闇の帝王
Unknown
第1話 闇の帝王、覚醒の時
新しい朝が来た。絶望の朝だ。
鉛色の空はどこまでも続く絶望や孤独に似ている。
朝の通勤・通学の時間帯、意味も無くスーツに身を包んだ俺(24)は高崎駅西口のペデストリアンデッキで死んだ目で喫煙していた。銘柄はピースだった。“闇の帝王”である俺が“平和”という名前のタバコを吸うなんて、とんだ皮肉である……。
ピースの煙を吐き出す。煙は空に向かって伸びていくが、宇宙までは届かずに霧散する。老若男女、様々な人がマスクをして無気力そうな顔で駅を歩いている。
俺は彼ら彼女らを死んだ目で睥睨し、紫煙を吐きながら独り言を呟いた。
「通勤、通学。……全く愚鈍な奴らだ。自分が世間という名の檻に囚われているとも知らずに呑気に歩いてやがる……」
今朝、俺が駅に来たのは、理由があった。“漆黒の予言書”によると、1ヶ月後に世界は滅びるとされているのだ。天界から方舟に乗って現れた“使徒”と呼ばれる生命体によって、世界は一瞬にして滅ぼされる。日本もまた例外ではない。
愚かな人間達は知らない。世界がもうすぐ滅亡することを。漆黒の予言書は闇の帝王を含めた、闇の世界の住人にしか閲覧が許可されていない。
地球がもうすぐ滅亡するから、最期の記念に人間達の顔でも見ておくかと思い、俺は早朝の高崎駅にスーツ着用の上で現れたのである。
ただ、少なくとも日本が滅亡することはないだろう。使徒の攻撃から俺が地球を守るからだ。と言うのも、闇の帝王の最終目標は世界征服。俺が支配するはずの地球を、使徒とかいう訳分からない奴らに支配されるのは癪に触る。何処の馬の骨とも分からない奴らに滅ぼされるためにはいかない。故に、一時的に地球を守ることにはなるが、その先に俺が見据えるのは、ただ一つ、世界征服である。
曇天に向かってタバコの煙を吐き出しながら、俺は高校時代を想起した。闇の帝王である俺にも青春時代は存在した。
この間、高校時代の野球部の友達数人と久しぶりに集まって、居酒屋で酒を飲んだ。
その際、今の俺の職業を聞かれたが、
「俺? 俺は今、闇の帝王で、世界征服を目指してるよ笑」
なんて言えるはずもなかったので、カラオケ店員をやっていると適当な嘘をついた。
その場で友人から聞いたことだが、俺が野球部時代に1番仲が良かったFという友人が、今現在は、うつ病を患っていて精神病院に入院しているらしい。
24歳になったFは、もう笑えなくなってしまった。一緒にはしゃぎまくったFが笑わなくなってしまったのは誰のせいだろう。分からない。きっと誰のせいでもない。この腐り果てたクソみたいな世界のせいだ。
俺がこの腐った世界を滅ぼして、世界を再構成するから、そしたらまた昔みたいに一緒に笑おうぜ。俺がこの世界をなんとかしてやる。
俺(24)は人に言えない仕事をしている。闇の帝王という仕事柄、今まで人を何人も殺してきたし、テロや戦争も何度か引き起こしてきた。時折、部屋に1人でいると、勝手に涙が出てくる。正直、こんな仕事はもうやめてしまいたい。1人でいると、最近よく涙が出てくる。それでも俺は人前で涙を見せたことは一度も無かった。帝王である俺は、常に強くなければいけない。闇の帝王は人前で弱さを見せてはいけないのだ。泣くんだったら、自分の部屋か、深夜の誰もいない公園だけだ。
人を殺してまで、俺がこの仕事を続ける理由は、ひとつだけだった。この腐った世界を滅ぼして、新しい世界を作ること。痛みや悲しみや争いの無い優しい世界を作ること。
笑うことができなくなったのはFだけではない。俺だってもう笑えない。出てくるのは無感情な涙だけ。
先日、ドトールに入ったら、スーツを着た男が「むかつくむかつくむかつく!」と頭を掻きむしりながら泣いていた。夜の高崎駅構内では、裸足の若い女が乱れた服装で人目も憚らず座り込んで大泣きしていた。この世には悲しみが溢れている。俺がなんとかしないといけない。
俺はタバコを限界の短さまで吸って、吸い殻入れの中に捨てた。そして、人混みの中を歩いて無表情でアパートに帰宅した。
◆
そもそも俺がどのような経緯で、いつ闇の帝王になったのかを語る。
俺が闇の帝王になったのは今から4年前。20歳の時だった。
俺は当時とてもあっさり闇の帝王になることを決めた。当時付き合っていた立石愛莉という彼女が勤めていた会社を滅ぼすために闇の帝王に就職したのである。愛莉は俺が看護学校で知り合った同い年の女性だったが、俺も愛莉も看護学校をすぐ中退していた。
当時、愛莉は俺のワンルームの狭いアパートに泊まりに来ていた。深夜2時ごろ、「帰ってきたヒトラー」とかいうドイツ映画を2人で見ていた。そんな中、愛莉は部屋でタバコを吸いながら、
「明日の仕事めんどくせー。会社滅亡しないかな」
と呟いた。
それを聞いた俺は、愛莉の会社を滅ぼそうと思い、すぐに行動に移した。
「俺、酒買いにコンビニ行ってくるわ」
と嘘を言って、立ち上がった。すると愛莉は、
「あ、私にも買ってきて。適当な缶チューハイでいい」
と言ったので、
「わかった」
と返した。俺はこっそりバタフライナイフを持ち出し、ポケットにしまい、財布を持って外に出た。
