第17話 火竜、エルナルフィア 前編




「……って、ここ……?」


 たどり着いた先にあった建物をエルナはただただ呆然として見上げた。ぽつりと道の端につけられた街灯が細長い尖塔が飛び出た屋根を静かに照らしている。着いた先は、ただの教会だった。

 入り口のすぐ真上につけられた明かり取りの窓は暗い。つまり、中に人気もないということだ。すでに夜も深まっている。誰もいないのは当たり前といえば当たり前で、エルナとしてみればすっかり出鼻をくじかれた気分だ。


「それにエルナルフィア教の教会……と、いうことはそもそも【竜の鱗】があったっておかしくはない、か……」


 エルナは盗まれた宝石ではなく、【竜の鱗】そのものを発する気配を探っただけだ。魔力を高める力があるからその名がついたのか、本当に鱗に似ているからそんな名がついたのか、それとも両方なのか真偽は不明だが、同じ竜の名がつくものを教会が崇めていてもそれほどおかしくはないようにも感じた。


「やっぱり無駄足だったかな」とため息とともに声が飛び出た。

 ポケットの中ではハムスター精霊がぴょこん、と顔を出して周囲の様子を窺っている。「ほら、寒いって言ってるじゃない」と精霊に寒さがあるのかどうかはわからないが、ぽにぽにの額をちょん、と優しく人差し指で突きながら話しかけていたときである。


「……どなたかいらっしゃるのかな?」


 ぎぃ、と重々しい音を立てながらあけられた扉の向こうからやってきたのはいつかの司祭だ。白い服に身を包みながら相変わらず柔和な笑顔の持ち主である。夜分遅くに、と慌ててエルナは謝罪をして頭を下げると、「どうせ年寄りは眠りが浅いのですよ」と彼は微笑む。


「もしかするとカカミに会いに来てくさったのですか? でも申し訳ないことに、あの子は今いないのですよ」

「えっ。こんな時間なのに……?」

「本当に一体、どこに行っているのやら。お嬢さんはご存知ありませんか? 何かお心当たりでもあれば教えていただきたいのですが……」


 もちろん、知るわけがない。そういえば以前に訪ねたときにも同じような質問をされたことを思い出しながら、あけられた扉の中を見ていると、どうしてもぽつり、ぽつりと輝きながら続く足跡へ目が追ってしまう。探している足跡は教会の中へと続いていた。


「どうかなさいましたか? 外は寒いでしょう。何があったのかは存じ上げませんが、よければ中にお入りください」


 じっと床を見つめるエルナに、司祭は穏やかに話しかけた。導かれるように教会に足を踏み入れる。相変わらず中はがらんとして薄暗い。ぽつり、ぽつり……。近づけば近づくほど、魔力の匂いは濃く香る。


「……司祭様、ここに【竜の鱗】は、ありますか?」

「【竜の鱗】? もちろんありますとも。できれば本物のエルナルフィア様の鱗があればいいのですがねぇ……。ただの宝石ですが、代わりとして祀っているのですよ」

「そうですか。そうですよね」

「それより、カカミの行き先を本当にご存知ありませんか? とても心配していましてね。どうにも最近、カカミの様子がおかしい。あなたなら何か知っているのではないかと」

「……いえ、カカミにはあれから会っていないので」


 ぐい、と肩を掴まれ、エルナは眉をひそめた。老人にしては随分力が強いような気もしたが、知らないものは知らないとしか言いようがない。

「すみません、本当にわかりません」と強く跳ね除け、距離をあけたときだ。


『ふんすふんす、でごんす』


 なにやらハムが興奮している。落ち着きなさいな、とポケットに手を入れたとき、ちょろちょろとエルナの服の袖から上り、『ふしゃぁ!』と威嚇をした。『――こいつから、種の匂いがするでごんす!』


「……種?」


 エルナの耳に聞こえるように、しかしひそめられた声の意味を考えて、瞬いた。「可愛らしいハムスターですねぇ」と司祭は微笑みながら、一歩近づく。(種って……)ひまわり? と記憶を遡らせる。


【竜の鱗】を盗んだ犯人の顔に、ハムスター精霊は思いっきり種を投げつけていた。その匂いが、司祭からすると話している。

(いや、さすがにそれは……)


 ちょっとどうだろう、と訝しむように眉を寄せつつ、しとしとと降る雨の日のことを思い出した。


 ――エルナルフィア様は雨を好まれなかったと聞いております。不浄なものと忌み嫌われていらっしゃったとのことですから。


 司祭は、たしかにそう言った。けれどもそのときエルナは、ひどく奇妙に思ったのだ。


(エルナルフィアは、雨はたしかに苦手だった……けれど、忌み嫌うなんて、そんなことはない)


 雨が降れば、自由に空を飛ぶこともできなくて忌々しく感じたものだ。ヴァイドを背に乗せて空を飛ぶことこそが、エルナルフィアにとっていつしか果てしない喜びに変わっていたのだから。


「……エルナルフィアは、雨を嫌ってはいない」

「……はい?」


 長い歴史の中だ。いつしか伝えられていく中で、姿を変えるものはあるだろう。このことも、その一つなのかもしれない。

 けれどもやはり、違和感が募る。


「たしかに火竜であるエルナルフィアにとって、雨は不要な存在です。けれど、雨量が少ないことに悩むこの地に住む人々にとっては違う。雨は、世界からの恵みだ。それを、不浄のものだなんて思うはずがない」


 ――もし本当にエルナルフィア様がご転生なさったというのなら、ぜひとも教えていただきたいものなのですがねぇ。一体なぜ、こうもはっきりとさせないのか……。


 思い返してみれば、司祭の言動はエルナを城の人間であるということを認識した上で伝えられたとするならば、司祭とは思えない悪意をにじませていた。エルナは、自分自身が竜の生まれ変わりであるとわかっているからなんとも思うことはなかったが、通常のメイドであったのならば司祭の言葉でエルナルフィアの存在を不安視するに違いない。


(それに)


 二度目に司祭と出会った祭りの日。

 教会の扉を開け、空っぽの室内を、エルナはその目で見た。

 人がいない。音も聞こえない。それなのに――複数の、人の気配だけがあった。


「雨は不浄……そんな言葉が、本当に司祭様の口から出るものですか?」

「申し訳ございません、なんせまだまだ不勉強なものでして、何か勘違いをさせてしまったようですね」

「不勉強ですか。なら、この国の名もご存知ない?」


 ふう、と息を吐き出し訝しげに彼を見上げるエルナを、司祭の返答はただ眉をひそめるのみだ。

 様々な疑問が積み重なり、形を作っていく。


 ――お前がいると、まるで雨の中にでもいるみたいだな。


 そう言って、すでにいない王はエルナに笑った。ヴァイドを背に乗せ雲の中に飛び込み、体中をびしょびしょにさせる度に嬉しくて、大声で、楽しそうにしていた。雨が降れば国中の人々は喜び、誰もが両手を広げて空の恵みに感謝した。


「雨量の少ない国を嘆き、また未来を願って、ウィズレイン<雨と共に生きる>と初代国王、ヴァイドは名付けた。この国の名を知らないとは言わせない」


 さて、と。エルナの青の瞳が、射抜くように男を見る。


「――お前は、誰だ?」






【お知らせ】

オーバーラップノベルスf様より、書籍化発売が決定しました!

8月25日発売予定です。

よければよろしくお願い申し上げます……!

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