レンタル部下

沐謙/KadoKado 角角者

1 部下をレンタルしよう

「Rodney、湯社長が言っていたけど、あの音声支援システムの製品紹介動画、締め切りは今週中よ。他に三種類のバージョンも残っているのよ。早く声優さんと連絡しなさい。じゃないと間に合わないわよ。Sandy、展示会の予算は決まったか?湯社長が今日チェックするらしいから。あと、Leo……」

 黄佑恩はわずか三十分で十三回も直接オフィスから逃げ出したい衝動にかられた。

 職場のグループの中で、仕事の説明は全て宣伝部門のシェミン部長からの一方的なものであり、その中に何人かの社員の「OK」、「今すぐやります」などの言葉が多少混ざっていただけだった。

「……Rodney、湯社長からさっき言われたんだけど今回の研究会のポスターはなぜこんなに酷いの?印刷する前になぜ私に確認を取らなかったの?」

 これで十四回目。黄佑恩が黙って数えた。

「OK、Mina、俺がもう一回設計する」グループ内では上手い言葉を使って返信したが、まるで後頭部まで白目になったような顔からそれは彼の本心ではないことが伺える。

 コミュニケーションの過程は確実にCCに入れてメールに通じて送ったのに、ポスターもこれまで必ずプロジェクト担当の同僚が決めてきた。今は、上の人からの叱りを少し食らって、慌ててもっともらしく振舞っている……。

 謝旻娜はまだ管理職会議中だ。社長からの集中砲火を浴びて、最前線にいた彼女は、対処しきれないほどの膨大なプレッシャーから逃れるべくすぐにSkypeで同僚に伝えた。わかりやすい。管理職としてこれは便利な方法だ。

 これによって、黄佑恩はこの一週間ずっと残業して、帰りはいつも夜十時頃になった。

 黄佑恩が我慢できなかったのは残業そのものではなく、残業の理由だった。実際に仕事量はそんなに多くないが、上司が方針をコロコロ変えたせいで彼が残業する羽目になったのだ。

「三本の動画を作成するってなんだ? 声優さんのボイスサンプルがそっちも全部持っているのに、直接に聴いてから決めるだけでは難しいのか? 金と時間を浪費するぞ」残業中、何回動画作りながら愚痴をこぼしたか覚えてなかった。

「その人はバカなんだよ。大事な製品動画を全部見ないと、その違いがわからない。しかもナレーション付きで」

 Sandyは目の下にクマがひどい。予算表を作りながら、いくつものウィンドウを占有するExcelシートで彼女は頭がおかしくなりそうだった。

 三番目の動画に音声を合成し終わって、荷物をまとめて帰る準備したとき、黄佑恩のSkypeに突然着信が入った。

「Rodney、このスタジオ所属の声優さんは全部で七人じゃなかった?七つのバージョンをそれぞれ作成して、社長にじっくり選んでもらえばいいじゃない。 予算は心配しないで。社長も気にしないはずよ。お疲れ様、社長って本当に面倒くさい……」と言ったのは仕事を終わらせて帰宅していた謝旻娜だった。

 黄佑恩は口から泡が吹きそうになった。


 天気予報でこの日は寒気が流れ込むらしい。月が見えない深夜になっても、台湾のシリコンバレーとも呼ばれている新竹サイエンスパークでは多くの会社が窓にはまだ明かりが灯っていた。目の下に紫色をしたクマができた黄佑恩がボディバッグを手に取って、急いでオフィスを出た後、建物全体の最後のライトがようやく消えた。黄佑恩は腹が立っていた。夕食を取り損なって、外が寒いから、バイクを起動させるのに数分かかった。

 くそっ、マジで面倒くせぇ、とそんなことを思いながら無意識のうちにアクセルを回す。自分が上から怒られたくないからって、俺たちの仕事を減らさないくせに、余計な仕事を増やさないでくれ、とそう思ったのだ……。

 自分が情けなくなるくらい惨めな気持ちになった。社長が狂っているのはもちろんだが、直属の上司である謝旻娜が救いようもないくらい役立たずだ。上から何かわけのわからない指示を受けると、自分で対処せずに部下に全部丸投げして、社内ではいい上司であるように振舞うことにご執心だ。怒鳴り散らすくせに、社長の前ではただひたすら甘く微笑みながら盲従するだけ……。