そのまま歩いて俺は近所のスーパーに向かった。そこの広い駐車場で俺は手首を切り、スマホの懐中電灯で照らしながら、自分の血でアスファルトに「うんこ」と書いた。すると、突然赤い稲妻のような閃光が走って、直後、スーツを着た30代くらいの中肉中背の男性が現れたのである。
男は無機質な声でこう言った。
「邪神である我輩を呼んだのは、貴様か……?」
「はい、俺です」
「なぜ我輩を呼んだ?」
「闇の帝王に就職したいと思ったので呼びました。邪神の呼び方はネットで調べました」
「ほう、珍しいな。今どき闇の帝王になりたいだなんて。貴様、名前は?」
「佐藤です。佐藤優雅」
「佐藤か。我輩は前田だ」
「よろしくお願いします。前田さん」
「貴様、年齢は?」
「20です」
「20か、若いな」
「はい」
「では、簡素ではあるが面接をしよう。だがスーパーの駐車場は面接会場として相応しくないな。どこかいい場所あるか?」
「じゃあ俺のアパートでもいいですか」
「いいだろう。じゃあ貴様のアパートで面接を行い、貴様が闇の帝王に相応しい人格・資質であるかを我輩が厳正に見極める。一応面接だからスーツは着ろよ」
「はい」
俺たちは、アパートに向かって並んで歩きはじめた。街を歩いていると、やがて、酔い潰れて1人で歩道に寝ている若い女と遭遇した。その女の前で立ち止まって、邪神が言う。
「若い女が酔い潰れて道端で寝ている。こんな時、“闇の帝王として”お前がやるべきことは何だと思う?」
「風邪引くかもしれないから、布団を掛ける」
「貴様アホか? レ●●に決まってるだろうが」
「いや。闇の帝王って言っても、そんな酷いこと出来ないです」
「出来なくてもやるんだ。貴様、闇の帝王をなんだと思ってんだ? 闇の帝王になりたいんだったら、倫理観や道徳なんて捨てろ。人の心なんて捨てろ。道端で寝てる女を平然と犯せるくらいじゃないと、闇の帝王は務まらない。闇の帝王の離職率の高さを知ってるか? 1年以上勤められる奴は、全体の1割もいないんだ」
「それでも俺は出来ない。俺の信念に反します」
「そうか。じゃあ貴様の言う通り、布団かけてやるか」
邪神は無表情でそう言って、何も無い空間から毛布と掛け布団を取り出した。それらは空中をふわふわ浮遊し、寝ている女の真上に来たところで、ゆっくり落ちた。これで女が風邪を引くことはないだろう。
俺と邪神は再び歩き始める。
「佐藤。貴様みたいに人としての優しさが残ってる奴には、闇の帝王は務まらない。我輩は今まで数々の帝王を見てきた。当然、向き不向きがある。きっとお前には務まらない」
「いや、務まると思います。俺はこの世界のことが大嫌いだから」
「そうか。ところで貴様、在職中か?」
「今は工場で働いてます。闇の帝王に就職が決まり次第、退職します」
「ちなみに何の工場だ?」
「鉄工所です。溶接してます」
「なるほど。溶接ってあれか? 仮面かぶって、ジーってやるやつか?」
「そうです」
「そうか。学生時代、何か部活はしてたか?」
「高校まで野球やってました」
「野球か。いいね。闇の帝王は体育会系的な側面あるから、野球部は闇の帝王に向いてる。ちなみに我輩も大学まで野球やってたよ」
「そうなんですか。大学までやってたってことは相当上手いですよね」
「いや、下手だよ。我輩の大学クソ弱かったし」
「そういえば、俺の友達が拓殖大学の野球部に入ったんですけど、3日くらいで絶望して辞めてました。もうレベルが全然違うって言って」
「そうか。拓殖は東都リーグだからレベル高いだろうな。貴様、好きな球団とかある?」
「俺は西武ライオンズが好きです。群馬から埼玉は1番近いし。小さい頃はよく父親と2人で西武ドーム行ってました」
それが父との1番の思い出かもしれない。もう死んじゃったけど。たまに父の夢を見る時、俺と父はいつも西武ドームでプロ野球の試合を見ている。隣に座る父が笑顔で俺に「将来は優雅もプロ野球選手になれるといいな」と言う。夢の中の俺は、プロ野球選手なんて絶対無理だと思いながらも笑顔で「うん。頑張る」と答えているのだ。プロ野球選手は、俺の小さい頃からの夢だった。
「西武か。我輩は地元が横浜だから、横浜ベイスターズが子供の頃から好きだ。ちなみに今も横浜に住んでる」
「横浜から群馬まで、どうやって来たんですか?」
「空間転移魔術だ。闇の世界の住人になると、黒魔術が使えるようになる。横浜から高崎なら、4秒くらいで着く」
「へえ、めっちゃ便利ですね」
「ああ。闇の帝王になれば貴様も使えるようになる。多少の訓練は必要だがな」
邪神の前田と話しながらアパートに向かって歩いていると、やがてコンビニが見えてきた。愛莉に「私にも酒買ってきて」と言われたことを俺は思い出した。
「ちょっとコンビニ寄ってもいいですか?」
「いいよ」
俺はコンビニに入った。俺はまず、便所に入って、腕から流れる血を綺麗に拭き取って、止血した。その後、俺は適当にストロング系の缶チューハイを適当に3本選んで、購入した。
コンビニから出ると、邪神はコンビニの灰皿の前でタバコを吸っていた。俺の姿を見ると、タバコの火を消した。
俺と邪神は、アパートに向かって再び歩を進める。
数分歩いていると到着したが、そこで俺は思った。面接の会場を俺のアパートに指定してしまったが、そうすると俺が闇の帝王に転職しようとしてることが愛莉にバレてしまう。まあ、どっちにしろそのうちバレるだろうから、別にいいか。
