32.霧のような将来への不安(前編)



……俺が学校に復帰したのは、1月中旬頃からだった。12月の途中から諸事情で欠席し、冬休みが明けてからも少し休んだ状態だった。


しばらくの間、クラスメイトたちから「なんで休んだのか」攻撃を食らいまくったが、「親戚が亡くなったから葬式に出てた」という理由で質問を躱した。


だが、親友の圭だけは本当のことを教えた。


「なんだそれ!?そんな状況だったのかよお前!」


いつもの通りに屋上で、いつもの通りに二人並んで三角座りをして、昼飯を食う。


圭が「なんで早く教えなかったんだ!」とうるさいので、俺はため息をついてから言ってやった。


「圭、お前って結構口軽いだろ。下手に喋られて、クラスメイトに余計な心配かけるのも嫌だったんだよ」


「なんだよ信用ねえなー!」


「そう言うなって。ある程度の決着がついた今、お前にだけは話してもいいかなって思って、今話してるんだぜ?」


「そうか、うん。じゃあいいか」


あっさりと身を引いた圭を見て、俺は内心『チョロすぎるぞ圭』と、逆に親友が心配になった。


「しかしーなんだな、お前んちは今、親がいねえのか」


「ああ、美喜子さん……義理の母は今留置所だし、親父は一応取り調べ中。たぶん、親父の方はしばらくしたら帰って来るだろうが、義理の母の方はそのまま1、2年は服役かもな」


「なるほど……。なんか、お前ってホント苦労人だよな」


「別に大したことないだろ。俺よりエグい目に遭ってる人なんて、大勢いる。俺のいた児童相談所に寧音ちゃんって女の子がいたが……あの子はもっと凄まじかった。身体中、たばこの消し跡だらけだった」


「……たばこの消し跡?」


「親がやったんだよ。聴くところによると、その親は娘……寧音ちゃんのことを『灰皿』と呼んで、たばこの火を身体に押し付けて、泣き叫ぶのを笑ってたらしい」


「……………………」


圭は眼を伏せて、「ちっ」と舌打ちをした。


「胸くそ悪いな」


「ああ、親を見かけたらぶん殴ってしまうだろうなって思ってた」


「殺しちまってもいいだろうよ、そんな親」


「……………………」


俺は、屋上に吹く肌寒い冬の風を受けながら、圭に言った。


「俺さ、今までどんな仕事につきたいとかなかったけど……ようやく決まったわ。俺、カウンセラーになる」


「カウンセラー?」


「虐待とかいじめとかで、心がズタズタになっちまった子どもたちを助けたい。警察官とかもちょっと考えたけど、俺は少し荒っぽくて、ついつい加害者を私情でぶん殴ってしまいそうでさ……。そっちの方は自制心のある人に任せて、俺はメンタルヘルスの方に行こうと思う」


「……そうか」


「意外だったか?」


「いや、お前らしいな」


「俺らしい?」


「ああ、間違いなくな」


天職になるだろうよ、と……圭は青い空に向かってぽつりと言った。







……美喜子さんたちのいない生活は、不思議な寂しさがあった。


いつも二人はいなかったし、あれだけいなくなってほしいと思っていたのに、いざ本当にいなくなると……なんだか胸にぽっかりと穴が空いたような気になった。


そのことを美結に話すと、「私もそうなの」と言って眼を伏せた。


俺たちはたぶん……とことん、お人好しなんだろう。どんな人間であっても、嫌いだと思うことに罪悪感を感じてしまう。


そんなこと考えずに、スカッとした気持ちで日々を過ごせばいいのに、俺たちはどうも不器用で、しばらくの間二人の心に尾を引いた。



「……ただいまー」


二人だけで暮らすようになってから、早1ヶ月。その日は、2月14日のバレンタインデーだった。


「お兄ちゃんお帰り!」


玄関に出迎えてくれた美結は、なんだかいつもより上機嫌だった。彼女は手を後ろに組んで、上目遣いをしながらニコニコとはにかんでいる。その様子から、彼女が何をしようとしているのか、粗方予想ができた。その予想だけで、俺はもう美結を抱き締めたくなった。