 ちくしょう、俺もプライドのあるデザイナーになれば会社の言いなりにならずに済むのに……黄佑恩は涙を浮かべながらそう思った。

 残念なことに、謝旻娜は部長の座を十年以上占めているから、彼がこの会社で昇進する見込みがない。部長のポジションはもちろん、少し上の役職への昇進もまだ夢物語だ。

 黄佑恩は光復路まで走らせてからバイクを停め、行きつけの安い鍋料理屋に入ろうとしたが、突然足を止めた――左手前の路地の奥で、黄色く光る物体に目がくぎ付けになった。

 それは、『Angeart・部下レンタルプラン』と書かれたシンプルかつ人を惹きつけるデジタル看板だった。

「部下レンタル?何それ?」

 黄佑恩はしばらく頭の理解が追い付かなった。こんな店あったか?まったく覚えてなかった。

 好奇心からなのか、店の正面に立っている看板娘が自分を駆り立てたのかわからないまま、黄佑恩は思わずその小さな店に向かって歩きだした。

「いらっしゃいませ!」

 女の子は黄佑恩に気が付いた途端こちらに近づいてきて、「こちらが当社のレンタルプランです。ご参考ください」と、笑顔で言いながらA4サイズのハードカバーのパンフレットを取り出した。表紙にはこう書かれている――『サラリーマンの特効薬。プライドを取り戻せるサービス──部下レンタルプラン』。

 パンフレットを開いてみると中身は二ページしかない。一ページ目は価格表だ。一日レンタル4,800元、二週間レンタル(割引)63,999元、一か月以上レンタル(超得割引)119,999元と料金設定されている。隣のページには選べる「部下のタイプ」が記載されている。そのタイプは「お利口従順型」、「おべっか奉仕型」、「やる気満々型」の三つに分かれている。そのそばにはCGで描かれたイラストがあり、それぞれのタイプのイメージを表しているのだ。

 頭の中で疑問符がぐるぐる回るのを尻目に、女の子は熱心にその説明を続ける。「当社のサービスは仕事に追われている『社畜』たちに向けて提供しています!会社に雇われて、理不尽な扱いを受けたことが必ずありますから。どの企業でも社員に出世のチャンスを与えられるわけじゃないんです。そこで、当社のお利口なレンタル部下はお客様に呼び出されたら、お客様は上司の気分を満喫しながら、毎日の社畜の苦労を一掃することができるんです!」

 黄佑恩は顎が外れるかと思った。こんなサービス聞いたことない。この店はまるで自分が思っていることを感じ取ったように、精神的に参っている自分の目の前に現れたのだ。

 女の子は休むことなく説明を続けながら、「当社がご用意する『部下』は、メンタルが強い人たちですよ!みんな社畜経験が豊富で上司を喜ばせる方法を知っているから、お客様にとって最高の体験になります!それと、一番重要なのが……」女の子は少し説明を止めて深呼吸しながら、大げさな口調でこう言った。「当社ではお客様の職業にぴったりな様々なジャンルの部下を用意していますよ──お客様の職業は何ですか?」

「ビジュアルデザイナーです」黄佑恩はそう答えた。

「よかった。デザイナーの同僚をたくさんご用意しています。絶対お役に立ちます」

「本当ですか?」黄佑恩はそう言いながら眉を上げた。このサービスは聞く限り悪い話じゃない。もしそんな『部下』が自分の面倒な仕事をやってくれるなら、きっとものすごく楽になれるに違いない。

「ご安心ください。初めてこのサービスを知った方は必ず疑問に思うことはわかっています。当社ではサービス終了してから、料金を支払う後払いですので、詐欺の心配はありませんよ」

「でも、本当に部下を一人レンタルするなら……どうやって出勤させるんですか?」

「それも心配ありません。対策はばっちりです」女の子はそう言いながらミステリアスな笑顔を見せた。

「悪くなさそうだな」

 黄佑恩は少しためらって料金表を見ながら、「でも……料金は安くないな……」とつぶやいた。

「あっ、忘れていました!」女の子は慌ててカウンターから飛び出してA4の用紙を一枚取り出した。「今月は新規のお客様向けに特別プランを用意しているんです。──一週間25,200元!一日あたりたったの3,600元、とってもお得でしょう?しかも──レンタル終了前にレンタルを更新すると、同じ割引料金で引き続き利用できます!これはいつもならありえないほどお得ですよ!」

「うーん……」黄佑恩は女の子の話を聞いて迷っていた。料金がまだ高い。でも、最初に提示された料金と比べると、確かにお得だ。

「安くはないかもしれませんが、払えないレベルではありませんよ!」女の子はさらにヒートアップして、「当社が提供する体験は、お値段以上をお約束します」

 黄佑恩は目を泳がせていたが、やっとそれを止めて、「じゃあ、その『部下』の性別を選んでいいですか?」と言ってみた。

「申し訳ありません。それはできませんね」女の子はそう笑いながら「当社はお見合いサービスではありませんので。でもご安心ください。必ず最高の部下をご用意します!」

 黄佑恩はまた少しだけ迷った後、ようやく決心して、パンフレットの「お利口従順型」へ指をさしながら、「これを──まずは一週間試してみます」と言った。

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