2階建てのボロいワンルームのアパートで、俺の部屋は2階の角部屋だった。
階段を登り、部屋のドアを開け、邪神を部屋に招き入れた。すると、当然愛莉はめちゃくちゃ驚いた。
「えっ、誰?」
すると、邪神が俺に向かって小声で言う。
「貴様、一人暮らしじゃなかったのか」
「今日はたまたま彼女が泊まりに来てます」
「彼女は知ってるのか? 貴様が闇の帝王に転職すること」
「彼女には全く教えてません」
「お前それはだめだろ。カタギの仕事ならともかく、闇の帝王っていう裏社会の仕事に転職するなら、ちゃんと彼女と相談してから決めろ。お前だけで決めるな。我輩は外で待ってるから、ちゃんと2人で話し合え。そして方向性が決まったら我輩を呼びに来い。待ってるから」
「わかりました。すいません」
そして、邪神は外に出ていった。
俺は部屋に入り、愛莉のところに近づいた。そして酒の入ったビニール袋をテーブルの真ん中に置いた。
そして愛莉は焦った様子で言う。
「ねえ、今のスーツの人誰?」
「俺が呼んだ邪神。別に悪い人じゃないよ」
「なんで邪神なんて呼んだん?」
「……いきなりごめん。俺、闇の帝王になろうと思って」
「闇の帝王? どうして?」
「さっき愛莉が会社滅亡しないかなって言ったから、俺が闇の力で物理的に滅亡させようと思って」
「確かに言ったけど、別に私、本気で言ったわけじゃないよ」
「でも会社滅亡してほしいんだろ?」
「うん。でも、ほんとに滅亡したら色んな人が困る。家族を養ってる社員だって何人もいるんだよ」
「そんなの関係ない。他人の迷惑なんてどうでもいい。極論、世界がどうなったっていい。愛莉が苦しんでるんだから、会社は滅ぼさないといけない。跡形も無く破壊しなきゃいけない。悪は滅ぼさなきゃいけない」
「別に滅ぼさなくていいよ。気持ちは嬉しいけど、なんか優しさがかなりズレてる。わざわざ破壊する必要ある? 私が転職すればいいだけじゃん」
「でも転職するより破壊した方が絶対気持ちいいじゃん。めっちゃスッキリするって。想像してみて。朝、当たり前のように出社したら会社ごと無くなってて、社員みんなパニックになってたら内心めっちゃ楽しくね?」
「そうだけど……」
「俺、知ってるんだ。愛莉が俺に隠れて精神科に通ってることも、夜中、寝てる俺の横で泣いてたことも、職場で孤立してることも、職場でパワハラに遭って病んでることも、たまに手首切ってることも、遺書書いてあることも、自殺しようとしてることも、体重がどんどん減ってることも、この世界を恨んでることも、俺の前では無理して明るく振る舞ってることも、全部知ってる」
「なんで知ってるの?」
「俺が1番愛莉のそばにいるから愛莉のことは何でも知ってる。精神科に通ってることは、愛莉の妹が教えてくれた」
「そっか」
「愛莉が自殺する必要なんて無い。悪いのはこの世界だから。愛莉は何も悪くない。会社は俺が滅ぼす。愛莉は俺が養う。だからもう無理しなくていいよ」
「ありがとう。でも、私は優雅が闇の帝王になるのは絶対やだ。闇の帝王になるってことがどういう意味か分かってる? 犯罪者になるってことだよ? 私は、優雅は“普通に”幸せになってほしい。犯罪者にはなってほしくない」
「普通の幸せなんて俺はいらない。俺の幸せは俺が決める。愛莉が幸せに生きてくれることが俺の幸せなんだ。それに、俺はこの世界が嫌いだった。愛莉みたいな優しい奴ばかりが傷付いて、ずるい奴ばかりが上に行く。この世界の仕組みが好きになれない。俺は闇の帝王になるよ。闇の帝王になって、この世界を作り直す。もう愛莉は泣かないでほしい。俺は愛莉の役に立ちたい。俺がズレてることは自覚してる。俺の頭がぶっ壊れてることも自覚してる。でも俺は俺のまま生きたいんだ。だからごめん。普通の人が求める普通の幸せなんて俺はいらない。愛莉の言うことは聞けない」
「どうしても闇の帝王になるの? 私がどんなにならないでって言っても」
「うん」
「本当に? 本当にどうしても闇の帝王になるの?」
「なる。俺の意見は絶対変わらない」
無表情で言い放つ。
すると、愛莉は少し俯いて、悲しそうな目をして、強い口調でこう言った。
「じゃあいいよ。勝手になれば? 泊まってくつもりだったけど帰る。じゃあね」
「え」
俺が思考停止して突っ立っていると、愛莉はさっさと荷物をまとめて、足早に玄関まで行った。俺は歩いて愛莉を追いかける。
そして靴を履いた愛莉は俺の目を見て、鋭利な口調で言った。
「私たちもう2度と会わないかもね。やっぱり優雅、頭おかしいよ。いくら自分の心が空っぽだからって、生きる理由まで私に押し付けないで。自分の価値まで私に預けないで」
「……」
「優雅は、心が空っぽなんだよ。自分がどこにもいないんだよ。人として壊れちゃってるんだよ。優雅自身もわかってると思うけど」
「うん。わかってる。でも、だから、どう生きればいいかわからないんだ。愛莉のために生きたいんだ。自分のことがどうしても好きになれないから。生きる意味が見出せないから」
「優雅は、今まで私が頼んだら何でもしてくれたね」
「うん。何でもする」
「じゃあ優雅は、もし私が死ねって言ったら死ぬの?」
「うん。死ぬ」
「じゃあ、私と別れて。生きてほしいから」
「……うん、わかった」
