僕は朝日が昇る前まで散歩した

墨色

僕は、朝日が昇る前まで散歩した。

完成した作品を見て、つい口に出す。



「……はは、やっと出来た…」



今回のテーマは少し捻り過ぎたのかもしれないけど、良いんじゃないかな。


よし。完成。


これ以上見ると、また手を加えてしまう。



「いたた…もう腰が馬鹿になってる」



座る作業がキツい年…とは思いたくはないが痛いものは痛い。



「それでも何とか間に合ったか」



次の個展に向けての作品作り。


ようやく目処が立った。


時刻は…もうすぐ3時か。


秋の夜長とは言うものの深夜は驚くほど短い。


深夜…というかこれ朝かな。


工房から出て伸びをする。


いや、まだ真っ暗だ。


夜だ夜。



「朝なんか来るなー、なんていつもだな…これ」



毎回毎回個展前は思ってしまう。


夜よ、明けるな。なんて思ってしまう。



「ま、なるようになるか」



これもいつもの虚勢だ。


この地に移り住んで、もう15年。


何度も何度も言っている。


毎度のごとく、勇気が足りない。


描いてる時は、そんな事なんて1ミリも思わないのに。


目の前は片側二車線の大きな国道だが、車なんて滅多に通らない。


準工業地域だからか、この時間に人なんていない。


銀色が少し煙る街灯の灯り。


それと朧げな月明かり。


この世に僕しかいない気になってくる。


コロナになろうが、終わろうが、何も変わらない街と、いつもの遊歩道。


僕にとっては見慣れた景色。


いつもの毎日。


ほら、今日も新聞配達のバイクがあの角を曲がってくる。


ブロロ、なんて響かせて曲がってくる。



「ダレカ。オニイチャン、チョトキテ」



違った。


全然違った。


怖え。


チノパンにチェックのシャツのガタイのいい外国人に声をかけられた。


東南アジア系か…?



「な、何、何の話だ?」


「オジイチャン、イエ、ワカラセ、ケーサツ、ワカラセ」



駄目だ。


徹夜気味にカタコトは駄目だ。



「チョトキテ、ワカラセ」



暗くて顔の色がわからない。


国籍もわからない。


事件かどうかもわからない。



「イエ、ヨコ、オジイチャン、ワカラセ」



嘘、君この辺住んでんの?


知らなかったな…


でもちょっとそのワカラセやめてくんない?



「デモ、オジイチャン、イエチガウ、ワカラセワカラセ」



ちょっとそのワカラセやめろ。


…おじいちゃんが…家がわからないってことか?


というかこの時刻に?


徘徊老人か?


ただの早起きなんじゃ…というか何処連れてくの?


あ、やめ、ちょ、引っ張らないで。


絵の具つく、つくから。


ちょ、ま、怖い、怖いよ。


案内されたのは、工房裏すぐの住宅密集地だった。


この地域は大きな工場のために工員を住まわせる家が多いとは聞いていたが…これのことか?


え、そこにそんな道あったっけ?


何年も住んでるけど、こんな細路地あったとか知らないよ。


てか何回曲がるんだよ。


てか何人も居たらどうしよう。


これボコボコにされるんじゃね?


無茶苦茶されるんじゃね?


ワカラセられちゃうんじゃね?



「オジイチャン、アブナイ、ワカラセ」


「ちょっとそれやめて」



本当にワカラセられそうで怖いだろ。



「ワカラセ、ワカラセ」



…わかったって意味か…?


誰だ教えた奴は。


辿りついたのは、平屋の小さな小さな一軒家だった。


その中に爺様が立っていた。


窓ガラスをサッシごと外してるから丸見えだ。



「家…の中にいるじゃねーか」


「ここは俺の家じゃないぞな」



その爺様が反射で答えてくる。


ええ…謎増えた…? というか嘘でしょ。それは無理があるでしょ。


家の中居てるじゃん。



「気づけば知らない家ぞな」



いや、だって…玄関の戸は…閉まってるし…



「爺様、ちょっと中から鍵あけてよ」


「中から…? …バリケードされてたぞな」



いや、嘘だろそれ…


見にすら行かないし…



「…じゃあどうやって入ったんだよ」


「連れてこられたぞな」



どうやって?!


