暁紅の戦姫

ながやん

第1話「敗北から浮上せしもの」

 最果ての彼方かなた、宇宙の底。

 無限に広がるかに思われた星海そらの最下層には、エーテルを満たした無慈悲な大洋が広がっている。名は、晦冥洋かいめいよう……平和を知らぬ砲火と戦乱の海である。

 そして今、一つの戦いが終わろうとしていた。


「総員退艦、ヨシ! ……ふう、ここまでかあ」


 乙女は一人、がらんとしてしまった艦橋ブリッジで溜息を零す。

 まだまだ少女のあどけなさを残す美貌は、絶望と逆境の中で苦笑を浮かべていた。やれやれと短く切りそろえた髪をかき上げる。

 名は、サレナ・クライン。飛び級で軍に入った18歳だ。

 彼女の指揮した軍艦は今、迫る敵の大軍を前に孤立しつつあった。脱出した部下たちは今、救命カプセルでエーテルの波濤に揺られていた。


「……ううん、ここからだぞ、サレナ・クライン。最後の大仕事、しっかりしなきゃ!」


 友軍は今、総崩れで撤退し始めている。

 若いサレナが見ても、その足並みは乱れて慌ただしかった。

 そして、自分の役目もおのずと知れる。

 故国へと逃げ帰る艦隊とは真逆に、敵へ向かって単艦で突撃……殿しんがりとして友軍を支援する決死行が始まるのだ。

 サレナが艦長を務める艦は、彼女自身が舵輪だりんを握って動き出す。

 残存する周囲の艦からの通信が、正面モニターに小さなウィンドウを無数に咲かせた。そのどれもが、敬礼で見送ってくれる。答礼でサレナも、精一杯の微笑みを浮かべた。


「全兵装オンライン、オート射撃、ヨシ……ヴァルツールスリー吶喊とっかんします!」


 徐々に加速する乗艦が、救助活動中の友軍から離れてゆく。

 瞬時にサレナはレーダーと海図チャートを横目で確認し、遅滞戦闘で稼ぐべき時間を割り出す。そうして頭脳をフル回転させていれば、死の恐怖から少し遠ざかれた。

 サレナが導き出した、全軍撤退完了までに必要な時間は……2時間。

 それが必死で戦い死ぬまでのタイムリミットだった。


「あれ? 背後に熱源反応……? 後追いの艦が来る? 駄目だよ、逃げて!」


 単独で突出するヴァルツールⅢの背後に、なにかが近付いてきた。それも、大きい。そして、姿

 味方がいた方向からなので、魚雷のたぐいではない。

 そうサレナが判断した時、初めてその存在が水中から浮かび上がってくるのだと理解した。エーテルで満ちた晦冥洋は、一切の生命を許さぬ死の海……そこから、巨大な影が浮上する。

 ヴァルツールⅢの至近、すぐ隣に高々と巨塔が屹立きつりつした。

 それは海を両断するように倒れて、横に一隻のふねとなり並んだ。


『お邪魔いたしますわ、勇敢な艦長さん。聴こえてて?』


 絶望の戦場に不似合いな、とても優雅な声音だった。

 まるで歌うように、その少女は言葉を続ける。

 そう、サレナと歳もそう変わらない女の子がメインモニターに大映しになった。その姿を見て、思わずサレナは驚きに叫ぶ。


「えっ……エクセリアーデ殿下!? 暁紅ぎょうこうの、戦姫せんき

『ふふ、わたくしを御存知ごぞんじのようね。大変結構けっこう


 ――暁紅の戦姫、エクセリアーデ・ノイ・ル・メルクリオール。

 サレナたちアルス皇国の生ける伝説である。皇家の姫君にして無敵の提督ていとく、エクセリアーデ……その異名を知らぬ軍人などこの晦冥洋には存在しない。

 国民的な大スター、皇国軍のカリスマだ。

 真っ白な髪に真っ白な肌、そして黒く燃える大きな瞳。見目麗しく可憐な姿は、とても自分と同じ人間とは思えぬ神秘に満ちていた。白い軍服でさえ、ドレスのように彼女を飾っている。


『驚かせてしまったわね。この子は潜洋艦せんようかんノルヴィーユ……御存知なくて当然ですわ。エーテルの海を潜って進む、全く新しい艦種なんですもの』

「は、はあ。えっと、その、殿下」

『そういう訳です、さあ……こちらの艦に移乗なさって』


 そういう訳とは、どういう訳だ?

 だが、楚々そそとした声色が奏でる言葉は強い。有無を言わさぬ響きがあって、サレナは気圧けおされた。そう、まるで命令されているようだった。


「で、ですが殿下、わたしは……」

『あら、わたくしのお誘いを断るのかしら? いけなくてよ』

「友軍の撤退を援護するため、どうしても時間を稼ぐ必要があって」

『それでしたら問題ありませんわ。このデータをお使いなさいな』


 不意に、潜洋艦とかいうのっぺりとした艦からデータが送信されてきた。

 それは、自動航行プログラムのようだった。


『そのプログラムは今、わたくしが組みましたの。セットなさって?』

「あ、あっ、はい」

『その上で貴女あなたはこちらへ。艦長が我が子と命運を共にするなど、律儀に守られるべき風習ではありませんもの』


 敵味方を問わず、古くから軍には「艦長は最後まで乗艦と共に生きて死ぬべし」という不文律がある。だが、それをあっさりとエクセリアーデは否定してみせた。

 驚きに混乱しながらも、サレナは送信されたデータをヴァルツールⅢへとインプットする。そして、そっと舵輪を手放した。


「い、いいのかな」

『ええ、よくてよ。わたくしが許します。さ、急ぎなさいな』

「は、はいっ!」


 完全に無人で今、攻逐艦こうちくかんヴァルツールⅢが微動に震える。

 すぐにサレナは、脱出のために駆け出した。そして、一度だけ振り返って身を正す。長らく苦楽を共にした、というには短い月日だった。だが、間違いなくこの艦はサレナが初めて指揮した軍艦であり、我が家だった。

 いい艦だったと思う。

 感謝を込めて敬礼を送り、サレナは惜別に目を潤ませながら走った。


『第七ゲートを解放、接続完了ですわ。さ、いていらっしゃいな、かわいい艦長さん』


 サレナは走った。

 軍艦とは思えぬほどに開放的なフロアを次々と突き抜けて、そして窓の外に見る。潜洋艦と呼ばれる未知の艦は、白く流線型りゅうせんけい。砲塔も対空火器もなく、唯一突き出た艦橋かんきょうさえもシンプルなものだった。

 そして、艦橋の上に人影が現れた。

 宇宙服を着た小柄な姿が、遠目にもはっきりと存在感を突きつけてくる。

 こちらの視線に気付いたその人物は、先程の通信のエクセリアーデだった。

 こうしてサレナは、死へと投げ出した命を暁紅の戦姫に拾われたのだった。

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