない。彼女も自分の外見がどんな風になっているのかわかっているかもしれない。


 陳晞はその顔がもし自分についていて、ある日そんなこと言われたら、ただの客寄せの決まり文句だとわかっていても、結構ムカつくだろう。


 林又夏のことが綺麗に思えたのは、小学と中学の時に同年代の女の子との付き合いがあまりないせいだと思っていた。そのため、高校に入ってから、陳晞は少し時間をかけて、周りのクラスメイトを観察した。でも、誰にもあの日彼女に感じた何かを感じ取らなかった。


 あの夕日に照らされた横顔は、今日になっても忘れられない。その人が今傍にいることも、陳晞は偶に慣れない感じがする。


 林又夏という名前は、先輩達の間では結構有名らしい。よく弓道部の先輩たちの口から聞こえる。


 悪口を言われているわけでもないので、ただ静かに傍で聞いている陳晞も、自分がその話題の主人公との関係を話したことはない。何せ一緒に住んでいるなんて余計な情報を出せば、林又夏に迷惑をかけるかもしれない。


 告白の話題に触れた時に、クラスメイトとして何か知らないかって先輩たちに迫られた。あの男子は人気があるのか?陳晞にはそう見えない。彼女の目には、クラスメイトの男子なんてどれも同じように見えるかもしれない。


 あれこれ考えているうちに、部長の言葉『そんなに綺麗なんだから、きっと彼氏とかいるのだろう?諦めるしかないなぁ』を聞いて状況を理解した。どうやら先輩たちが興味を持ったのは、あの男子ではない。


 彼女たちの熱い討論を聞いて、陳晞は初日の部活が終わった後、かき氷屋で聞いた会話を思い出した。


 残念ながらこいつは同性愛者じゃないのよね。これでは先輩に少しもチャンスが残っていないと彼女は思った。


 もしチャンスがあったらどうなるんだろう?あの男子と付き合わなかった林又夏は、最終的に先輩の彼女になるのだろうか?陳晞はその光景を少し想像したが、心底から不快感を覚えた。それがどこから来たというと、彼女には心当たりがない。


 やはりこんな訳の分からないことを考えないほうが良い。


「あっ、ここはこうなってたのか」


 林又夏を連れて子供の頃、張哲瀚と一緒に花火を見た場所に到着した。当時にあった柵の下の小さい穴はすでに塞がれたことに気付いた。


 自分がちゃんとガイドを務められなかったことに、陳晞は少し申し訳ない気がした。しかし、彼女の後ろにいる林又夏は自信満々の様子だった。


「どこで花火を見れるか知っているよ」


 半ば引っ張られているように、二人は会場の外側を回り込んで、最後は陳晞が歩いたことのない小径にたどりついた。


 林又夏が前に歩いている時、まるで遊びに出たくて、うずうずしている子犬のようだった。だがこんなに綺麗な犬はいないだろう。心の中で知っている数少ない犬種を思い浮かべたが、陳晞は林又夏と関連付けれそうな犬種を見つけられなかった。


 いや、違うんだ。そもそも林又夏は犬などではない。陳晞は瞬きをして、目の前にいる人の頭に生えた耳と尻尾がやっと消えた。


 小径を歩いて丘に登ると、緩い斜面についた。夏祭りの光害のおかげで、彼女たちは道をはっきり見えている。こんな人気のない小さい丘でも、ホラー映画のような雰囲気はない。


 青緑の芝生に陳晞は少し躊躇ったが、前にいる林又夏は迷わず踏み入れた。手を引っ張られている彼女も仕方なくついて行った。


「なんでこんなところを知っているの?」


「あっ」林又夏はしゃがんで言った。「昔好きの人と一緒に来た」


「そうか」


 陳晞も座った後、林又夏は手に持った残り少ないシャーベットを陳晞に渡して「飲む?もうほとんど融けたけど」と言った。


 相手が何ともないようにそれを受け取って飲み干すのを見て、林又夏は少し息苦しく感じた。でも、陳晞はそんなことを気にする人ではない。だから緊張するのは林又夏自分だけだ、そう考えた後に林又夏の気持ちは少し落ち着いた。


 陳晞が『好きの人』という言葉に反応するかと思っていたが、思ったよりも冷静だった。この人の性格はよく知ってはいたが、それでも林又夏は少し残念と感じた。


 これはつまり、陳晞にはそんな気は全くないということだろう――林又夏は思わず自分を哀れんだ。相手にそんな気はないのに、その一言で顔が真っ赤になった自分は、いくら何でも哀れ過ぎる。