じいちゃん、何処ぞのバスケ部の監督ぐらいでっかいじゃん!


トドじゃん!


絶対無理だ。デカいし。ブヨブヨしてるし。


絶対三人は要る。


家の住所を聞けば、確かにここじゃない。


というかその住所、そこの神社なんだが。


確かに爺様は白い。


白のブリーフに白のタンクトップ。


全身白い装束だ。


いやいやいや。寒いよ。何か着ようよ。


てか絶対家着じゃん。



「ズット、オジイチャン、イウ、ハズレ、デル」


「おみくじ…? あ、窓ガラスを外してか…」



カタコトだと想像力が試されるな…


玄関からは出られないからとキッチンの窓ガラスを外して、そこから出ようとしている…のか?


すると、爺様はそこから出ようと足掻き出した。


お腹がつかえて出られない。


このままだと頭から落ちて死ぬかもしれない。



「ま、危ないから、爺様、待って待って」


「帰るぞな」


「どこに?!」



神社帰るとか笑えないぞ!



「オジイチャン、ズット、ガラスカラ、デル、アブナイ」


「そうな、危ないな! と、とりあえず警察呼ぼう!」


「ワカラセ、ワカラセ」


「それやめて。あ、爺様やめろ! じっとしてろよ!」


「わからせぞな」


「わかってないだろ!」



もしかして犯人は爺様か?


そんなのどっちだっていいか。


というか泥棒じゃないよな?


いや、原因も経緯もカタコトとボケに追求は無理だ。


するとまた外に出ようと爺様は足掻き出した。


「駄目だって! じっとしてろって!」


「わからせぞな」


「それやめろよ! わかってないから! 危ないから!」



警察! 早く来て!





その後駆けつけた警察に事情を説明すると、どうやら爺様の家はここであっていた。


一人暮らしで、しかも少しボケていて、度々ご厄介になっているようだ。


警察の言うことには大人しく従っていた。


警察官は窓ガラスは直せないようで、市の相談窓口に連絡してくれるという。



「え、このまま寝るの?」


「ぞな」



窓ガラス直さず寝やがった。


直してあげたいが、暗くてわからないし、外からはハメれない。


見たところ古い家屋だし、無理をすればいけそうだが、ガラスを割りそうで怖い。


警察も民事は不介入だから直せないと言う。


寒いのに、冷たいことだ。


というか寝姿が丸見えなんだが。



「ププ…オジイチャン、オモロ」



カタコトの彼はフィリピン人。


塗装工で出稼ぎで来ているようだ。


隣に住む爺様が心配でとりあえず助けを求めて飛び出したらしい。


まだ来日二ヶ月。


カタコト過ぎて、警察と話せるかわからなかったようだ。



「ふふ…そうだな…面白いよな」


「アリガト、ヨカタ、アリガト」



なんだ、良い奴じゃないか。


不法滞在とか心配してたし、いろいろホッとした。


警察が帰ればまた静寂が始まった。


爺様はもう寝やがった。


彼も少し寝るそうだ。


どうやら朝が早いようだ。


それなのに、優しい男だった。


まあ、隣で叫ばれたら何かしら行動起こすか…


でも周りの家は無関心みたいだ。


……。


ふと、死んだ親父が昔言っていたことを思い出した。



『フィリピンの女性は大和撫子だ! いいぞ!』



いいぞ、じゃねーよ。


それただのフィリピンパブだろ、営業だろ、というか騙されてんだろって思っていた。


母さんもそりゃ我慢できねーよ。


いや、先なのはどっちだったのか。


どっちだっていいか。



「……しかも大和撫子って何だよ…親父…ふふ…」



彼の国の女性に、何か暖かさでも感じたのかもな。


国道に出るも、相変わらず誰も何も通らない。


見上げた街灯は相変わらず銀の光を湛えていた。


この世に僕しかいない気がしていたけど、今はそんな気分にならない。



「はは。もう少し…散歩するかな」



腰の痛み、どっかいっちゃったしな。


そうして僕は、朝日が昇る前まで散歩した。


出勤途中の彼の後ろ姿を見かけた。


なぜか不思議と作品が、いつもより良く見えた気がした。

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