「今までありがとう。たのしかったよ」
直後、勢いよくアパートの扉が閉められて、愛莉は消えた。
俺はその場に立ち尽くす。
何もない、がらんどうの部屋になってしまった。俺は、愛莉とはこれで全て終わりなのだと悟った。18の時から20の今日までずっと付き合ってたのに、別れる時は一瞬だ。
無音の部屋の中に、映画の声だけが虚しく響く。
俺は愛莉を失ってしまった。それと同時に、生きる理由も失った。
部屋は、その人の心を映す鏡だそうだ。俺の部屋には余計な物がほとんど置かれていない。空っぽの部屋だ。
テーブルの上にはさっき買ってきた酒の袋。そして、愛莉が忘れていったタバコの箱。ハイライトという銘柄のタバコだった。
俺はゆっくりテーブルに近付いて、さっきまで愛莉が座っていた場所にあぐらをかいて座って、ハイライトに火をつけて、無表情で吸い始めた。
とても悲しい味がした。
◆
俺が部屋から出て、無表情で階段を下ると、アパート横の街灯の下に邪神は立っていた。邪神もまた無表情だった。
「早かったな。話し合いは終わったか」
「はい」
「さっき、お前の彼女が泣きながらここを通り過ぎていったよ」
「え、泣いてたんですか?」
「ああ。泣いてた」
「そうですか……」
夜風が刃物みたいに痛く感じる。
俺が黙り込むと、邪神は言った。
「で、どうする。闇の帝王になるのか?」
「はい。なります」
「そうか。そう言えばまだ聞いてなかったな。闇の帝王に志望する動機はなんだ?」
「俺の彼女が働いてる会社を、闇の力で全て破壊したいからです」
「……え、それだけ?」
「それだけです」
「それだけだと、動機としては弱いな」
俺は咄嗟にもう一つ、志望動機を考えた。
「あと、世界征服をして、世界を再構成したいです。この世界は終わってるので、もう一度作り直す必要性があると思い、御社を志願いたしました」
「そうか。弊社の最終目標も世界征服だ。お前、頑張れるか?」
「はい、頑張ります」
「じゃあ採用するわ」
「え、面接は?」
「面接はもうこれで終わりだ。闇の帝王は人材不足だからな。すぐにでも人材が欲しかった。それに、面接なんて必要ない。見れば分かるよ。お前は彼女の反対を押し切ってまで闇の帝王になろうとしたんだろ。その強い気持ちと意志が我輩にも伝わったよ。お前は、即採用だ」
「ありがとうございます……」
「なんだ。採用決まったのにあんまり嬉しそうじゃないな」
「彼女に振られちゃったので……」
「そうか。ならしょうがないな。でも、お前は見所がある男だよ。我輩が断言してやる」
邪神は、笑顔でそう言った。
邪神の笑顔につられて俺も少しだけ笑った。見どころがあると褒められて嬉しかった。
「じゃあ、お前の部屋の中で今後のことについて色々話そうか」
「はい」
俺と邪神がアパートの階段を上がっている最中、邪神が言った。
「ちなみに、邪神の仕事というのは、全国各地の闇の帝王を統括することだ。簡単に言えばお前にとって我輩は直属の上司ってことになる。基本的には、闇の帝王は邪神からの指示に従い、行動することになる」
「邪神って前田さん1人しかいないんですか?」
「いや、我輩だけじゃない。邪神は全国に何十人もいて、その中から担当を振り分けるシステムになってるんだが、お前に関しては我輩が管轄する。お前、素直で扱いやすそうだからな」
「扱いやすいかどうかは、わかりません」
「いや、扱いやすいよ。闇の帝王っていうのは、性格が捻くれてて自己中心的で反抗的な奴ばかりなんだよ。仕事柄、とんでもない奴らしかいない。でもお前は一般常識もありそうだし、まともな奴だ。今日会ったのも何かの縁だしな。お前は我輩の管理下に置きたい。上には言っておく」
「あの、会った時から思ってたんですけど、その“我輩”っていうのは……」
「ああ、これは邪神のマニュアルにあるんだよ。邪神は必ず自分のことを我輩って呼べっていうマニュアルがな。我輩だってプライベートでは普通に俺を使う」
「あ、そうなんですか」
「でも我輩が染み込みすぎて、プライベートでもついつい我輩って言っちゃう。コンパとか行った時、女の子の前で『そういえば我輩もさぁ』とか言っちゃって(あっ、やべえ)ってなるよ。職業病だな」
「あの、闇の帝王も自分のこと我輩って言った方がいいですか?」
「いや、闇の帝王は俺のままでいい。マニュアルにないからな」
俺はホッとした。
自分のこと我輩とか絶対呼びたくない。
◆
俺の部屋の四角いテーブルに向かい合う形になって俺と邪神は座っていた。
俺はテレビを消して、環境音をゼロにし、邪神の話を聞いていた。
「基本、闇の帝王は在宅勤務だ。オフィスは無い。仕事が入った時は、担当の邪神から闇の帝王にメールで送られる。つまり我輩からお前に逐一メールする。その指示の元、動いてほしい」
「はい」
「仕事は不定期で、毎日あるわけじゃない。月に10回仕事が入る場合もあれば、月に1度も無い場合もある。その場合でも、給料は固定で支払う。ちなみに歩合制じゃなくて給料制だ。仕事があろうがなかろうが、毎月50万を月末に支払う」
「え、そんなにもらっていいんですか?」
「普通に人を殺したりするからな。むしろ安いくらいだ」
今の鉄工所での月収よりだいぶ高い。今の俺の手取りは19万くらいだ。やっぱり“帝王”って言うだけあって給料が高い。
