3.今の美結と、あの時の始まり


……私は、もう寂しくて仕方なかった。お兄ちゃんの胸に顔を埋めて、腕を背中にまわしてぎゅっと抱き締めた。


私のお部屋で、私とお兄ちゃんの二人だけ。その時間が、もう終わっちゃう……


お兄ちゃんは「まいったなあ……」と、困ったような照れたような、そんな感じの声色で呟いた。そして、私の頭を優しく撫でて、優しい言葉を言ってくれた。


「大丈夫。学校が終わったら、真っ直ぐ家に帰ってくるよ」


「……ほんと?」


「俺が約束を破ったことあるかい?」


私は首を横に振った。そう、いつだってお兄ちゃんは、約束を守ってくれる。


「ごめんねお兄ちゃん……。毎朝毎朝、学校行くだけなのに、私……寂しくなっちゃって」


「いいよ、気にするなって。俺が学校行っちまったら、俺が帰ってくるまでこの家……美結だけになるもんな。まあ、一応美喜子さんもいるけど……」


「……ママには、私みたいな……引きこもりで出来損ないの娘、いないのと同じだもん」


「…………………」


お兄ちゃんが、私をぎゅっと抱き締めてくれた。ああ、あったかい。まるでお兄ちゃんの心の暖かさが、そのまま身体を伝わるみたい……。


「おっと、ごめんよ。さすがにそろそろ出ないと遅刻だ」


お兄ちゃんはそう言うと、私からゆっくりと離れていった。私はぽろぽろと出る涙を両手で拭って、眼をぱちぱちと瞬きして堪えた。


お兄ちゃんは一瞬だけ悲しそうな顔をしたけど、すぐにパッと笑顔になった。私を元気づけるために、いつもお兄ちゃんは笑顔でいてくれる。優しい言葉であっためてくれる。


「じゃあ、美結。寂しくなったら、Limeしたり電話してきたりしてきてくれて良いからな!」


「…………うん」


お兄ちゃんはいつも、家で寂しい想いをしてる私を気にかけて、学校に居ながらも私へのLimeの返信をしてくれる。


前に、授業中にお兄ちゃんが私へ返信してるのを先生に見つかって、こっぴどく怒られちゃって、スマホを没収されたことがある。だけど、それでも『寂しかったら連絡しておいで』って言ってくれるお兄ちゃんが、私は……。


「じゃ、行ってきます」


「……うん、行ってらっしゃい」


お兄ちゃんは手を振ってくれたので、私も手を振り返した。部屋を出ていく去り際、お兄ちゃんは指で鼻をくいっとあげて豚鼻にして、「行ってきますわ~」と裏声で喋った。私はそれにクスクスと笑った。


私が笑ったのを確認すると、お兄ちゃんは優しい笑顔に戻って、もう一度手を振って、部屋を出ていった。お兄ちゃんは、時々ああして変顔をしたり変な冗談を言ったりして、私の心を和ませようとしてくれる。


「…………………」


お兄ちゃんがいなくなると、部屋がしんと静まり返る。私はその瞬間が、一番嫌い。寂しい、寂しい、寂しい……。


「はあ…………」


私は自分の部屋から出て、真向かいのお兄ちゃんのお部屋に入った。お兄ちゃんの匂いに包まれて、少しだけ寂しさが和らぐの。


お兄ちゃんのベッドに横たわり、お兄ちゃんの香りのする毛布を手に取り、お兄ちゃんの顔を思い出しながら、くんくんと匂いをかぐ。


「……大好き」


もし……私が半年前に、あの人の妹としてこの家に来なかったら、一体……どうなっていただろう?下手したら、もう……寂しすぎて、この世にはいなかったかも知れない。


お兄ちゃんのお陰で、私は生きていられる。お兄ちゃんがいるから、人に失望しないでいられる。


「……お兄ちゃん」


今でも時々、自分がこんな風に……甘々で、甘えん坊で、そして……あの人を大好きになるなんて、半年前は思いもしなかった。


昔の自分が今の自分を観たら、『なにちゃんと妹してるんだよ』ってバカにすると思う。


でも、それでもいい。だってそれくらい……私はもう、心を許してしまった。


「……お兄ちゃんがいてくれて、本当に良かった」












「あんな兄、絶対いなくていい!」


私がこの家に来てから、早1ヶ月。正直、もうさっさとこの家を出たい。


「なーにが『ハヤシライスが頬についてる』よ!つまんない嘘ついて!あーウザいウザい!」


私は部屋に入って、直ぐ様ベッドに寝転んだ。うつぶせになって、顔を枕に埋める。


「…………………」


……そう言えば、久しぶりに人の作った料理を食べたかも。


ママはいつも家にいないし、パパはパパで……仕事で家にいなかった。新しいパパになってもそれは同じ。


「……やっと幸せになれると思ったのになー」


枕でくぐもった私の独り言が、部屋の中に小さくこだました。



……翌朝、私はいつものように学校の支度を始めた。ママの再婚を機に、私は転校した。中学二年の終わり頃に転校なんて、超嫌だった。


せっかく仲良い友だちが前の学校にいっぱいいたのに、別れることになるなんてさー。


「はあ……」


昼休み、みんなが各々友だちとお弁当を食べてる中、私は一人黙ってパンを食べてた。


(うわっ、何この焼きそばパンまずっ!)


焼きそばパンをゴミ箱に捨て、新しくメロンパンの封を開けようとした時だった。


「ねえねえ、渡辺 美結さん」


渡辺……まだ呼ばれなれていない名字に違和感を覚えながらも、私はその声の主に眼をやった。


それは、三人の女子グループだった。そこそこ可愛い顔をしてる、いわゆる一軍女子。


一人はロングの黒髪で、一番可愛い。眼がぱっちりしてて、お人形さん的なそういう子。確か名前は湯水 舞ゆみず まい


もう一人は、茶髪のポニーテール。腰に手を当ててて、体つきとか雰囲気とか、なんか運動部っぽい感じ。この子は桐島 澪きりしま れいだったかな?


最後の一人が、青い髪のツインテール。童顔で、手首にふわふわのシュシュみたいなのをつけてる。なんかぶりっ子くさい。中西 喜楽里なかにし きらりとかいうキラキラネームだったから、一番名前は覚えてる。


「良かったらさー、一緒にご飯食べよー?」


「うん、いいよー」


湯水さんの能面を張り付けたような、薄ら寒い笑顔に、私も似たような笑顔で返した。女子の最初の交流なんて、だいたいそんなもん。


「屋上行かない?あそこ涼しくって気持ちいいんだよね~」


「へ~、そうなんだ~」


私は三人に連れられて、屋上へとやってきた。屋上の出入口を出ると、桐島さんが出入口の鍵を閉めた。


怪訝に思った私の前に、湯水さんが対面して立った。


「ねえねえ、渡辺 美結さん。ご飯の前にさ、ひとつ質問いい?」


湯水さんがにっこりと笑って、私を見る。身長は私より彼女の方が小さいはずなのに、なぜか異様な威圧感があった。


「質問って?」


「この前さ、【立花くん】とデートしたでしょ?」


私は一瞬誰のことか分からず、「立花?」と聞き返した。湯水さんはにっこりと笑ったまま、一言も喋らずに黙っていた。


あ、そう言えば立花って、あれかな?


「そうだ、サッカー部のキャプテン?とかいう人が立花って名前だった気がする」


「うんうん、その人」


「一回デートに誘われて行ったけど、なーんか退屈だったから途中で帰ったんだよね」


「ふふふ、そうなんだ。実はその人ね……」




私の彼氏なの



そう言って、湯水さんは笑った。


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