 手を伸ばして空になったプラスチックコップを引け取ろうと思ったら、陳晞は手を振って「私が持つよ」と言った。


 その気がないのなら、こんなことをしないでよ。林又夏はここが表情のよく見えるほど明るくないことに喜んだ。でないとそばにいるあの人がまた自分に熱でも出てるのか聞いてきそうだ。


 携帯画面を点灯させて、画面上に表示した時間は花火の予定時間まであと十数分ある。長いように聞こえるが、林又夏は逆に惜しいと思った。能力でも使おうかすら考えたが、結局理性のほうが勝っていた。


 この場所は前回も陳晞と一緒に来た。当然、そばにいる人はその事実を知らない。それは偶に林又夏を少し複雑な気分にさせる、それらの出来事は彼女しか覚えていないからだ。


 でも問題はない。陳晞と何度も何度も、こんな思い出すだけでも笑える思い出を作れるのも、一つの幸運だ。何せこの能力がもたらしたことは大抵束縛だ。


 人混みから離れてから、陳晞はかなり気が楽になった。寄りかかっている肩からでも、林又夏がそんなに緊張しなくなったことを感じられる。だから又夏は自分が良い決定をしたと思った。


 それぞれの時空で陳晞の違うところを探すのは、林又夏にとっては数少ない楽しみの一つだ。しかし、林又夏が一番驚いたのは、自分がいつも陳晞の変わらないところを好きになるということだ。


 例えば飲み物を持ってくれる優しい行動も、あるいは平然と心配していると言ってくれるところも、それが数えきれないほど、まるで毎日なぜ陳晞を好きになる原因を見つけられるようだ。


『なんか不公平だ。どうして毎回私のほうが先に彼女を好きになるの?』心の中で何度も文句を言ったが、林又夏にそんな自分を止めることができなかった。


「でも、あなたは試験の時に戻ったばかりじゃないの?」


「その時にここに来たなんて言ってないよ」


「ではもっと前に?」


 丘からは屋台のキラキラな灯りが微かに見えるが、ステージ上のパフォーマンスの音が聞こえない。もうすぐ秋になるせいか、彼女たちの耳元にあるのは暫く前より少なくなったセミの鳴き声だけだ。優しい夜風が体に当てて、快適さが先ほど屋台にいた時に感じたべたつく感覚に完勝する。


「そうでもないかな」その口調に少しの執着を感じ、林又夏は少し驚いた。「どうしたの?急に私に興味湧いた?」


 遠くの屋台を眺めている陳晞は首を振った。「ただ、あなたはもう好きな人と別れたのなら、一体何時彼と一緒にここに来たのかを考えてただけ」と言った。


 まるでブーメランが自分に当たったような気分だ。何か言いたそうな林又夏は、この前、この人に付き合う相手はいるかって聞かれた時、一瞬心のままに話ことを心の奥で後悔した。


 その人はあなたよ。自分の太ももをつねって、林又夏はなんとかすべてを話したいという衝動を抑えた。


 もしそんなに近しい関係でなければ、こんなことなんて考えなくて済むのに。ただの友たちなら、陳晞はこんな話題にちっとも興味を持たないし、気にすることもないだろう。林又夏もこんな問題に向き合う必要はない。


「あなたは本当に死んでも私に興味があるって認めないのね」


 本当のことを言う以外、林又夏は他に良い答えが浮かばなかった。結局、こんな風に話題を逸らすしかなかった。どうせ陳晞は誰に対しても、こんなことを言われば狼狽えてしまう。この点については林又夏が色んな身分で実証済みだ。


 林又夏はこの現状に対して愛憎入り混じっている。誰のせいにすることはできないから、自分のせいにするしかない。


「別に興味がないって訳でもないよ」


「……はっ?」


 振り向いた陳晞と視線が合って、林又夏は再び先ほどの息苦しさを感じた。いや、今度こそ本当に息が止まったのかもしれない。


「でもあなたは女の子が好きじゃない、違うの?」


 これは二発目のブーメランだ。目を逸らして、林又夏は心の中で自分を汚い言葉で二回罵った。何度繰り返しても、彼女は考えなしに喋ってしまう性格を変えれない。


 道理で許浩瑜に馬鹿にされるわけだ。林又夏も自分が正真正銘の馬鹿とすら思えてきた。


「私は好きな人であれば、性別は関係ないと思うよ」


「ああ、それは良かったね」


「何が良かったの?」


「うちの部活の先輩は、結構あなたのことが好きみたいだから」


 もし本当に理性の糸が存在しているなら、この時、林又夏の理性の糸はもうすぐ切れる状態になっているだろう。様々の時空でこの人と付き合っていたから、もはやその魂について知り尽くしていると思ったが、まさかこいつがこんなことをするとは思わなかった。