「ちなみに我が社の福利厚生や待遇面はチンカスだ。交通費は一切支払わないし、保険にも一切加入していない。裏社会の仕事だからな。もちろんボーナスも支給しない」
「あの、税金とかってどうしてるんですか?」
「脱税している。一切払っていない」
「なるほど」
「今から闇の契約をする。ちょっと左腕を貸せ」
「契約?」
「黒魔術を使えるようになるための契約だ。闇の帝王や邪神といった闇の世界の人間は全員黒魔術を扱うことが出来るが、そのためには契約が必要だ。全員が最初にこの契約をしている」
「具体的にはどういう契約なんですか」
「腕に黒い紋章を入れる。簡単に言えばタトゥーだな」
「タトゥー入れたら温泉に入れなくなる……」
「温泉なんてどうでもいいだろ。第一温泉の何がいいんだ。あんなのただのお湯だろうが。我輩は混浴以外好きじゃない。もっとも、混浴もババアしかいないけどな」
「前、俺が愛莉と行った混浴の温泉は若い女の人結構いました」
「それはお前の運が良かっただけだ。基本的には混浴にはジジイとババアしかいない。分かったか」
「はい」
「とりあえず左腕出せ」
俺は左腕を邪神に差し出した。
すると、邪神は神妙な面持ちで俺の目を見てこう言った。
「1回彫ると、2度と消すことはできない。魔力が込められてるから、仮に刺青除去の手術を受けたとしても消えない。死ぬまで永遠に消えない。つまり契約を結べば、お前は2度と表の世界には戻って来れない。それでもいいか?」
その瞬間、愛莉の悲しそうな顔が浮かんだ。でも、愛莉のために仕方なかったんだ。許してくれ。
俺はほんの数秒だけ逡巡して、
「それでもいいです」
と言った。
すると邪神は、手のひらを広げて、俺の左腕に向かって黒い稲妻のようなものを放った。不思議と痛みは一切なかった。
「終わったよ。これでお前も立派な闇の帝王だ」
契約は一瞬で終わった。左腕を見ると、肩口から手首まで、腕一帯に黒いタトゥーが彫られていた。もう2度と人前でシャツを着ることはできない。
俺がぼーっと左腕を眺めていると、やがて邪神は何もない空間から、何枚かパンフレットのような紙を取り出して、俺の前に置いた。
「我が社に関する詳しいことや、闇の帝王のマニュアルはそのパンフレットに書いてある。あとで読んでおいてくれ」
「はい」
と言った直後、勢いよく俺の部屋のドアが開かれた。
俺と邪神が視線をやると、そこには愛莉が肩で呼吸しながら立っていた。俺は自分の目を疑った。
「やっぱり闇の帝王になっちゃだめ!」
甲高くそう言って、愛莉は靴を脱いで俺の所に近づいてきて、俺のすぐ横に座った。
俺は、愛莉に左腕を見せて言う。
「ごめん、今ちょうど帝王になっちゃった」
すると、愛莉は泣きそうな顔になって、
「そっか……」
と呟いた。
「ごめん愛莉。でもこうするしかなかったんだ。俺には力が必要だったんだ。俺が愛莉の会社を滅亡させる。愛莉は自分の手を汚す必要なんて無い。俺が全部ぶっ壊してやる」
「……」
それからしばらく沈黙が続いた後、愛莉は毅然とした表情で、予想外の言葉を邪神に向かって言い放った。
「あの。すいません。今って闇の女帝は募集してますか?」
「ああ。急募だ。ちょうど最近、2人も同時に産休に入ってしまってな。人材が不足してたところだ」
「じゃあ私を雇ってください。私を闇の女帝にしてください」
「彼氏が闇の帝王になるから、自分も闇の女帝になると、そういうわけか」
「はい、そうです」
「そんな軽い志望動機でやっていけるのか?」
「はい。やっていけます。私メンヘラだから闇の仕事に向いてると思います」
俺は思わず、口を挟んだ。
「おい、やめろって。愛莉まで闇の世界に堕ちることない。愛莉は普通に幸せに生きてくれよ」
「私、思ったんだ。優雅が闇の世界に堕ちるんだったら、私も一緒に堕ちた方がいい。彼女だったらそうするべきだと思った」
「でも……」
俺が言い淀んでいると、邪神が俺に向かって言った。
「おい佐藤、お前いい彼女を持ったな。お前が闇に堕ちても運命を共にしてくれるなんて。こんな子なかなかいないぞ。彼女に感謝しろ」
「……」
俺はどうするのが最善なんだ? 愛莉の意志を尊重すべきなのか、愛莉を止めるべきなのか。
やがて、邪神は愛莉の目を見て真剣な顔で言った。
「厳しいことを言うようだが、はっきり言って、弊社の女性社員は全て顔採用だ。2人の入社希望者がいた場合、学歴や能力問わず、顔が可愛い方を採用するシステムになっている。残酷かもしれないが、これが弊社の現実なのだ」
「私あまり顔に自信ないんですけどかわいいですか? 私の顔」
「めっちゃかわいい。はっきり言って我輩のタイプだ。お前は速攻で採用だ。面接も履歴書もいらない」
「ありがとうございます」
「お前、名前は?」
「愛莉です。立石愛莉」
「年齢は?」
「20です」
「おい、お前本当に20か? 本当は17なのに20ですって嘘ついてないか? 最近そういうトラップまじで多いからな」
「ほんとに20です」
「そうか。ありがとう。立石が20でよかった。あのさあ、我輩に個人的にライン教えてよ。2人で遊びたい。お前とやりたい」
「え、やだ」
そこで俺は明らかな邪神の下心に気付いたので、邪神に言った。
「おいてめえ、なに俺の目の前で俺の彼女取ろうとしてんだ。執拗に未成年か成人か確認しやがって!」
