第三十八章 鍋鍋底抜け大事件
――その事件は、桜咲舞桜の一言が発端だった。
「おーい、誰か。畑から持ってくるの忘れちまった野菜があるから、持ってきてくんね?」
赤髪の陰陽師は手元をせわしなく動かしながら、振り返って言った。三笠はその台詞に驚いて聞き返す。
「畑?もしかして、鍋に使う野菜たちは全部自家製ですか?」
「そーだよー」
代わりに舞花が頷く。
「あたしたちのお父さんとお母さん、元陰陽師なんだけどさ、今は引退してて。この家の離れで隠居生活を謳歌してるわけですよ。その暇つぶしに畑仕事しているものだから」
「そうなんですか!」
三笠はさらに驚いた。桜咲家は、まさに「陰陽師一家」なのだ。陰陽師は『巴』でなければ、基本的には個人の自由で引退を決めていいことになっていると、前にアキから聞いてことがある。……そうか、桜咲家のご両親は、舞花と舞桜にバトンタッチして引退したということなんだ。
「そそ。それで収穫した野菜は畑近くに置いているんだけど……全部運ぶの忘れてた。だから、手が空いているやつ頼む。畑は廊下を突き当たって縁側に出た先にあるから、持ってきてほしい」
舞桜の頼みに、立ち上がった者が二人いた。
「俺行く」
「僕もちょうど空いている」
ハルと、アキだった。二人の少年は、舞桜に再度畑の場所を確認すると足早に出て行った。
「何気に働きものの双子なのよね……」
三笠が呟くと舞花も頷いた。
「んね。あーゆー年頃の男子って、もっとめんどくさがったりするもんかと思ってたけど」
「あ、でもハルとアキって、クラスでも役割を進んで務めたりしてますよ」
「へぇー、あいつら、やるじゃん。まあ陰陽師もやってるくらいだから……って!ミカサちゃん、二人と同じクラスなの?」
舞花が目を丸くする。
「あ、はい。席も隣ですよ。私の左隣がハルで、前の席がアキです」
「ええー!」
可憐な先輩陰陽師はさらに目を見開いた。
「陰陽師が三人もいるクラスって!めっちゃ安全じゃん。絶対呪鬼入ってこられない」
「確かにそうですね」
三笠も一緒になって笑う。
一方そのころ、野菜運びを任されたハルとアキは……。
「縁側から、はだしで降りていいかな」
「いいんじゃないか?お、野菜というのはあれか」
アキが眼鏡の奥の目を細めながら、畑近くの、木で作られた台に置いてある新聞紙に目を留めた。どうやら、あの中にお目当てのものが入っていそうだ。
「えいっ」
ハルが素足のまま、土へと飛び降りた。アキも後に続く。
「これを運べばいいよね」
二人が新聞紙を開くと、中にはネギが十数本入っていた。確かに、先ほどまで切っていた野菜の中にネギはなかった気がする。舞桜が忘れたというのは、これだろう。
「こんなに使うかわからないけど、一応持ってくか」
アキとハルはネギを持つ。
「じゃあ、また台所へレッツゴー」
「ただいま戻りましたー」
アキが丁寧に障子を開けながら声をかけた。
――――その瞬間だった。
アキとハルの目の前で、カメラのフラッシュが炸裂したのだ。
パシャッ、パシャパシャッ。
シャッター音とともに、部屋がまぶしくなる。
ハルとアキはネギを持ったまま、呆然としてその光景を見つめていた。
「おい、何やってるんだ……?」
「舞桜と、シュンさんだよな。なんだ?」
三笠と舞花も眉をひそめる。
「お兄ちゃん、急に写真なんか撮ってどうしたの?」
「アキとハルの、撮影会……?」
すると、シャッター音が止まった。
ひとしきり写真を撮った舞桜が、ハルとアキの方をにやりとしながら見る。
その隣で、峻祐が二人の呆気にとられた顔を映した写真を見せびらかした。
そして、二人で声をそろえた。
「「これがホントの、『カモネギ』」」
……長い長い沈黙。
それを破ったのは、賀茂晴だった。
「カモネギ、だと――?」
続いてアキの目も鋭くなる。
「桜咲舞桜、そして佐々木峻佑――前々から計画してただろ、このシチュエーションを」
そう――わざと野菜を運ぶ段階で、ネギだけ畑に残しておき、舞桜がハルとアキの手が空くのを見計らって声をかける。素直な二人は、良心で野菜を取りに行く……そして、帰ってきたところを写真におさめ、からかいの材料にする。
舞桜と峻佑の口が、にぃっと笑った。
「「そ・の・と・お・り!」」
「ふっざけんな――――っ!」
それからが大変だった。突如台所で、賀茂双子vs舞桜と峻佑のバトルが開始されたからだ。
ハルとアキが持っているネギを二人に投げつける。
峻祐と舞桜は、笑いながらそれを避ける。
挑発された双子は、近くにあったほかの野菜も投げつける。
舞桜が、空っぽの鍋を盾代わりに使う。
「ほーらほーら、カモネギく―ん」
華白が見ていないのをいいことに、さらに双子をあおる舞桜。
念のため言っておくが、彼は高校生である。
それにブチ切れ、あろうことか御札を取り出すハル。
『和歌呪法・ひさかたの』
「おいおい、それはルール違反だろ。カモネギくん」
また挑発するのは、峻祐。
これも念のため述べておくが、彼は大学三年生。とっくに成人している、立派な大人である。
「俺らを怒らせたお前らが悪い」
ハルの生み出す淡い光の玉が、舞桜の持っている鍋へと向かう。
バギャンッ。
鈍い音がして、鍋の底に穴が開く。
「うおっ、あぶねえ」
「こっちも負けてらんないね。『和歌呪法・秋の田の』」
峻祐の橙色と、ハルの黄色がまじりあい爆発する。
あっという間に、桜咲家の台所は戦闘の舞台へと化した。
「くらえっ!ほうれん草」
「えー、ネギじゃなくていいの—?」
「うるっせえ、馬鹿舞桜!そこで玉ねぎの皮でも食ってろ」
『和歌呪法・白露に』
「ぎゃああああ!お玉が曲がったあああ」
そこら中に散らばる野菜たち。無残にもちぎれた菜っ葉が、和歌呪法の犠牲となる。
肝心の鍋は、「なーべー なーべー そーこぬけ」と歌いたくなるような状況だし、おまけにお玉や包丁も、和歌の持つ多大なエネルギーによってひしゃげている。
これは、もうバカの集団としか、言えない。
和歌呪法の無駄遣い。
食品ロスの顕著な現場。
すべてにおいて、社会的マイナス面しか持ち合わせていない今の状況を打破するには……
そこで行動を起こしたのは、賢い女性陰陽師二人。
赤髪の彼女と、緑色の目をした彼女は、マリアナ海溝よりも深いため息をつきながら、廊下に顔をのぞかせた。そして、ありったけの声で叫ぶ。
「華白さーーん!助けてくださーーーい!」
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