 これはまるで自分を他人に押し付けているではないか?それでは野次馬の洪姉さんと同じじゃないか。


「陳晞」


「ん?」


「あなたは私が他の人と一緒にいてほしいの?」


「え?いいえ、違うけど。いや、あなたがそうしたいのなら、もちろんそうしていいよ」


 先に空に咲いた花が見えて、その後に耳に音が伝わってきた。明らかに真剣な顔になっている林又夏を見て、陳晞は狼狽えている。視線をその鋭い目で自分を見つめている人のほうに向くべきか、それとも打ち上げ始めた花火のほうに向くべきかわからない。


 その質問を聞いた瞬間、陳晞はそれを否定しようとしていた。そのせいで陳晞は一瞬言葉をまとめられなくて、結局あんな歯切れの悪い返事しかできなかった。


 何せ毎日傍にいる人だ。陳晞は自分の行動を解釈できる良い理由を見つけた。あれほど親しい人間がある日を境に他の人と特別な関係になったら、きっと少しは変な感じになるだろう。


 そうなったら、これまでのように同じベッドで眠ることができなくなる。もしかしたら登校時のルートも別々になる。何せ付き合っている相手と一緒に登校するのは、多くの女子高生の夢だ。想像するだけでも、まるで映画のワンシーンのようにロマンチックだ。


 花火の音の波を越えて、林又夏の声が耳に入ってきた。距離が近いせいか、微かに感じた息は陳晞を思わず震わせた。


「陳晞」


「は、はい」なんで年長者と話しているようになったのだろう。


「あなたが好きだ」


 自分の声が花火の爆発音にかき消されるのを心配して、陳晞はわざと大きい声で「私もあなたが好きだ」と言った。


 花火が一つ一つ打ち上げられるにつれて、林又夏の顔も一緒にキラキラしている。陳晞はもう花火を見る気はなく、この顔を見つめるのも結構良いだから。


 林又夏がなぜ怒っているのかわからないが、それでも林又夏のこの表情も良いと思った――陳晞はこんな感想をした自分は気持ち悪いと思った。


「違う」


「え?」突然の否定に対して、陳晞は言葉が詰まった。危うく花火の音のせいで何か聞き逃したのかと思った。


「私が言う好きは、あなたとキスしたくなるような好きだ」


 頭の中で『普通の女の子がすること』について検索し、いくつの結果が出たが、そのどれもキスという選択肢ではない。


 普通の女の子たちはキスをするのか?もしこの問題を自称普通ではない林又夏に投げても、普通の答えは返ってこないだろう。


「どういう意味?」


 周囲は静かになって、花火の音も、蝉の鳴き声も、木々が風に吹かれた音すらなくなった。


 目の前の鮮やかな花火はそのまま空中に止まっている。陳晞が唯一聞こえるのは、林又夏が移動する時、その制服から発するの摩擦音だけだ。


「どうしてこうなった?」立ち上がった林又夏はぶつぶつしている。この場には二人しかいないのに、その言葉は明らかに陳晞に言い聞かせるものではない。


 若い女子高生が屈んで、自分と目が合った時、陳晞は大きく一息を吸った。


「……え?」


「あなたが動けるはずがない」林又夏は手を伸ばして、陳晞の額についた前髪をかき分けた。「こうなると面倒なんだよ」


「これはあなたの能力?」相手の動きに陳晞は眉をひそめた。「何が面倒なの?」


「あ、そうだ、私の能力は『時間』と言ってもいいかな」


 それは陳晞の予想通りで、ただずっとそれを実証する機会がなかっただけだ。それを今能力の所持者本人が自分で認めたから、もはやその必要もなくなった。目の前の光景が何よりの証拠だ。


 信号機の下で林又夏が自ら能力を見せた時に、周囲の環境のせいか、この時のような迫力はなかった。しばらく一緒に暮らしたせいか、陳晞は自分のそばにいる林又夏が記録されていない能力を持っていることを忘れそうだ。


 相手が自分の前に跪くのを見て、陳晞は何を話せばいいのかわからない。


「面倒だな」


 文句を言っている林又夏の好きに顎を持ち上げられ、もしかして今自分の頭も花火と同じように止められたのかと陳晞は思う。


 こんな近い距離でその顔を見るのは初めてではない。陳晞はあまりそんなことをしないが、毎晩一緒に寝る時、寝返りするだけでこんな光景が見える。


 だが一緒に寝る時は今のようなことはしない。


 その綺麗な顔が目の前にどんどん大きくなって、そして自分の唇が何かに塞がれた感じがした。陳晞が気付いたら、それが林又夏の唇だと理解した。


 ほぼ一瞬だけ触れた後、相手は身を引いた。


「あなたは今から私に興味を持ったほうが良いよ」


 いつも余裕に満ち溢れているその声から、微かな震えを感じ取れるようだ。


「……え?」

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