「確認するだろうが! だって我輩は今までそれで失敗してきてるんだからな!」
「なら言ってみろよ! お前が具体的にどんな失敗をしたのかを!」
「……そう、あれはもう10年も前のこと。うだるような暑い夏だった。大学を卒業し、新卒で大手外資系企業に就職した我輩は、あまりの仕事の忙しさと、人間関係のストレスに苦しんでいた。仕事も人間関係も上手くいかず、全てがどうでもよくなっていたんだ。自殺の2文字すら脳裏によぎったよ。そんな時だった。ほんの少し魔がさして、我輩は援助交際に手を出した。もうどうにでもなれと思った。その時に何度もやった女が、21歳と言っていたが実は17だった。何ヶ月も経ってから、我輩の家に警察が2人やって来て、我輩はそのまま捕まった。我輩は全てを失ったよ。仕事はクビになり、大学時代から付き合っていて結婚を視野に入れていた彼女からは振られ、友人や家族からの信用は失い、全てを失ったんだ。そして孤独になった我輩は自暴自棄になり、闇の世界へと足を踏み入れた。そうして我輩は邪神に就職したのだ。わかるか佐藤。人間は失敗を犯す生き物だ。どんな人間にだって失敗はある。完璧な人間なんてこの世に1人もいない。みんな失敗するんだ。失敗して倒れ込んで、そこから立ち上がれるか立ち上がれないかで、その人間の価値は決まるんだよ。我輩は失敗を何度も何度も繰り返して、そのたびに立ち上がって強くなれたような気がする。そんな我輩ももう33歳。そろそろ結婚したいなと考えている。付き合って3年になる彼女もいるしな」
「今もやってるんですか? 援交」
「やってない。パパ活はやってるけどな」
「やってるじゃないですか。援交もパパ活もほぼ同じですよ。しかも彼女もいるのに何やってるんですか」
「この際だからはっきりと断言しよう。我輩は今でも3人の未成年と同時に肉体関係を持っている。未成年は最高だよ」
「だめだ愛莉、考え直せ。闇の女帝になったら、この男が愛莉の上司になるんだよ。俺はそんなの絶対嫌だ。闇の女帝になんてならないでくれ」
俺が愛莉にそう嘆願すると、愛莉はテーブルの真ん中のコンビニ袋からグレープ味の缶チューハイをゆっくり取り出して、プシ! と開けて、呑気に飲み始めた。そして、タバコ(ハイライト)に火をつけ、煙を吐いて、俺に向かって言った。
「やっと私の気持ちがわかった? 私も優雅に闇の帝王になんてなってほしくなかったんだよ。本当は」
「ごめん。やっと気持ちがわかった。俺が間違ってた。でも俺はもう闇の契約をしたから、引き返すことはできない。でも、愛莉はまだ契約してない。せめて愛莉は、闇の世界に堕ちないでほしい」
「わかった。闇の女帝にはならない」
「ありがとう」
「うん。こっちこそありがとう。私のためだけに闇の帝王になってくれて。本当はすごい嬉しかった。それだけ私のこと思ってくれてるんだって思って」
「俺にとっては、自然なことだから」
「自然と闇の帝王になっちゃう人って多分めっちゃ少ないと思う」
「そうかな」
「うん」
「まあ俺は、失うものがないから」
その様子をぼんやり見ていた邪神が、コンビニ袋からグレープフルーツ味の缶チューハイを無言で取り出して、しれっと飲み始めた。
そして缶チューハイを飲んだ邪神は、タバコに火をつけて、紫煙を吐き、無表情で言った。
「立石は闇の女帝にならないってことでいいんだな?」
「はい。私はなりません」
「そうか。わかった。闇の女帝は人材不足だったんだがな。そう言うなら仕方ない。立石が入社しないのは残念だが、正しい判断だと思うよ。……おい佐藤」
「なに?」
「なにじゃねえよ。なんですか、だろ」
「なんですか?」
「お前みたいな根暗になんでこんな可愛い彼女がいるんだ」
「いや、わからないです」
真顔でそう言うと、横にいる愛莉が若干笑った。
俺はコンビニ袋からレモン味の缶チューハイを取り出して、無表情で飲み始めた。袋に入ってた最後の酒だ。
そしてピースというタバコを吸い始めた。
「……」
「……」
「……」
全員が無表情で黙ってぼーっと喫煙している。当たり前のように全員喫煙者である。ふぅ、と邪神が声を漏らす。
3人同時に吸ってるから俺の部屋が煙だらけだ。
白い壁はヤニで黄ばんでいる。この部屋で俺や愛莉が日常的に喫煙していたからである。退去する時に壁紙を弁償しなくてはならないかもしれない。だが、入居した時点で黄ばんでいた気もする。
「そういえば、お前ら2人ともタバコ吸うんだな。今どき珍しい」と邪神。
「私、18の時から吸ってます。この部屋でしか吸わないけど」
「俺も18から吸ってる」
「ヘビースモーカーの我輩が言うのもあれだけどさ、2人ともタバコなんて今のうちにやめとけ。タバコ吸ったって何も良いこと無いから。まじで」
「俺はタバコがないと生きていけないです。だってタバコってめちゃくちゃ落ち着くじゃないですか。仕事が終わってから吸うタバコ死ぬ程うまいし」
「まあそれはわかる。でもこれからタバコはどんどん値上がりするばかりだ。また10月から値上げされるらしい。普通、タバコは15で吸い始めて20で辞めるもんだ。今どき20超えても吸ってる奴は全員馬鹿だよ。我輩含めてな」
「私この前ネットで見たんですけど、タバコっておしゃぶりと同じ効果があるらしいです」