「お兄ちゃん!今日はなんの日か知ってる?」


「もちろん、バレンタインデーさ」


「うふふ!じゃーん!」


美結がそう言って、手を前に出した。その手には、リボンにくるまれたハート型の箱を持っていた。


「ハッピーバレンタインデー!お兄ちゃん♡手作りチョコだよ!」


「おーー!ありがとう美結ー!」


「お兄ちゃん、箱……開けてみて?」


「どれどれ」


リボンをしゅるりと解いて箱を開ける間、美結はずっとニコニコしていた。全くもう、かわええなあ……。


「おお!すげー!」


箱の中には、ハート型のチョコがあった。その上にイチゴチョコやホワイトチョコのチップがデコレーションされており、かなり手の込んだ作りになっていた。


「凄いなあ……!店の売り物みたいだよ!ありがとう美結!」


「うふふふ、喜んでくれて良かった♡」


美結は飛び跳ねながら、俺の頬にキスをした。そして、「一年間ありがとうね」と告げた。


「一年間?」


「お兄ちゃんと初めて会った日は、バレンタインデーだよ?」


「あ!そうか……じゃあ俺たち、もう一年経ったんだな」


「うん!」


「いろいろあったなあ……濃い一年間だったなあ……」


「ふふふ、本当にいろいろあったね」


美結が口許に微笑みをたたえながら、自分の指先をからめて、少し何やらもじもじしつつ、俺へ尋ねてきた。


「私たちって、恋人……だよね?」


「ん……こ、恋人……。そうだな、ちゃんと口にするのは初めてだけど……そういう関係、だな」


「うん、私はお兄ちゃんの妹で、恋人で、どっちでもあるんだよね?」


「もちろん」


「えへへへ……」


彼女は眼をきゅっとつぶり、赤くなった頬に両手を添えていた。


「去年の今頃じゃ、こんな関係なんて、考えられなかったなあ……」


美結がそう呟いたので、俺もそれに便乗し、「そうだなあ」と呟いた。


「あん時……なんだったけな?美結から『チョコとか絶対貰えなさそうだもん。ていうか、一生独身そう』なんてこと言われたっけなー」


「やーん!やだやだ!いじわるしないで?」


「ははは!ごめんごめん」


でも、本当に不思議だよなあ……。一生独身っぽそう、なんて言ってた当の本人が、『お兄ちゃんと結婚したい』とか言い出すことになるとは……。昔の美結に今の美結を見せたら、どんな反応するんだろうなあ……。


「お兄ちゃん?どうかした?」


「いや、ホワイトデーのお返しを張り切らなきゃな!って思ってたとこだよ」


「うふふ!期待してるね!」


美結の笑顔を受けて、俺も目一杯、負けないくらいの笑みを彼女に返した。






……深夜十一時。俺はふいに目が覚めた。


となりには、静かに寝息を立ててる美結がいる。俺も彼女も、どちらも裸だった。彼女の華奢な肩が掛け布団から出ていて寒そうだったので、首もとまで布団をかけ直た。


「んん……お兄ちゃん……」


美結が寝言で俺のことを話してる。ふふふ可愛いな、なんてことを思ってたら、「お兄ちゃん……好き……」と、さらに強烈な寝言を言ってきた。俺は顔が熱くなって、思わず美結の額にキスをした。


「……………………」


俺は手を枕にし、肘を横に付き出して天井を仰いだ。


俺は……カウンセラーになる。だけど、それは完全に俺の……単なる夢だ。美結との生活を考えると、もっと安定した職に就く方がいいと思う。


彼女と……そして、俺たちの間に子が生まれたりなんかしたら、もっとお金が必要だ。


(カウンセラーって儲からなそうだよなあ……)


なんとも失礼なことを考えている俺だったが、でも現実問題、カウンセラーが物凄くお金を持っているというイメージはない。


……だけど、俺はやっぱり、カウンセラーになるべきなんじゃないかとずっと思っている。


美結のような子たちをたすけるためには、本当に寄り添ってあげられる人が……必要なんじゃないだろうか。親も学校も友達も、何もかも繋がりがなくて……本当に独りぼっちになってしまった子どもたちを救える、最後の砦のような……。


(そうだ、そういう意味では、自殺防止の窓口とかで働くのもいいよな)


何にせよ、俺は美結のような子を減らしたい。全員を救えるわけじゃないだろうけど、それでもやっぱり……何もしないでいるのは、とてもできない……。


「……母さん、俺……どうしたらいいかな」


暗がりの中、俺は回答がこないはずの問いを、その虚空に尋ねていた。


その時、枕元に置いてある俺のスマホが、何かを受信してバイブレーションした。スマホの明かりに眼を細めて、なんの通知だったかを確認した。


それは、メグちゃんからの着信だった。


(こんな夜に……一体どうしたんだろう?)


美結と裸で寄り添って寝ている時に、違う女の子からの電話を受け取っていいものか物凄く迷ったが、もし緊急だった場合のことも考えて、俺は美結を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、部屋を出てから着信を受け取った。


「もしもし、メグちゃん?」


『あの……明さん、夜遅くにごめんなさい』


電話口で話しているメグちゃんの声は、震えていた。やはり何か緊急なのだろうと思った俺は、メグちゃんに詳細を尋ねた。


「大丈夫?何かあったの?」


『あの……ちょっと……えっと』


「ゆっくりでいいよ。焦らないでゆっくり……」


『明さん……………あの、今家の前に来てるんですけど、玄関……開けてもらってもいいですか?』


「え?家の前に?」


こんな夜更けに一人で来たのか……?女の子一人では危ないし、あまりに突然すぎる訪問だ。ちょっとさすがにモヤモヤする思いを胸に、俺は急いで服を着た。そして1階へと降りて、玄関の扉を開けた。


「……明さん」


彼女はマフラーと手袋をしていて、なおかつ寒そうに震えていた。


「……メグちゃん、夜遅くにいきなり訪問するのは良くないよ?俺たちもそろそろ寝るところだったし、何より女の子一人で夜出歩くのは危ない」


「……ごめんなさい」


しゅんとする彼女を見て、俺はもうこれ以上怒ることは止めた。もともと大して怒ってはいないけど、けじめとしてやっぱり最低限言うべきかなと思ったからだ。


「もう、鼻も頬も寒さで真っ赤じゃないか。さ、どうぞ入って」


「はい……」


メグちゃんを玄関に入れ、食卓のテーブルへと彼女を招いた。椅子に座ってもらい、暖かいココアを入れて彼女に出した。


「ありがとうございます……」


「いいよ、これで少しは暖まるはずだ」


俺はココアをちびちびと飲む彼女の隣に座った。


「さあ、どうしたんだいメグちゃん?こんな夜更けに訪ねてくるなんて、何か話があるんじゃない?」


「……………」


「俺に電話をかけたってことは、俺に何か用があるんじゃない?」


「……あの、明さん」


彼女は、ココアの水面に映る自分の顔を、ぼんやりと見つめていた。


「私と1日だけ、デート……してくれませんか?」


「…………え?」


「1日だけ、本当に1日だけでいいので……。その日だけ、私だけの……明さんになってくれませんか?」


「……………………」


彼女の頬に、涙がつたった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る