「お前らはガキなんだから、おしゃぶり昆布でも喰ってろ。そういえば立石はなんでタバコなんて吸ってんだ?」
「優雅が吸い始めたから私も一緒に吸い始めた」
「そうか。まあ、そんな感じがしたよ」
今思えば、愛莉も俺もタバコを吸うようなキャラじゃない。俺が粋がって吸っているうちに普通に中毒になってしまい、その影響を受けて愛莉もいつの間にか喫煙者になったのだ。
俺はタバコの煙を吐いて、邪神に言った。
「全然関係ないですけど、自殺する人って基本的には純粋な奴なんですよ。基本いい奴で、心が綺麗なんです。俺の友達もそうだった」
「何が言いたい?」
「俺は、純粋な人ほど死んでいくこの世界が本当に気に食わないんです」
俺はタバコの煙を吐いた。
ここは俺が学生時代から住んでいる、家賃20000円のワンルームの築●●年の崩壊寸前のボロアパートだ。住人は中国人やフィリピン人や日本人など国際色豊かである。日本人だと、金髪の若い女とか、頭の禿げた中年をたまに見かける。結構日本人はいるはずなのに、普段ほとんど目にしない。
ちなみに愛莉はこのアパートから徒歩10分の場所にある実家に住んでいる。18の時から付き合い始めて、それから、愛莉はこのアパートに出たり入ったりするようになった。俺は、この部屋全体が1つの灰皿という感覚で生活している。
当然壁は薄いので、隣の部屋の声はよく聞こえる。
『你如果甚至自己好的话、在那个好吗!』
『没这种事!』
『不要攻击谎话!在此之前说了一样的事情』
『不要认为是你能对我自以为是地命令的立场!』
『嘿嘿、鸡巴按摩!舒服极了!』
今まさに、隣人の中国人の男女が口論しているが、何を言っているのかは一切わからない。隣の部屋の中国人はこのクソ狭いアパートで同棲しているようだった。さすがにワンルームで愛莉と同棲する気にはならない。
時刻は、気付けば深夜の3時を廻っていた。
少し酔いが回ってきたのか、邪神の顔は少し赤みがかっている。ちなみに愛莉と俺は酔っても顔に一切出ないし、感情もそれほど昂らない。
「人間は失敗を積み重ねる生き物だ。佐藤、立石、お前達の人生にも今後多くの失敗や苦難が訪れるだろう。歩いていることもできずに、倒れ込むこともあるだろう。死にたくなることだってあるだろう。それでいいんだ。立ち止まろうが、孤独になろうが、倒れようが、死にたくなろうが、それでいいんだよ。もう1度立ち上がることができた時、その失敗は無駄じゃなくなるんだからな。何度も何度も倒れていい。だがその度に必ず立ち上がれ。どんなに時間がかかってもいい。最後は必ず立ち上がれ。どんなにボロボロでもいい。どんなに惨めでもいい。もう1度立ち上がれ。その醜い姿は、この世のどんな絶景よりも美しいんだ」
「……」
「……」
俺と愛莉は自然と顔を見合わせた。
こいつは何を言っているんだ? いくら良いこと言おうとしても、この邪神が現在進行形で性犯罪者なのは変わらない。
俺は言った。
「前田さんがいくら良い講釈垂れても未成年とやりまくってる事実は消えない。また捕まるから辞めた方がいいですよほんとに」
「あ、そうだ。佐藤。お前のラインを教えろ」
「なんで?」
「これから俺とお前は上司と部下という関係になる。お前の連絡先が必要だ」
「あ、そうか」
俺は邪神とその場でラインを交換した。
【前田祐介(邪神)】という男が新しく友達に加わった。
そして早速ラインが来た。
『これからよろしくな』
俺は返信することにした。
『よろしくお願いします』
◆
深夜3時過ぎ。
3人で酒飲んでぼーっとしてると、やがて邪神が気合を入れた声で言った。
「よし、全てが丸く収まったところで、そろそろ本題に行くか。佐藤」
「本題?」
「お前が闇の帝王になった動機はなんだ?」
「愛莉の会社をぶっ壊して、滅亡させたい」
「そうだろ。どうする。いつ壊す?」
「今日がいいです」
「じゃあ今から行くぞ。これはお前の実戦も兼ねている。闇の帝王としての初仕事だ」
「はい」
すると、愛莉が少し不安そうに口を挟んだ。
「本当に壊すの?」
俺は隣にいる愛莉の目を見て言う。
「壊しちゃ駄目?」
「私は全然いいし、むしろ嬉しいけど、他の社員は困ると思う……」
「もう、この際そういうのはやめよう。他人がどうとか。そういうのはもうやめよう。愛莉が嬉しいんだったら、俺はそれだけで嬉しい。他人のことなんかどうでもいい。他人の幸せなんて考えるなよ。自分だけ幸せになれよ。愛莉は優しいから、周りの人の気持ちとかが分かりすぎるんだ。だから生きてて辛いんだ。だから死にたくなるんだ。愛莉は何も悪くない。愛莉だけが幸せになっていい。愛莉はもう、いい人じゃなくていい。俺は、愛莉が幸せだとそれだけで嬉しいよ。俺まで幸せな気分になる。俺は愛莉のために愛莉の会社を壊すけど、それは本当は違う。俺は俺のために愛莉の会社を壊す」
「ありがとう」
「うん」
「壊していいよ。私の会社」
「わかった。塵一つ残さず全部消してやる」
俺は、愛莉の目から、邪神の目に視点を変えて、言った。
「前田さん、行きましょう」
「ああ。もう3時過ぎだしな。朝になる前にさっさとぶっ壊すぞ。佐藤の最初の任務だ」
俺は愛莉の目を見る。
愛莉は、まだ神妙な顔をしていた。
◆
その後、邪神は愛莉に会社名を訊ねた。愛莉はそれを邪神に告げた。すると邪神はその場で立ち上がって、両腕を広げて、俺たちにこう言った。
「今から立石の会社まで一瞬で飛ぶから、みんなで手を繋いで1つの輪っかを作れ。輪っか作らないと転移できない」
俺と愛莉は立ち上がった。そして俺と愛莉と邪神は手を繋いで、3人で1つの輪っかを形成した。俺の右手には愛莉の手が、そして左手には邪神の手が握られている。
「今から飛ぶ。危険だから一応目閉じてろ」
「はい」
「はい」
俺は目を閉じる。
その後、邪神が詠唱を短く唱えた。
次に目を開けた時には、既に愛莉の会社の目の前に立っていた。何回建てなのか分からないが割とでかい会社だ。駐車場も広い。3人は輪っかをほどいた。
深夜の夜風を浴びながら俺は呟く。
「すごい。本当に一瞬でした」
「我輩を舐めるなよ。これでも邪神の中で我輩はトップクラスの魔力を誇る。ところで立石、なんの会社だ。これ」
「IT関係」
「そうか」
「前田さん、この会社どう壊せばいいんですか」
「そうだな。周りに人の家もないみたいだし、爆裂魔法でいいだろう」
「爆裂魔法?」
「この会社を丸ごと大爆発させるんだ。鉄骨もろとも消す」
「俺でも出来ますか?」
「ああ、爆裂魔法は初歩だから簡単に出来る。それに、これはお前がやらないと意味がないだろう」
「前田さん、俺に爆裂魔法の使い方おしえてください」
「簡単だ。爆発させたい対象物を凝視しながら、自分が1番恥ずかしいと感じる言葉を叫べばいい」
「1番恥ずかしいと感じる言葉……」
「佐藤、美術館をイメージしてみろ。美術館の中は静謐な空間だ。大声を出すことは禁止されている。そんな中、お前が1番叫ぶのが恥ずかしいと思う言葉は何だ?」
「ま●こです」
「じゃあま●こと全力で叫べ」
邪神がそう言ったところで、愛莉がぽつんと呟いた。
「ま●こか……」
◆
左腕一帯に彫られているタトゥーを見ながら、俺は思う。本当に俺は闇の帝王になったのだろうか。
俺は愛莉に一瞥をくれてから、愛莉の会社を凝視し、全力で叫んだ。
「ま●こー!!!!!!!!!!」
ドカーン!!!!!!!!!!!!
その瞬間、愛莉の勤めていた会社は轟音と共に大爆発し、完全に崩壊した。会社の鉄骨すら残っていない。大きな炎が立ち上っている。会社は、塵一つ残さずに消滅した。
それを確認した瞬間、俺の中には高揚感と達成感が同時に湧き上がってきた。
「愛莉! 見ろよ! 会社が滅んだ!」
愛莉に向かってそう言うと、愛莉は俺以上にテンションが上がっていた。
「あははははは!!!!!!!!」
愛莉は会社が滅んで大笑いしている。
そして子供みたいに走って、“さっきまで会社だった場所”に向かっていった。
愛莉は燃え盛る炎に近寄って、スウェットのポケットからスマホを取り出して、何枚も写真を撮っていた。イルミネーションに夢中になる子供みたいに喜んでいた。
すると、俺の横に邪神がゆっくり近づいてきた。
「初めての割には上手くいったな。お前センスあるかもしれない」
「愛莉があんなに楽しそうに喜んでる顔、久しぶりに見ました」
「よかったな」
「はい」
「お前が楽しそうにしてる顔、初めて見たよ」
邪神にそう言われて、俺は自分の頬が緩んでいることに初めて気がついた。俺は今、久しぶりに心から笑っていた。
「どうだ、これからも闇の帝王としてやっていけそうか?」
「はい」
「よかった。じゃあそろそろ帰るぞ。この現場を万が一目撃されたら困る。立石呼んでこい」
俺は、喜んでいる愛莉のところまで、歩いて近寄った。
「愛莉、そろそろ帰ろう。目撃されたら困るよ」
そう言うと、愛莉は笑顔で俺を見て、こう言った。
「優雅どうしよう! 私無職になっちゃった!」
「しばらくゆっくりすればいいよ。俺は金ならあるから、困ったら俺を頼って」
「闇の帝王って給料どのくらいあるの?」
「手取り50万だって」
「そんなに貰えるんだ!」
「うん」
「少し気が早いかもしれないけど、私たち結婚しようよ」
「結婚?」
「うん。結婚したい」
愛莉がそう言ったところで、一際でかい炎が立ち込めた。
すると愛莉が言う。
「優雅! 2人で写真撮ろう写真! 燃え盛る炎をバックに」
「いや、俺はいいよ。邪神と撮れよ」
「は? なんで邪神なんだよ。ちょっとこっちきて」
俺は愛莉に近寄った。
「もうちょっと近く寄って」
愛莉はスマホをインカメラにして、スマホを持つ腕を斜め前方に伸ばして、燃え盛る炎をバックに写真を撮った。その瞬間、俺は真顔だった。照れ臭かったからだ。
◆
その後、愛莉と俺と邪神は俺のアパートまで転移して、その場で解散した。
邪神はそのまま空間転移で横浜まで帰った。
愛莉は俺の家で少しだけ寝て、いつものように会社に向かった。会社は滅亡したが、一応知らないふりをして出社した。俺は、退職届を持って、いつものように鉄工所に向かった。そして専務に会社を退職したいという旨を伝えた。
昼休み、俺が職場の喫煙所に1人でいると、愛莉からラインが来た。
『会社が無くなっててみんなパニックになってる。めっちゃ楽しい』
そのラインを見て、俺は少し笑った。
〜2話に続く〜
【後書き】
全3話で終わります。
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